消えた名前
ザーッ。
⸻
窓を叩く雨音で目が覚めた。
⸻
カーテンの隙間から見える空は、まだ薄暗い。
⸻
夢は見なかった。
⸻
……いや。
⸻
覚えていないだけかもしれない。
⸻
ベッドの横に置いた鞄へ目を向ける。
⸻
その中には。
⸻
真鍮の鍵。
⸻
そして。
⸻
幼い頃の写真。
⸻
昨日までなら、触れることも怖かった。
⸻
なのに今日は。
⸻
自然と写真を手に取っていた。
⸻
「……三人。」
⸻
自分。
⸻
如月。
⸻
そして。
⸻
切り取られた誰か。
⸻
写真の端を指でなぞる。
⸻
「君は……誰なんだ。」
⸻
返事はない。
⸻
◇
⸻
「神代。」
⸻
教室へ入るなり、如月が声を掛けてきた。
⸻
「昼休み。」
⸻
「少し付き合え。」
⸻
「また急だね。」
⸻
「理由は?」
⸻
「見せたいものがある。」
⸻
それだけ言うと。
⸻
如月は自分の席へ戻っていった。
⸻
朝倉が不思議そうにこちらを見る。
⸻
「最近。」
⸻
「如月君と話すこと増えたね。」
⸻
「……うん。」
⸻
「でも。」
⸻
「何を考えてるか分からない。」
⸻
「それは私も。」
⸻
二人は苦笑した。
⸻
◇
⸻
昼休み。
⸻
如月に連れられて来たのは。
⸻
図書室の奥。
⸻
立入禁止と書かれた古い資料室だった。
⸻
「先生に怒られない?」
⸻
「許可は取ってある。」
⸻
扉を開ける。
⸻
古い紙の匂い。
⸻
何十年も前のアルバムや新聞が並んでいる。
⸻
「探せ。」
⸻
「何を?」
⸻
「鳳園。」
⸻
その名前だけで。
⸻
胸がざわつく。
⸻
棚を探す。
⸻
数分後。
⸻
一冊の分厚いアルバムを見つけた。
⸻
表紙には。
⸻
『鳳園 卒園アルバム』
⸻
ページを開く。
⸻
子どもたちの笑顔。
⸻
運動会。
⸻
誕生日会。
⸻
クリスマス。
⸻
どの写真にも。
⸻
自分がいる。
⸻
「……。」
⸻
見覚えがある。
⸻
少しずつ。
⸻
本当に少しずつ。
⸻
思い出していく。
⸻
「これ。」
⸻
ページをめくる手が止まる。
⸻
三人で写った写真。
⸻
昨日見たものと同じだ。
⸻
違うのは。
⸻
切り取られていないこと。
⸻
「……!」
⸻
悠は息を呑む。
⸻
そこには。
⸻
一人の少女が写っていた。
⸻
少し癖のある短い髪。
⸻
屈託のない笑顔。
⸻
そして。
⸻
写真の下には。
⸻
三人の名前。
⸻
『神代 悠』
⸻
『如月 零』
⸻
『白崎 澪』
⸻
「白崎……澪。」
⸻
初めて。
⸻
名前を口にした。
⸻
その瞬間。
⸻
頭の中で。
⸻
何かが弾ける。
⸻
『悠!』
⸻
『零!』
⸻
『早くー!』
⸻
少女が笑って走っている。
⸻
三人で追い掛け合う。
⸻
転んで。
⸻
笑って。
⸻
夕焼けの庭。
⸻
何気ない。
⸻
幸せな日々。
⸻
「澪……。」
⸻
自然と涙が零れた。
⸻
でも。
⸻
その次の記憶だけは。
⸻
どうしても。
⸻
霧が掛かったように見えない。
⸻
如月が静かに口を開く。
⸻
「思い出したか。」
⸻
「……名前だけ。」
⸻
「それで十分だ。」
⸻
しかし。
⸻
如月の表情は。
⸻
少しも安心していなかった。
⸻
むしろ。
⸻
恐れていた。
⸻
「神代。」
⸻
「次の記憶は。」
⸻
「たぶん。」
⸻
「一番苦しい。」
⸻
その言葉に。
⸻
悠はアルバムを抱きしめることしかできなかった。




