笑顔の裏側
逃げる。
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その言葉を口にした瞬間。
悠は自分でも分からないほど自然に笑っていた。
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「こっち。」
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廊下の先を指差す。
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「この建物。」
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「昔と構造が同じなら。」
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「地下へ行ける。」
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如月が目を細める。
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「……覚えてるのか?」
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「全部じゃない。」
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「でも。」
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「身体が知ってる。」
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三人は走り出す。
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背後から。
足音が近付いてくる。
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コツ。
コツ。
コツ。
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「止まれ!」
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黒瀬の声。
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悠は振り返らない。
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「止まったら。」
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「捕まるよ。」
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「分かってる。」
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その声は。
いつもの悠だった。
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明るく。
軽く。
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何も怖くないように。
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けれど。
胸の奥では。
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――怖い。
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――怖い。
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――怖い。
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ずっと。
叫び続けている。
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それでも。
悠は笑う。
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「大丈夫。」
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自分に言い聞かせるように。
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「大丈夫だから。」
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◇
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地下へ続く階段。
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三人が駆け下りる。
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途中。
悠が足を止めた。
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「……ここ。」
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壁に手を触れる。
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指先が。
古い傷跡に触れる。
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頭の中に。
一瞬だけ映像が流れた。
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小さな手。
血。
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そして。
誰かに渡された鍵。
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「……。」
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悠は。
何も言わない。
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「悠?」
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「なんでもない。」
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笑う。
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澪は。
その顔を見ていた。
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「……また。」
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「え?」
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「その笑い方。」
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「何が?」
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「無理してる。」
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悠は。
少しだけ黙った。
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「……分かる?」
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「分かるよ。」
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澪は。
悲しそうに笑う。
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「十二年前から。」
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その言葉に。
悠の笑顔が。
一瞬だけ止まる。
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「僕。」
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「昔から。」
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「こんな感じだった?」
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「うん。」
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「嫌なことがあっても。」
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「怖くても。」
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「泣きそうでも。」
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「笑ってた。」
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「どうして?」
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澪は答えない。
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代わりに。
地下の奥を指差した。
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「見れば。」
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「分かる。」
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そこには。
古びた鉄扉。
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扉の上に。
小さなプレートがある。
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『第七実験室』
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悠の足が。
止まった。
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「……実験室。」
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胸が苦しくなる。
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それでも。
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扉へ近付く。
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「開けるよ。」
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「待て。」
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如月が腕を掴む。
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「俺が開ける。」
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「大丈夫。」
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「悠。」
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「……。」
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如月を見る。
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「ありがとう。」
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「でも。」
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「これは。」
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「僕が開けなきゃいけない気がする。」
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如月は。
しばらく黙った。
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そして。
手を離す。
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「……分かった。」
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悠が。
扉へ手を伸ばす。
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指先が触れた瞬間。
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頭の中で。
声が響いた。
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『悠くん。』
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『お願い。』
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『絶対に開けないで。』
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澪の声。
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「……。」
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悠は。
ゆっくり振り返る。
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「澪。」
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「何?」
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「昔。」
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「ここを開けた?」
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澪の顔から。
血の気が引いた。
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「……ううん。」
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答えが。
少しだけ遅かった。
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悠は。
笑ったまま。
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「そっか。」
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扉を開ける。
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ギィィィ……。
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暗い部屋。
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中央には。
古い椅子。
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その隣に。
小さな机。
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そして。
机の上には。
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一枚の写真。
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三人の子ども。
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悠。
零。
澪。
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その写真の裏には。
幼い字で。
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『ここで、悠くんが笑った日。』
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悠の指が。
震える。
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「……何だよ。」
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誰に向けた言葉なのか。
自分でも分からない。
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「ここで。」
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「僕は。」
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「何をしたんだ。」
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返事はない。
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ただ。
部屋の奥から。
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カチッ。
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小さな音がした。
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三人が振り向く。
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壁の一部が。
ゆっくり開いていく。
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その奥に。
もう一つの部屋。
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そして。
壁いっぱいに貼られた。
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十二年前の記録写真。
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その中央。
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一枚だけ。
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黒く塗り潰されていた。
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写真の下には。
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『最終記録』
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悠は。
その前に立つ。
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そして。
初めて。
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笑わなかった。




