第一章•門警㊀
「月はじめで、六十人……」
南ギレン国•門警長ーーさ•みぎさは、執務卓に向かい座した、腿の横に拳を打ちながら、つぶやいた。
「みぎささんの腿はあざだらけで、気の毒です」
門警長の目が、間隔をあけて隣に並んだ、同じく卓に向かう若者を見る。
部屋にいくつも見える丸窓ーーちょうど二人の背後にも、それぞれある窓から、十月の冴え冴えとした陽光が、明るく差していた。
その澄んだ陽に照らされ際立つ、女人のようになめらかな白い肌ーー艶のある柔らかな白髪ーー。
前から見れば、両耳の前に下がる髪のすがたに、一見個性的な長めの髪型、といったように見えるのだが、その背には、腰に届くほどの長い髪がうなじに結ばれ、さながら高い崖を流れ落ちる、雅な白糸の滝のようにも、見えるのだった。
独特に不思議な雰囲気を纏い、新雪のように真っ白な
、見事な若白髪が目を引く青年の顔には、なんとも奇妙にちぐはぐな、童顔のまるい目が、静謐な月光を思わせる光を湛えていた。
「しなや、人の腿に同情するより、考えるべきは忌まわしい〈灰門〉のことだろ」
静かな部屋のなかに、門警長の低く張りのある声が響く。
みぎさの相棒である、しなやは、みぎさよりも一回り下の二十三歳。その齢にして、今年のはじめに新設されたばかりの〈門警〉ーー長の右腕に、選ばれたのだった。
みぎさが彼の齢のときには、自分の周りに、それはあらゆる意味において、そのような風変わりなすがたをした者はいなかった。ーー厳密に言えば、暗黙のうちに弾かれ、禁じられていたーーというほうが、しっくりくる。 格式を重んじる、堅苦しい組織らしく、みなあたりまえに、同じすがたーー黒い衣に、黒い髪色、短く切り揃えられた髪型をしていた。 みぎさ自身もずっと、早くに亡くなった父親譲りに、人より少々量の多い、太く黒々とした髪を、出世した今は、二十代のときよりも少しだけ長いさまに、常にきっちりと、切り揃えたすがたをしていた。
世代がひとつ違うだけだが、新しい相棒を見るたび、堅牢な〈警使署〉もずいぶんと風通りがよくなったなと、先に小さな灯を見たような思いが胸に湧く。ーーそれと同時、若く優秀であり、その風貌にも異彩を放つ彼の存在を、この厳しい上下環境、階級組織に属する者たちが、快く迎えるとも考えられず、華奢な見た目に反し、柔な神経ではなく、肝が据わっているにしても、これまで表や裏に、ずいぶんと理不尽な思い、苦労をしたであろうことも、容易に察せられ、みぎさは口にせずとも、同情を寄せずにはいられなかった。
(まぁ、〈城警〉ではなかったし、秀才の集まりである〈天警〉には、そもそも変わり者が多いけどな)
束の間の思案を破り、相棒の細いがよく通る声が響く。
「言われなくても、四六時中考えていますよ。 うんざりするほど考えていますが、さっぱりわかりません」
「『さっぱりわかりません』ーーで、報告書を呈上できたら、どれほどいいだろうな」
頭を椅子の背に預け、皮肉を込めた上司の声にも、部下は表情を変えず、静かに声を継ぐ。
「はじめて《魂の門》が現れたとされている、一月からの、数少ない目撃者の話をまとめれば、まるで厳かな光を満たした、〈灰色の門〉が現れて、その〈門〉を呼び出した、自死の思いを抱いた人間が、吸い込まれるように〈門〉をくぐると、さあっと霧に溶けるように、〈門〉諸共すがたが消えるーー」
「悲鳴もなにも聞こえないところから、おそらく、苦痛は伴わない」
視線を宙の一点に据え、みぎさが口にする。
「そして、〈門〉が消えたあとには、その場に線香のような匂いが残るーー〈灰門〉を呼び出した人間は、みな途中で思い直すことなく、必ずくぐるようになっている。 たとえ他の者が必死に止めても、まったく意味をなさない」
しなやの平らかな声が、結ぶのだった。
「……まったくおかしな話だ。 一人ぐらい、〈門〉を呼び出したが通らなかったやつ、引き止められたやつがいてもいいだろうに、不気味なあの世の力が、そうさせているのか……」
