第一章•門警㊁
南ギレン国•第十代ナハレ王の居城、ギノ城近くに、〈ギレン王国警使署〉はあった。
この〈王国警使署〉は、南ギレン国だけでなく、北ドヌン国、東デアン国、西ガサン国にも、同じように存在する。
四つの国は、もとは同じ祖先、一つの王国であったため、異なる王が治める、他国同士でありながら、それは極めて特殊な形態に、今もなお国の構造、体制からーー共通点が数多く、言葉もその一つに、違う呼び名や、多少の語調の違いはあれど、みな〈トンリ語〉を使い話す。
〈警使署〉に所属するには、年に一度開かれる、文武の厳しい試験に合格しなければならない。その狭き門を突破した者だけが、〈国章〉と同じ誉れ高き〈胸章〉ーー〈ギレン国の国色である、鮮やかな黄色の地に、金と白の二色の三角形が組み合わさった菱形が、中央に燦然と輝く〉ーーを授与され、墨色の警衣を纏い、輝かしい〈警使〉となる。
幸いなことに、もう長い時、そのような事態は起こっていないが、万一、他国が攻め込んできたときなど、戦となったときには、〈警使〉はみなもとである、〈兵士〉となり、無論最前線に武器を持って、自国のために身命を賭して戦う。 〈兵士〉となった場合には、〈城警〉がその中心となるよう組織され、隊形づけられる決まりだが、基本的にどの部署であってもーーそれは〈天警〉であってもーーみな不測の事態に備えて、日々の鍛錬は欠かさない。
理由は他にもーーたとえ戦がなくとも、腕が落ちていないかどうか、年に一度試験があり、合格せねば、受かるまで属する部署を離れ、悪鬼のごとく、厳しく恐ろしいことで有名な、〈城警〉の長による、特別稽古を受けなくてはならないからだった。
話をもどしーー〈国章〉にある〈菱形〉は、偉大な始祖である、〈王家マダルカの紋章〉であった。
国が四つに分かれる前、第二王国代ーー〈イチュイル王国〉の〈国章〉が、〈純白の地の真ん中に、金の菱形が光輝を放つもの〉であったため、四つの王国はみな、敬畏を表し、地の色だけそれぞれの国色にーー〈南ギレン国は黄色〉、〈北ドヌン国は赤色〉、〈東デアン国は青色〉、〈西ガサン国は緑色〉ーーに変えた、今も栄華の当時とほとんど同じすがたの、〈国章〉となっている。
〈警使〉となった者は、その瞬間から、もとの名を名乗ることが固く禁じられ、みな新たな名が与えられるのが、伝統の決まりである。
そして、一度〈警使〉となった者は、命尽きるときまで誇り高き〈警使〉であり、たとえ齢を重ね、実務に携わることが難しくなってもなお、入署時に立てた誓いは、一生涯守り通し、守秘義務などを徹底的に貫かなくてはならない。いかなる理由であっても、これを破った者は、直ちに厳罰ーー極刑に処される。
これまで、〈王国警使署〉の部署は、〈城警〉•〈察警〉•〈事警〉•〈天警〉の四つであったが、今年のはじめ、新たに〈門警〉が新設されたのだった。
〈警使〉たちの寝食する宿舎はーー(基本的に、妻を娶るなど、家族ができた者は、出ていく決まり)ーー城の敷地内にある、王がいる中心の建物から少し離れた、専用の別館にあった。
特徴的な四つの大きな塔にある、寝室と談話室は各部署ごとにわかれーー(新しくできた〈門警〉は、別館横に、二階建ての専用宿舎が造られた)ーー食堂や浴場はかなりの広さに、離れにいる〈門警〉を含め、みな共同に使うのだった。
