拒絶の果て
「施設そのもの……?」
澪の声が震えた。
悠は答えなかった。
答えられなかった。
目の前で。
壁が消えている。
崩れているんじゃない。
砕けているんでもない。
最初からそこに存在しなかったかのように。
静かに。
確実に。
消えていく。
「まずい……!」
黒瀬が端末を操作する。
「何をしている!」
父親が叫ぶ。
「止めろ!」
「止められない!」
黒瀬が画面を叩く。
「これはシステムの破壊じゃない!」
「じゃあ何だ!」
「存在そのものを……拒絶している!」
その言葉に。
悠は黙った。
父親がこちらを見る。
「悠」
「……何?」
「お前は今、自分が何を消しているのか理解しているのか」
悠は少し考えた。
そして。
首を横に振った。
「分からない」
「なら、今すぐ力を止めろ!」
「……止め方も分からない」
「悠!」
「でも」
悠は鈴を見る。
鈴はまだそこにいた。
完全には消えていない。
「これだけは分かる」
悠は呟いた。
「俺は、この場所を残したくない」
その瞬間。
――ズン。
大きな衝撃が走った。
床が消える。
「きゃっ!」
澪がバランスを崩した。
「澪!」
悠が手を伸ばす。
その腕を。
鈴が掴んだ。
「大丈夫」
「……鈴?」
「僕がいるから」
鈴の身体が。
淡く光った。
次の瞬間。
澪の足元にあったはずの穴が。
元に戻った。
「……え?」
悠が目を見開く。
鈴は少し驚いた顔をして。
自分の手を見る。
「僕にも……できるみたい」
「何が?」
「お兄ちゃんが消したものを」
鈴は微笑んだ。
「少しだけ、戻せる」
「……」
悠は理解した。
自分が「拒絶」する力なら。
鈴は。
その逆なのかもしれない。
「だから……」
鈴が悠を見る。
「一緒にやろうよ」
「何を?」
「お兄ちゃんが消す」
「僕が戻す」
「それなら――」
鈴は笑った。
「全部なくならないよ」
悠の胸が。
少しだけ熱くなった。
「……それ」
「うん?」
「ずるいな」
「何が?」
「消えそうな奴が、そんなこと言うなよ」
「ふふ」
鈴は笑った。
けれど。
その身体は。
また少しずつ透け始めていた。
◇
「神代!」
黒瀬が叫ぶ。
「このままじゃ全員死ぬぞ!」
悠は黒瀬を見る。
「……そう」
「そう、じゃない!」
「じゃあどうすればいい?」
「力を止めろ!」
「だから、止め方が分からないって言ってる」
「なら――」
黒瀬が一歩踏み出した。
「俺を拒絶しろ」
「……え?」
「俺を消せばいい!」
澪が叫ぶ。
「黒瀬さん!」
「こいつの力は、対象を選ぶ!」
黒瀬は両腕を広げた。
「なら俺を対象にすれば、施設への拒絶は止まる!」
「……本気?」
「本気だ」
悠は黒瀬を見つめた。
そして。
ゆっくり首を横に振った。
「嫌だ」
「……なぜだ」
「俺はもう」
悠は拳を握った。
「誰かを殺して終わらせるのは、嫌なんだ」
黒瀬の目が揺れる。
「……お前は」
「何?」
「本当に変わったな」
悠は苦笑した。
「そうかな」
「昔のお前なら――」
黒瀬が言葉を止める。
悠の脳裏に。
一瞬だけ。
赤い景色が浮かんだ。
誰かの叫び。
震える手。
銀色の鈴。
そして。
自分自身の声。
――嫌だ。
――もう嫌だ。
悠は頭を押さえた。
「……っ」
「悠!」
澪が駆け寄る。
「大丈夫?」
「……うん」
大丈夫。
そう言おうとして。
やめた。
「いや」
悠は正直に言った。
「ちょっと……怖い」
澪は何も言わなかった。
ただ。
隣に立った。
「じゃあ、一緒にいる」
「……ありがとう」
鈴も笑う。
「僕もいるよ」
三人が並ぶ。
その瞬間。
施設の最深部から。
今まで聞いたことのない音声が流れた。
『最終実験を再定義します』
『対象――神代悠』
『目的――』
一拍。
そして。
機械音声が告げた。
『神代悠自身を、拒絶させる』
悠の笑顔が。
初めて完全に消えた。
「……俺自身を?」
鈴が呟く。
「お兄ちゃん……」
父親が。
青ざめた顔で言った。
「そういうことか……」
「父さん?」
「お前の力は」
父親は悠を見つめる。
「世界を拒絶する力じゃない」
そして。
ゆっくりと。
恐ろしい答えを口にした。
「自分自身を拒絶した時が、一番強い」
悠の胸の奥で。
何かが。
静かに鳴った。
――チリン。