感じた冷ややかな視線に、みぎさは再び無意識のうち、腿へ打ちつけていた拳を、止めるのだった。
重苦しい沈黙が落ちるーーー
「私はやはり、この不可思議な事象の核は〈ヒャロン〉であると、そう考えます。 彼らを徹底的に調べずには、事の解決はできぬと思います」
しなやのはっきりとした声が、沈黙を破る。
門警長の凛々しい眉が、ぐっと寄り、食いしばった歯に、盛り上がった顎の横顔を、相棒の目はじっと見据えた。
長いため息が聞こえる。
「未曾有の事態に、六百年ぶりに、あの〈血印条約〉が、特例で一部緩和されたしな……」
みぎさのつぶやきに、しなやが言い継ぐ。
「それぞれの分派の長老にかぎり、各国の〈門警〉は、協力を依頼することができ、話を聞くことができる。 他の国の〈門警〉は、〈ヒャロン〉の長老に、かなりの時間を費やしていると思います」
「東デアン国の〈門警〉は、その労が足りないと」
「はい」
微塵の躊躇、迷いのない声が通る。
向けられた真っすぐな瞳に、門警長の顔に苦笑が浮かぶ。
「笑っている場合ですか」
相手の苛立った、非難の声にも、みぎさはなおも、その口元を緩めたままだった。
「まぁたしかに、ドヌン国のじゅう•じょう門警長は、筋骨隆々、精気も隆々ーーあの腹に響くような声で、事あるごとに、〈マウマ〉のオグリ長老を、詰めに詰めているだろうな」
「でしたら、我々も明日、再度〈ネロネ〉のヤゴミ長老に……」
門警長の手がすっと上がる。
緩められていた面が、真顔に引き締まるのだった。
「いや、もう聞き出せることはないだろう。 〈ヒャロン〉がまだなにか隠していることは確かだが、ヤゴミ長老は絶対に口を割らない。 おまえもとうに気づいていると思うが、あれは相当な切れ者だ。 狡猾な相手に、真正面から向かえばいいというものではない。 それどころか、向かう方法、その角度を間違えれば、害するのはこちらのほうだ。 まぁ、例えるなら、温和な皮の下に、毒針のあるサソリを隠しているようなもんだ」
「……サソリ……ですか」
「おれがこの世で一番恐ろしいものだ。 坊主の頃、一度足をひどく刺されて、危うく死ぬところだった。〈ネロネ〉の医術師に、命を救われたけどな。 皮肉なもんで、ヤゴミ長老に会うたび、やつを見たときと同じ悪寒が走る」
「要するに、ヤゴミ長老が苦手だってことですね」
相棒の冷淡な声に、みぎさの目がきっと睨む。
「じゃあ得意であるおまえが一人で、ヤゴミ長老に話を聞いてこい」
「嫌です。それに、得意ではありません。私も苦手です。 はじめて会ったときから、温雅な人柄に相反して、本能的な嫌悪感、不信感を抱いたことは認めます」
「ほらみろ」
「ですが、みぎささんが、いい加減みかんと牛乳以外の、まともなものを食べるのでしたら、一人で行ってきます」
「なんだそれ。ーーってか、おまえ、どうしてあざや飯のことを知ってんだ。 風呂場で会ったこともないし、飯をとる時間もバラバラだろ。……まさか、おれのことを見張ってるのか?」
大きなまるい目の奥が、明らかに揺れるのだった。
「そんなわけありません」
「じゃ、どうして知ってんだ」
「それだけ癖に腿を打っていれば、見なくともあざがあることぐらい、誰にでもわかります」
「飯のことは?」
「人間が活動する上で重要な、食を疎かにし、任務の間に長が倒れてしまえば、みなが迷惑被ります」
「答えになってないし、珍しく筋が通っていないな」
「とにかく、今集中すべきは〈門〉のことです。 二年前の流行病〈雷鬼〉で、多くの者が死に、ようやく落ち着いたと思ったら、今度はよりたちの悪い、得体の知れぬものが相手ーー残酷な現実は変わらず、このまま四つの国で民が減り続ければ、遠くないうち国の均衡は崩壊し、〈四死戦〉以来の、由々しき事態も起こり得ます」
「〈四戦〉か……」
つぶやいたみぎさは、背筋に走った寒気を、鋭い相棒に悟られぬよう、それとなく腕をきつく組み、天井を見上げた。
高い天井には、さまざまな素材に、不思議なすがたをした飾りや、多彩な色模様、形をした石たちが、細い糸でいくつも吊り下がり、窓から差し込む秋色の陽に、ときおりきらきらと、光を放っていた。
