白い服の少年
鈴の音がした
小さく、乾いた音だった。
――チリン。
白い光の中から現れた少年は、悠たちより少し幼く見えた。
真っ白な服。
裸足。
首元には玲奈と同じ銀色の鈴。
ただ一つ違うのは、その瞳だった。
感情がない。
まるで人形のように、まっすぐ悠だけを見つめている。
玲奈が一歩下がった。
「……駄目。」
その声には、はっきりと怯えが混じっていた。
「お兄ちゃん、この子には近付かないで。」
悠は玲奈を見る。
「知ってるのか?」
玲奈はゆっくり頷いた。
「知ってる。」
少しだけ間が空く。
「一番会いたくなかった。」
少年は首を傾げた。
「玲奈。」
名前を呼ぶ声は平坦だった。
「見つけた。」
玲奈の肩が震える。
「来ないで。」
少年は歩き出す。
一歩。
一歩。
足音はしない。
鈴の音だけが廊下に響く。
悠は反射的に玲奈の前へ立った。
「止まれ。」
少年は素直に止まった。
「どうして邪魔するの?」
「玲奈が嫌がってる。」
「玲奈は。」
少年は玲奈を見たまま言う。
「帰らなきゃいけない。」
「帰る?」
「うん。」
「どこへ?」
少年は部屋の奥を指差した。
白い光のさらに向こう。
何も見えない場所。
「あそこ。」
玲奈は首を横に振る。
「違う。」
「帰らない。」
「帰る。」
「帰らない!」
玲奈が初めて大きな声を出した。
その瞬間、部屋の照明が一瞬だけ明滅する。
少年の瞳に、わずかな光が宿った。
「玲奈。」
静かな声。
「約束を破るの?」
玲奈の顔が青ざめる。
「……やめて。」
「約束したよね。」
「やめて!」
悠は二人の間へ入った。
「約束って何だ。」
少年は悠を見る。
「知らないの?」
少しだけ不思議そうな顔をした。
「お兄ちゃんが決めた約束なのに。」
悠の心臓が大きく鳴る。
「俺が?」
「うん。」
少年は胸元の鈴を握る。
「玲奈を助ける代わりに。」
その続きが出ない。
悠は息を呑む。
「代わりに、何だ。」
少年は答えようとする。
その瞬間。
「言うな!」
玲奈が叫んだ。
鈴の音が重なる。
チリン――。
部屋中のモニターが一斉に点灯した。
何十枚もの映像が映し出される。
幼い子どもたち。
実験記録。
番号だけが並ぶ画面。
そして、一枚だけ色の違う映像。
画面の中央に表示された文字。
被験者 Y-17 保護対象 R-01
悠の視線が止まる。
「R-01……。」
玲奈がゆっくり目を閉じた。
「私。」
悠は画面を見る。
玲奈の名前はどこにもない。
番号だけだった。
少年が静かに言う。
「名前は後から付いた。」
「……誰が。」
「お兄ちゃん。」
玲奈は涙を拭った。
「ここでは番号で呼ばれてた。」
「でも、お兄ちゃんだけは。」
玲奈は悠を見つめて笑う。
「玲奈って呼んでくれた。」
悠の胸が締め付けられる。
だから覚えていた。
番号ではなく、名前だけ。
その時だった。
部屋の奥のスピーカーからノイズが流れる。
ザーッ……。
そして、幼い悠の声が聞こえた。
『玲奈だけは連れて行く。』
悠が凍り付く。
録音だった。
『他はどうでもいい。』
その一言に、空気が止まる。
悠の顔から血の気が引いた。
「違う……。」
思わず声が漏れる。
「俺はそんなこと。」
玲奈が苦しそうに首を振る。
「違う。」
「違うよ、お兄ちゃん。」
けれど録音は止まらない。
『玲奈さえ助かればいい。』
『この子たちは知らない。』
『全部消えてもいい。』
悠は耳を塞いだ。
「やめろ!」
録音の声は、自分の声だった。
紛れもなく。
幼い自分の声だった。
部屋中に響き続ける。
玲奈は泣いていた。
如月も澪も言葉を失っている。
ただ一人、白い服の少年だけが静かに悠を見ていた。
「思い出した?」
悠は震える声で答える。
「……思い出したくない。」
少年は小さく頷いた。
「それが、お兄ちゃんが一番拒絶した記憶。」
悠はその場に膝をついた。
胸が苦しい。
息ができない。
自分は玲奈を助けようとした。
それは本当だ。
でも、その瞬間。
玲奈以外を見捨てようとした自分も、確かに存在していた。
その事実だけは、消えなかった。
少年は悠へ手を差し伸べる。
「続き、見る?」
その手の向こうには、白い光が広がっていた。
まだ誰も踏み入れていない部屋の最深部へ続く道だった。