〈城警〉ーー王の一番近くに、身辺を守り、城を中心とした場所を受け持つ。
〈察警〉ーー主に外国の情報を収集し、また国内に潜む間者などを取り締まる。
〈事警〉•〈鳥部〉ーー城の外、街を見回り治安を維持し、街で起きたあらゆる事柄に対処する。 〈鳥部〉の鷹師は、〈伝書鷹〉の世話、屋上にある小屋の管理に、飛行訓練を担当する。
〈天警〉ーーさまざまな専用道具を用いて、星の観察、大いなる森羅万象に触れ、複雑極まる天の図を読み解き、天災の布告や、日々の天候を報ずる。
〈門警〉ーーまだ謎多き《魂の門》について調査し、複雑怪奇な事象を解き明かし、収束させるための、特別部署。
まこと狭き門である、〈警使〉のなかでも、さらなる狭き門ーー出世の最高峰に、誰もが目指す頂が、たった二席である、王の側近ーー上官の地位であった。
〈武〉を司る、右上官
〈知〉を司る、左上官
南ギレン国の現在の二席は、〈城警〉出身の、けいはん右上官ーー〈天警〉出身の、てんじん左上官ーーが、占めていた。
〈警使〉はどの部署でも、基本的に二人一組で動き、相棒を取る。国ごと、部署ごとに人数の違いはあるが、ギレン国の現時点では、新しくできた〈門警〉が最小人数にーーー
長のみぎさーーしなや
かいかーーくいな
おおじーーくらま
まるたーーなつじ
いまでーーのがや
ーーーの、十人で構成されていた。
〈王国警使署〉の建物は、国色である黄色の円蓋に、五階建てで、最上階の五階は、半ば屋上のようなすがたとなっていた。
半球形の屋根の中央部分が広く切り取られ、大きな輪のなかに抜け見えた天空が、日毎、時ごとに、その色彩を豊かに変え、厚い壁の代わりにぐるりと立ち並んだ、精緻な彫り模様の施された太い柱たちが、自然と人為の織りなす美しい屋根を支えていた。
一番広い一階を〈事警〉ーー二階を〈城警〉ーー三階を〈察警〉ーー四階を〈天警〉の部署が占めていたが、〈天警〉は夜天の観察に、大きな〈星水盤〉が据えられた、五階も部署として使っていたため、未だ増築の話はない〈門警〉は、差し当たり四階の部屋の半分を仕切り、そこを使っているのだった。
向こうに見える扉の開かれる音に、おのずとみなの視線が向くーー和やかだった部屋の空気が、一瞬にして張り詰めた。
まだ外の任務にいるはずの、部下のすがたを見るなり、門警長は座していた椅子から立ち上がる。
足早に入ってきた、二人の緊張した表情に、それはみぎさだけでなく、その場にいる全員の背筋に、嫌に冷たい感覚が走るのだった。
「おおじ、くらま、何事だ……」
門警長の卓の前にやってきた二人は、揃えた右手の指先に、左胸に輝く〈胸章〉の周りを一周する、ギレン国〈警使〉の敬礼をみせた。
そして、片方が、その手に持つものを上司に差し出す。
静まり返った部屋のなかーーみぎさの手が、粛々と受け取るのだった。
卓の周りに集まった、みなの視線が、門警長の手にある、〈緑色の小さな筒〉を、息を凝らし、見つめた……。
極軽量に、耐久性を兼ね備えた素材に作られた、深い光沢を放つ細身の筒には、その蓋に金色で、〈門〉の印が彫られていた。
「街の巡回をしている最中、〈筒〉を足につけた〈鷹〉を見まして、もしやと思い、予定を切り上げ急ぎ屋上の小屋へ向かいましたところ、小屋の止まり木に、〈西ガサン国•門警〉からの、〈伝書鷹〉がとまっていました」
筒を渡した、くらまが、強張る声に報告する。