「それにしても、慣れないな」
門警長の睨み据える先をたどり、強張っていたしなやの表情が、ふっと緩む。
「〈ヨウヨウレク〉のことですか」
「たしか、〈天の言葉〉だったか」
「正式には、〈天のささやき〉です」
「どっちも同じだろ。 奇怪な部署の長にはなったが、昔から占いとか呪いとか、どうも苦手でな。 まったく信じてもいない。 だから、こんな子どもだましのもんで、壮大な森羅万象、天の模様がわかるとは信じがたい」
上司の率直な意見に、部下の白く繊細な眉根に皺が寄る。
「もと〈天警〉の一員だった身としては、聞き捨てならないお言葉ですが、選ばれし精鋭揃いの〈城警〉からきたみぎささんには、致し方ないのかもしれませんね。 歴史上有名な、あの〈冥凶作〉の大旱魃も、〈ヨウヨウレク〉と同じような仕組みで、半年も前に布告が出されたため、飢餓による甚大な被害が免れたとされています」
「それはもちろん知っている。 だが、石かなにかが頭を割って、死ぬのはごめんだな」
「落ちるーーということも、また重要な意味を孕んでいるのです。 それに、生きとし生けるもの、みないつかは必ず死にます。 その理由、時が違うというだけのことです」
深長な沈黙が、押し包むのだったーーー
「己の命をどうするかーーそれは、一人ひとりに与えられた、尊重されるべき、権利であると思うかーー」
黙したままの相手をちらりと見て、みぎさは再び、口を解く。
「おれは、たとえいつか終わる命であっても、不本意に奪われるのは当たり前にごめんだし、〈門〉をくぐることが、本当の意味での救いになるとは思えない。ーーどんなに綺麗事でもな」
静まり返った部屋にーー窓の外を、鳥が高く鳴き交わしながら飛んでいく。 みぎさはひとつ息を吸うと、硬い口調を、緩めるのだった。
「すべてのことに意味があるーーおれの信条だが、朝、昼、晩と、仕切られたこっちにも、〈天警〉のやつらがくることが、どうにも我慢ならない。 あいつらは音も立てず、気配もなく気づけば上にいるから、毎度毎度すこぶる心臓に悪い」
忌々しげな目が、両開きの扉の前からずらりと立ち並ぶ、簡易壁の衝立を見てーー半分に隔てられた、広い部屋の壁高くをぐるりと取り囲んだ、回廊を睨む。
「目に見えないものからお告げを受け取るのが、〈天警〉の重要な務めですからね」
門警長の眉間に、険しく皺が寄る。
「ここよりも下の階のほうが断然広いくせして、〈察警〉のやつらは神経過敏に根性が悪い。ーーいまでには言うなよ」
「『容易に信用べからず、油断なく疑うべし』ーーこの標語に、年がら年中、密偵のようなことをしているのですから、使命病に致し方ありませんね」
「しなや、おまえの『致し方ない』って標語、そろそろ禁句にするからな」
みぎさは黒々とした睨み目を、白々とした相棒に突き刺すのだった。
「まぁまぁ、もうそのへんで。 おしどり夫婦ってことは、十分伝わりましたから」
横に並ぶ門警長と相棒の、向かい斜めの卓にいた壮年な男が、ニヤリと笑って言う。
「窓のほとんどないような部屋で、やつらと一緒だと、こっちの気がおかしくなりますよ。 私は大きな丸い窓がたくさんあって、外の景色も見られる、たとえ頭を怪我する危険はあっても、〈ヨウヨウレク〉の下にいるほうが、よっぽどいいですね」
男の隣の卓にいた、同じ四十ほどの相棒が、羊皮紙に走らせていた羽ペンを置き、ニヤっとして口を開く。
「それに比べ、私たちの古巣、〈事警〉のやつらはいいもんですよ。 堅苦しくなく、一番人数がいるもんですから、まぁなかにはいけ好かない野郎もいますが、本当にいろんなやつがいて、実に面白かったですよ」
「かいか、くいな、そんな街に最も精通する〈事警〉出身のおまえたちには、〈灰門〉が一番現れる時間帯である、夜半から明け方までの、巡回を用意しているため、安心するように」
苦笑いに二人が返事をし、固くなっていた場の空気が、和むのだった。




