↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れた僕は、今日も笑う。  作者: ニィギンヤ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/80

約束

 約束。


 その言葉が、頭の中に引っかかっていた。


 悠は廊下の奥を見つめたまま、動かなかった。


 そこにはもう誰もいない。


 ただ、床に落ちた銀色の鈴だけが、非常灯の赤い光を受けていた。


 ――チリン。


 風が吹いたわけではない。


 それなのに、鈴は鳴った。


「……約束」


 悠は小さく呟いた。


 思い出せない。


 けれど、忘れていることだけは分かる。


 それが妙に怖かった。


「悠」


 澪が隣に立つ。


「無理に思い出さなくてもいいよ」


「……いや」


 悠は首を横に振った。


「思い出さなきゃいけない」


「どうして?」


「玲奈が待ってるから」


 口にした瞬間。


 胸の奥が痛んだ。


 まるで、ずっと閉じ込めていた何かが、内側から扉を叩いているようだった。


「俺は……あいつと約束した」


 断片的な記憶が浮かぶ。


 白い部屋。


 幼い玲奈。


 泣き腫らした目。


 そして、自分の手。


『私がいなくなっても――』


『うん』


『私のこと、嫌いにならないで』


 悠の呼吸が止まる。


「……違う」


 思わず声が漏れた。


「これは……」


 記憶が変だ。


 自分が知っている過去と、何かが噛み合わない。


 母親から聞いた話。


 父親から聞いた話。


 そして、自分自身の記憶。


 どれも少しずつ違っている。


「……俺の記憶って」


 悠は震える声で言った。


「どこまで本物なんだ?」


 誰も答えなかった。


 そのときだった。


「全部が嘘、というわけじゃないよ」


 声がした。


 振り返る。


 そこにいたのは――母親だった。


「……母さん」


 悠の身体が強張る。


 母親はゆっくりと歩いてくる。


 疲れ切った顔をしていた。


「あなたの記憶は、消されたものばかりじゃない」


「じゃあ、何なんだよ」


「順番を変えられたの」


「……順番?」


「そう」


 母親は立ち止まった。


「出来事そのものを消すより、その前後を入れ替えたほうが……人間は簡単に騙されるから」


 悠の顔から血の気が引いた。


「俺は……騙されてた?」


「そう」


「誰に?」


 母親は目を伏せる。


「私たちに」


 悠は拳を握った。


「……玲奈は?」


「生きてる」


「本当に?」


「ええ」


「じゃあ、どうして俺は忘れてた」


 母親はしばらく黙っていた。


 そして。


「あなたが、玲奈を拒絶したから」


 悠の目が見開かれる。


「……俺が?」


「違う」


 母親はすぐに首を横に振った。


「あなたが拒絶したのは、玲奈そのものじゃない」


「じゃあ何を……」


「玲奈が受けていた実験を」


 悠は息を呑んだ。


「あなたは、玲奈を助けようとした」


 母親の声が震える。


「でも、間に合わなかった」


「……何があった?」


「あなたは泣いていた」


「俺が?」


「ええ」


 母親は目を閉じる。


「そして初めて、笑わなかった」


 悠の胸が締め付けられる。


「あなたは言ったの」


 母親が、静かに続けた。


「――こんな世界、いらないって」


 その瞬間。


 施設全体が揺れた。


 壁の一部が音もなく消える。


 床に落ちていた機械も。


 古びた実験台も。


 そして。


 悠の手の中にあった銀色の鈴まで。


 淡い光に包まれていく。


「……悠!」


 澪が叫ぶ。


 だが、悠には聞こえていなかった。


 頭の中に。


 最後の記憶が浮かんでいた。


 泣いている玲奈。


 その前に立つ幼い自分。


 そして――


 自分の背後に立つ父親。


『悠』


『その力を使えば、全部終わらせられる』


 幼い悠は震えながら首を振った。


『嫌だ』


『怖いか?』


『違う』


 少年は泣きながら答えた。


『玲奈がいなくなるのが嫌なんだ』


 父親が笑う。


『なら、拒絶しろ』


 そして。


 悠は――


「……あ」


 目を見開いた。


 思い出した。


 あの日。


 自分が消そうとしたものは。


 実験施設だけじゃなかった。


「俺は……」


 声が震える。


「玲奈が苦しむ世界そのものを……」


 その言葉の続きを。


 誰かが引き継いだ。


「そうだよ、お兄ちゃん」


 背後から。


 懐かしい声。


 悠が振り返る。


 そこには玲奈が立っていた。


 今度は。


 消えかけてもいない。


 逃げもしない。


 ただ、まっすぐ悠を見つめていた。


「だから私、消えなかったんだよ」


 玲奈は微笑んだ。


「お兄ちゃんが拒絶した世界の中に――」


 一歩。


 悠へ近づく。


「私だけは、残してくれたから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。