「月の報告には、まだ早すぎます……」
相棒のおおじが、掠れた声に言うのだった。
「……悪い知らせだろうな」
みぎさはつぶやくと、ひとつ息を吸い、襲う胸騒ぎを静め、ツルツルとした〈筒〉の蓋を、開けるのだった。
みなの凝視する先ーーひんやりとした〈筒〉の中から、細く巻かれた、〈羊皮紙〉を取り出し、慎重に広げるーーー
息苦しいような間が、流れるのだった。
「……ろく•ぞうじ門警長はなんと……」
ぴりぴりとした沈黙に、堪え兼ねたしなやが、努めて平静な声に聞く。
「……百人を超えた」
みぎさの低く放った言葉に、人も空気もーー凍りついた……。
「そのうちの三十三人は、〈警使〉だ……」
重苦しい声が継ぐ。
深長なしじまが、押し包むのだった。
「負の連鎖ーー」
空ろな声に、しなやがつぶやく。
門警長の厳しい面が、小さく頷かれた。
「〈門〉をくぐった者たちの穴埋めに、どうしても残された者たちの負担は増える。……ギレン国とて、人事ではない。 警戒して見張っているものの、月毎に〈警使〉の消える数は増えつつある」
みぎさは硬い声に言うと、自分を見つめている部下たちーーその一人ひとりの、青ざめ緊張した顔を、眺めていくのだった。
「みんな聞いてくれ。 今から言うことは、門警長という立場の、おれの保身に聞こえるかもしれない。 けど、そうじゃない。 おれは、縁あって集まった、大切な仲間であり、部下であるおまえたちを、〈門〉でだけは、失いたくない。 なかなか全貌の掴めない、不吉な任務を、本当によくやってくれている。 心と身体に、想像以上の苦痛、大きな負担が生じているのも、事実だろう。 なにかいつもとは違う、感覚や思いに気づいたら、手遅れになる前に、躊躇うことなく、すぐに伝えてほしい。 本人でなくとも、気づいた者が報告するでも構わない。 今ここにいない、まるたーーなつじ、いまでーーのがやにも、同じことを伝える。 これは、おれの心からの願いだ」
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「そういうみぎさんも、なにか異変があったときには、隠さずすぐに言ってください」
しなやの冷静な声が、通るのだった。
かいかーーくいな、おおじーーくらまの、真剣な眼差しが、同じ意であるように、強く真っすぐに、門警長を見つめる。
「わかった」
みぎさの声が響きーー乾いた唇を湿らした相棒が、再び口を開く。
「ガサンは、〈雷鬼〉による死者が最も多かった。 月のはじめでこの数字、月の終わりには、一体どうなっているのでしょう……」
細い声は、微かに震えていた。
「十月は、どこも生き死にをかけた、大きな山場となりそうだ……」
みぎさが、低くつぶやく。
窓の外ーー澄明な秋晴れの天に対して、どんよりと暗く陰った部屋のなかーー門警長のこめかみを、つーっと……冷たい汗が流れ落ちる。
ーー突然、かいかが、窓の外を指差した!
「〈伝書鷹〉ですっ!」
みぎさも振り返り、明るい丸窓の外を見るーー刷毛で掃いたような、薄い雲が浮かぶ高い青天に、確かに鳥の影が、映るのだった。滑らかに飛翔し、こちらへ近づいてくる、その足元には、なにか〈小さな青色のもの〉が、光り見えた。
「……デアン国からだ!」
おおじが叫ぶ!
「それにあれは……〈早鷹〉ですっ!」
細めていた目を見開き、今度はくらまが叫ぶ!
