↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れた僕は、今日も笑う。  作者: ニィギンヤ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/79

原型

「やっと会えたね」


その声が響いた瞬間、駅の空気が凍った。


人のざわめきも、電車の走行音も、すべてが遠ざかっていく。


悠は動かなかった。


いや――動けなかった。


玲奈の鈴から聞こえた声。


それは、玲奈のものではなかった。


もっと幼い。


少年の声だった。


「……誰だ」


ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど低かった。


返事はない。


ただ、駅構内に設置されたすべての時計が、同じ時刻を示していた。


十二時三分。


秒針さえも動いていない。


「悠……」


澪が不安そうに名前を呼ぶ。


悠は振り返った。


「大丈夫」


いつものように笑った。


「ちょっと、変な放送が流れただけだから」


笑えている。


ちゃんと。


口元も、声も、いつも通り。


けれど。


胸の奥では、何かがずっと叫んでいた。


――違う。


――あれは放送じゃない。


――俺を呼んでいる。


悠は首元の鈴を握った。


冷たい。


それなのに、触れた瞬間だけ熱を持ったように感じた。


「……玲奈?」


鈴は答えない。


代わりに。


また、声がした。


『玲奈じゃないよ』


悠の指が止まった。


『僕だよ』


「……お前は誰だ」


『知ってるくせに』


その言葉に、悠の背筋が冷たくなった。


知っている。


そんなはずはない。


記憶にない。


顔も知らない。


名前すら知らない。


それなのに。


なぜか――懐かしかった。


胸の奥に、古い記憶が触れたような感覚。


ほんの一瞬。


白い部屋が見えた。


小さな手。


白い壁。


黒い紐。


そして――


自分と同じ目。


「……っ」


悠は頭を押さえた。


「悠!?」


澪が駆け寄ってくる。


「大丈夫。平気……」


「平気じゃないでしょ」


「本当に平気だから」


笑う。


また笑う。


そうすれば、誰も怖がらない。


そうすれば――


昔の自分が、そうだったように。


「……笑うなよ」


突然。


鈴から声がした。


悠の笑顔が止まった。


『その笑い方、嫌いだ』


「……」


『だって、それ』


少年の声が、少しだけ震える。


『僕を隠すために覚えた笑い方だから』


悠の目が見開かれた。


「……何を言ってる」


『僕は、お前が笑う前から知ってる』


「やめろ」


『お前が泣いてたことも』


「やめろ」


『玲奈を失うのが怖かったことも』


「やめろ!」


駅中に、悠の声が響いた。


澪たちが息を呑む。


けれど、鈴の声は止まらなかった。


『それでも一番怖かったのは――』


一拍。


『自分が、誰なのか分からなくなることだった』


悠は何も言えなかった。


その言葉だけは。


知っていた。


ずっと昔から。


胸の奥に沈んでいた。


自分でも名前をつけられなかった恐怖。


「……お前は」


悠はゆっくり顔を上げた。


「俺の何なんだ」


初めて。


少年の声が、はっきりと笑った。


『僕は――』


駅の電光掲示板が、一斉に点灯した。


そこに表示された文字を見て、悠は息を止めた。


《No.000》


その下に、もう一つ。


《原型個体》


そして最後に。


《神代悠》


「……違う」


悠は首を振った。


「俺が、原型じゃない」


『うん』


「俺は俺だ」


『そうだね』


「じゃあ……原型っていうのは誰だ」


しばらく沈黙があった。


やがて。


鈴の向こうから、小さな声が聞こえた。


『僕』


悠の心臓が、大きく跳ねた。


『僕が、お前の原型だよ』


その瞬間。


駅のガラス窓に、悠ではない少年の姿が映った。


十歳にも満たない。


黒い紐を首に巻き。


同じ目をしている。


けれど、その目には――


今の悠にはないものがあった。


恐怖も。


悲しみも。


怒りも。


すべてを知っているような、静かな目。


少年はガラスの向こうで笑った。


「初めまして」


悠は息を呑んだ。


少年は続けた。


「僕が最初の神代悠」


そして。


「君は――」


少年の姿が、ゆっくりと消えていく。


「僕から作られたんだよ」


十二時三分。


止まっていた時計が。


一斉に動き始めた。


カチッ。


カチッ。


カチッ。


その音だけが、異様なほど大きく響いた。


悠は立ち尽くしていた。


自分が何者なのか。


今まで信じてきたものが、また一つ。


音もなく崩れていく。


それでも。


悠は笑った。


ほんの少しだけ。


「……じゃあ」


その笑顔には、もう以前のような無理はなかった。


「確かめに行こうか」


鈴を握りしめる。


「俺が誰なのか」


そして。


「お前が何者なのか」


遠くで、電車の発車ベルが鳴った。


その音に混じって。


少年の声が、最後に一度だけ聞こえた。


『待ってるよ』


――最初の僕が。


悠は歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。