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壊れた僕は、今日も笑う。  作者: ニィギンヤ


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あの日の続きを

 悠は差し出された手を見つめていた。


 白い服の少年の手は、小さく、驚くほど白かった。


 触れれば、きっと思い出す。


 そう分かっているのに、身体は動かなかった。


「怖い?」


 少年が静かに尋ねる。


 悠は少し笑おうとして、やめた。


「……怖い。」


 素直に口にした瞬間、自分でも少し驚いた。


 怖いと認めることが、こんなにも苦しかったのか。


 少年はその答えを聞くと、ゆっくり手を下ろした。


「なら、大丈夫。」


「え?」


「昔のお兄ちゃんは、『怖くない』って嘘をついた。」


 少年の声には責める響きはなかった。


「今日は嘘をつかなかった。」


 玲奈が悠を見つめ、小さく頷く。


「それだけで違うよ。」


 悠は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 十二年間、笑顔で隠し続けてきたものを、少しずつ言葉にできるようになっていた。


「見る。」


 悠は立ち上がる。


「逃げない。」


 少年は一歩だけ道を開けた。


 白い光の先へ続く通路は、不思議なくらい静かだった。


 壁も床も真っ白で、足音だけが響く。


 奥へ進むほど、空気が冷たくなる。


 やがて、小さな部屋にたどり着いた。


 中央には古い木の椅子が一つ。


 向かい合わせに、もう一つ。


 その間には、小さな録音機が置かれていた。


「ここ……。」


 悠の喉が乾く。


 見覚えがあった。


「最後に話した場所。」


 玲奈が小さく呟く。


 録音機のランプが、ひとりでに点灯した。


 カチッ、と乾いた音が響く。


 ノイズのあと、幼い玲奈の声が流れた。


『お兄ちゃん。』


 悠の肩が震える。


『もし私がいなくなったらね。』


 そこで録音が一瞬乱れる。


 ザッ、と音が入り、また続く。


『絶対、自分を嫌いにならないで。』


 悠は息を呑んだ。


 ノートに書かれていた言葉とも違う。


 自分が思い込んでいた記憶とも違う。


『約束して。』


 幼い悠の声が返る。


『……約束する。』


『あとね。』


 玲奈は少し笑っていた。


『みんなを助けて。』


 時間が止まった。


 悠の瞳が大きく開く。


 録音は続く。


『私だけじゃないよ。』


『みんなだよ。』


『お兄ちゃんは、そういう人だから。』


 悠は一歩後ろへ下がった。


「違う……。」


 涙がこぼれる。


「俺は玲奈だけ助けようとしてた。」


 白い服の少年が首を横に振る。


「それは途中。」


「途中?」


「続きを見て。」


 録音機がもう一度ノイズを鳴らす。


 今度は映像だった。


 煙に包まれた実験室。


 玲奈を抱えようとする幼い悠。


 その後ろには、檻に閉じ込められた子どもたちがいた。


 幼い悠は立ち止まる。


 玲奈を見て。


 子どもたちを見て。


 泣いている。


『どうしたらいいの……。』


 その声は震えていた。


 そこで玲奈が、悠の背中を押した。


『行って。』


『でも!』


『お兄ちゃんは一人じゃない。』


 玲奈は笑った。


『みんなも連れて帰ろう。』


 幼い悠は泣きながら頷く。


 映像の中の少年は、玲奈を降ろした。


 檻へ向かって走る。


 鍵を壊す。


 一人、また一人と子どもたちを外へ出していく。


 悠はその場に立ち尽くしていた。


「俺……。」


 声が震える。


「助けようとしてた。」


 玲奈は静かに微笑む。


「うん。」


「全部。」


「全部。」


 悠は膝から力が抜けそうになった。


 今まで信じていた罪の形が、音を立てて崩れていく。


「じゃあ、あの録音は。」


 少年が答えた。


「途中だけ切り取られた。」


 悠は録音機を見つめる。


 黒瀬。


 父親。


 母親。


 誰かが、自分に『玲奈しか見ていなかった』と思わせた。


 けれど、本当は違った。


 玲奈が、自分に思い出してほしかった約束も違った。


 ――みんなを助けて。


 その約束だった。


 その瞬間、部屋の壁に亀裂が走る。


 白い空間がゆっくり崩れ始めた。


 少年の表情が初めて変わる。


「時間がない。」


「何が起きる?」


 少年は振り返り、通路のさらに奥を見た。


 白い光の向こうに、大きな扉が浮かび上がる。


 今まで誰も気づかなかった扉だった。


 扉には文字が刻まれている。


 「最終観測室」


 玲奈の顔から血の気が引いた。


「……開いちゃった。」


「玲奈?」


 玲奈は悠の腕を掴む。


「お兄ちゃん。」


 震える声で言う。


「あそこには、本物がいる。」


「本物?」


 玲奈はゆっくり頷いた。


「十二年前から、一度も眠っていない人。」


 白い扉の向こうから、ゆっくりと足音が響き始めた。

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