〈伝書鷹〉はその名の通りに、よく訓練された専用の〈鷹〉が、四つの王国の〈警使署〉へ、書状を届ける。 鳩や馬でもなく、〈鷹〉を使うことは、〈王国警使署〉創設以来の伝統であり、暦にもある通りに、偉大な始祖であるマダルカ王家が、鳥類をこよなく愛し、深く崇拝していたことが、その理由であると伝えられている。 そして、こちらも今に続くしきたりに、その理由は定かでないが、〈鷹〉の世話管理は、〈事警〉のなかの〈鳥部〉に属する、〈鷹師〉が務めることになっている。ーー彼らだけは特殊なかたちに、定期的に他の三つの王国へ出向いたり、また迎えたり、各国の〈鷹師〉たちと連携することが不可欠に、問題なく飛行ができているかどうかの確認と、それぞれの〈王国警使署〉の屋上に設置された、鷹小屋へ確実に届けるための訓練をする。 そのため、与えられた務めに、他の国へ出向き帰国したあとには、これまた特殊なことに、〈察警〉との面談が待っているのだった。
通常の〈伝書鷹〉が、送った翌々日、もちろん天候にも左右されるが、大抵二日ほどで届けるところ、特別に訓練された選ばれし〈鷹〉は、〈早鷹〉と呼ばれ、送り飛ばした次の日にはーー通常の約半分である、一日で、届けることができるのだ。
「……まだ〈門警〉あてだとはかぎらない」
此の期に及んで、まるで言霊にすがるよう、そう声にしたみぎさだったが、その声は己の耳にも力無く響き、早鐘を打つ心中はというと、ぞわぞわと這い上がる不吉な予感に、みぞおちからひんやりとしたものが、広がるのだった……。
………そうだ……あのときと、同じ感覚………
今年の夏、生まれてはじめて、百年に一度咲くと言われている、〈ヒビバナの樹〉が、咲き乱れたすがたを見た。
それは、長く想像していたすがたを、良くも悪くも裏切るーーまさしく、脳裏に焼き付く光景だった。
真っ赤に妖艶な花が、みな天ではなく地へ向けて、細く縮れたような、独特に長い花弁を伸ばしたすがたーー。 さながら、樹から鮮血が滴るようにもーー血を流した人間が、悶え苦しみ、身をよじらせたさまにも見えーー背景にある、古の惨禍からも、身体の芯から痺れたように、強く惹きつけられると同時ーーどこまでもおどろおどろしく、真夏のジリジリと焼き付けるような陽の下、両の腕にははっきりと、粟立ちが浮いていた。
そして、百年に一度、必ず咲くとは限らない、その〈ヒビバナの樹〉が、これまでに残る記録になく、他の三つの王国でも、同じ時期ーー同じように咲き乱れたと知ったときーー己の奥深くを貫いた、《直感》にーーー《これは遠くないうち、齎される試練ーーさらなる凶変の前兆であるのだと》ーーーそう思った………
突然、みなの顔が一斉に上へ向く。ーー思案を破られたみきざも、顔を天井へ向けた。
門警長の執務卓の真上に吊るされた、〈紫紺色の丸石〉が、独りでに、円を描き回っていたーーー
「二度目だな……」
みぎさが、つぶやく。
刹那、腕を激しく掴まれるのだった。
驚いて見れば、しなやが蒼白な顔に、まるい目を大きく見開いていた。
「二度目とは、以前にもこの〈石〉が、回ったことがあったんですか……それはいつですか!……いつのことですかっ!……」
常は冷静な相棒の、これほどまでに動揺をしたすがたーーその細い手に、これほどまでの力が込められようとはーー束の間、みぎさは気圧され、呆然とするのだった。
他の者たちも同じにーー声を荒げたすがたなど、一度も見たことのない仲間の、乱れた呼吸に、ほっそりとした肩を激しく上下させたすがたは、一種の衝撃を、もたらすのだった。
「……答えるから、落ち着け!」
放たれた門警長の声に、はっと我に返ったしなやは、すみませんと、掴んでいた腕を離す。
息を詰めた、深閑とした部屋にーーみぎさは目を閉じ、深呼吸する……。訪れた暗闇に、淡く光る、記憶の糸を、辿っていく………
「……今日が、十月七日だろ………あれがはじめて回ったとこを見たのは……たしか……九月の終わりだった………朝の会で、王へ呈上する報告書を徹夜で仕上げていて……夜中にやけに、鳥が騒がしく鳴いていたんだ……それで、地震でもくるのかと思って………そうだ!……あれは、九月二十六日だ!……いや、まてよ……零時をすぎていたから、正確には、二十七日だ!」
鼓膜を圧迫するような沈黙にーーみぎさの目が、ゆっくりと開く。
視界に映る相棒は、まだ血の気のない顔ながら、激しい波が過ぎ去ったように、虚ろな瞳をしていた。
みぎさはその瞳を見つめ、まるで虚空に取り残されたような、茫漠たる不安を覚えた……。
乾いた喉が、ゴクリっ……と、不穏な塊を、飲み下すのだった……。




