知らないはずの名前
翌朝。
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ほとんど眠れなかった。
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目の下には薄く隈ができている。
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鏡を見る。
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「……。」
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笑う。
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いつもの笑顔。
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「よし。」
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学校へ向かう。
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◇
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「神代!」
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「おはよう!」
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「おはよう。」
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教室。
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いつも通りの朝。
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昨日の事故なんて。
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もう誰も話していない。
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平和だった。
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でも。
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僕の鞄には。
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あの紙が入っている。
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『やっと見つけた。』
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誰にも見せていない。
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見せられない。
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◇
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一時間目。
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担任が教室へ入る。
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「今日は転入生を紹介する。」
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教室がざわつく。
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「この時期に?」
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「珍しいな。」
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扉が開く。
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一人の男子生徒。
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制服は新品。
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黒髪。
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背は悠と同じくらい。
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表情は。
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不思議なくらい穏やかだった。
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「自己紹介を。」
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担任が促す。
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男子生徒は一礼する。
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「如月 零です。」
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「よろしくお願いします。」
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それだけ。
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静かな声だった。
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「席は……神代の隣だ。」
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え?
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教室がざわつく。
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如月はゆっくり歩いてくる。
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そして。
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僕の隣へ座る。
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「よろしく。」
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笑顔で声を掛ける。
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如月は。
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僕を見た。
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一瞬だけ。
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目が合う。
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その瞬間。
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背筋が凍った。
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知っている。
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……そんなはずない。
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会ったことなんて。
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一度もない。
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なのに。
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その目を。
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どこかで見た気がした。
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「よろしく。」
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如月は小さく笑う。
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その笑顔に。
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温かさはなかった。
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◇
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昼休み。
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「転入生!」
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「前の学校どこ?」
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如月は質問攻めだった。
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「色々。」
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「転校が多くて。」
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曖昧な返事。
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誰も気にしない。
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でも。
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僕だけは。
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視線を感じていた。
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如月は。
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ずっと。
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僕を見ている。
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◇
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放課後。
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「神代。」
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担任に呼び止められる。
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「ちょっと資料を運んでくれ。」
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「分かりました。」
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職員棟へ向かう。
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廊下。
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人気はない。
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「神代悠。」
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後ろから声。
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振り返る。
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如月だった。
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「何?」
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「やっと。」
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静かに微笑む。
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「会えた。」
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心臓が跳ねる。
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「……え?」
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「覚えてないか。」
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「まあ。」
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「当然だよな。」
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何を言っている?
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知らない。
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本当に。
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知らない。
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「君は。」
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「全部忘れたんだから。」
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その言葉と同時に。
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頭の奥で。
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激しい痛みが走る。
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『笑え。』
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『泣くな。』
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『お前だけでも生きろ。』
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知らない声。
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知らない景色。
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赤い床。
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小さな手。
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「っ……!」
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膝をつく。
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「神代!」
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如月が近付く。
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その手を。
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反射的に払いのけた。
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「触るな!!」
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廊下に響く叫び。
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静まり返る校舎。
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悠自身も。
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何が起きたのか分からなかった。
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如月は驚かなかった。
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むしろ。
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悲しそうに笑う。
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「やっぱり。」
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「まだ残ってる。」
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「……何が。」
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震える声で問う。
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如月は答えない。
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ただ。
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立ち去る直前。
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一言だけ残した。
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「今度は。」
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「逃げないで。」
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悠はその場から。
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一歩も動けなかった。
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その日の夕焼けは。
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まるで。
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血のように赤かった。




