表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

94/125

第94話 民が笑っている〜アルブレヒト視点〜

「……少し、街を歩きたい」


護衛に声をかけた。


「かしこまりました。ご案内します」


止めない。相変わらず、止めない。


敵国の王子が街を歩きたいと言っているのに。何の警戒もなく、当然のように準備を始める。


夏の朝だった。空は青く、雲一つない。陽射しが眩しく、汗が滲む。蝉の声が、どこからか聞こえてくる。


屋敷を出ると、暑い空気が肌を撫でた。


じっとりと湿気を含んだ風。ノルデンの夏とは違う。向こうはもっと乾いていた。カラッとした暑さだった。


ここの夏は、まとわりつくような暑さだ。




街に出て、最初に驚いたのは道路だった。


足元の感触が、違う。


「この石畳……均一だな」


「帝国標準です。主要街道はどこでも同じ品質で整備されています。なんでもマカダム舗装というらしいですよ?」


「マカダム……ノルデンの首都より……歩きやすいな」


護衛は、淡々と答えた。自慢するでもなく、当然のことを説明するように。


「摂政殿下のご方針です。物流が良くなれば経済が回る、と」


「……」


見下ろす。石畳は隙間なく敷き詰められている。水はけの溝も、計算されて配置されている。段差もない。均一だ。


道路一つで、これほど変わるものなのか。


ノルデンの首都は、石畳がガタガタだった。雨が降れば水たまりができ、馬車は揺れた。それが当たり前だと思っていた。王城の前だけは整備されていたが、少し離れれば泥濘の道だった。


「……」


俺は、黙って歩き続けた。


通りには人が行き交っている。商人、職人、主婦、子供。誰も俺を気にしない。敵国の王子が歩いているというのに。


いや──彼らにとって、俺はただの「新しい住人」だ。敵でも味方でもない。気にする価値もないのだろう。




市場に足を踏み入れた。


活気が、耳を打った。


「いらっしゃい! 今日は新鮮な魚が入ってるよ!」

「お母さん、あれ買って!」

「はいはい、おやつは一つだけよ」


俺は、足を止めた。


笑っている。


民が、笑っている。


商人が大きな声で呼び込みをしている。顔は汗だくだが、笑っている。客が品定めをしながら、値切り交渉をしている。笑いながら。子供が母親の手を引いて、菓子屋の前で駄々をこねている。母親は困った顔をしているが、目は優しい。


ノルデンでは……こんな顔をしていたか?


思い出そうとする。ノルデンの市場を。ノルデンの民を。


……思い出せない。いや、思い出せる。だが、こんなに笑っていただろうか。こんなに活気があっただろうか。


俺は──民の顔を、見ていたか?


市場は活気に溢れていた。商人が声を張り上げ、客が品定めをし、子供が駆け回る。果物の匂い、魚の匂い、焼きたてのパンの香り。色とりどりの商品が並び、陽光が屋根の隙間から差し込んでいる。


「旦那、これ美味いよ! 食べてみな!」


商人が、俺に声をかけてきた。果物を差し出している。


「……」


「遠慮すんなって! ほれ、美味いから!」


護衛が小さく頷いた。受け取っていい、という合図だ。


俺は果物を受け取り、一口齧った。


甘い。みずみずしい。美味い。


「な? 美味いだろ?」


商人は笑っている。敵国の王子に果物を勧めて、笑っている。


俺が誰か、知らないのだろう。知っていても、気にしないのかもしれない。


当たり前の光景。だが、俺には見慣れない光景だった。




商人たちの会話が、耳に入った。


「今月の税、払ったか?」


「ああ。相変わらず明朗会計だな」


「昔は役人に袖の下を渡さなきゃならなかったのにな」


「摂政殿下様々だよ。あの人が来てから、税の取り立てが公平になった」


「うちの婆さんも『帝国万歳』って言ってるよ」


商人たちは笑っていた。軽口を叩き合いながら、荷物を運んでいる。


俺は、言葉を失った。


税が公平。賄賂がいらない。


ノルデンでは、税の取り立ては役人の裁量だった。気に入らない農民からは多く取り、賄賂を渡す商人からは少なく取る。それが当然だった。誰も疑問に思わなかった。俺も──疑問に思わなかった。


それが普通だと思っていた。どの国でもそうだと思っていた。


ここでは、違うのか。


あの化け物は、こんなところまで──


「殿下、そろそろお戻りになりますか?」


護衛が声をかけてきた。陽が傾き始めている。


「……ああ」


俺は、市場を後にした。




帰り道、俺は考え続けた。


夕陽が街を赤く染めている。影が長く伸び、空が橙色に変わっていく。商人たちが店を閉め始め、子供たちが家路を急いでいる。


一日が終わる。平和な一日が。


俺たちは、何と戦っていたんだ。


5万の兵を率いて、この国に攻め込んだ。民を守るために、と思っていた。ノルデンの誇りのために、と思っていた。


だが……。


遥か遠くから兵を撃ち抜く武器。大地を裂く爆発。鉄の城門すら溶かす炎。


そんな力を持つ国の民が……笑っている。


税は公平だ。道路は整備されている。市場は活気に満ちている。商人は見知らぬ客にも果物を勧め、子供は母親に甘え、主婦は井戸端で笑い合っている。


守るべきノルデンの民より、幸せそうじゃないか。


俺は、何のために戦った。


何のために、あれだけの兵士を死なせた。


民を守るため? 違う。俺が守ろうとしていたのは──ノルデンの「誇り」だ。父上を臆病者と呼び、「雪辱を」と叫んでいた、俺自身の誇りだ。


民のことなど──考えていなかった。


ノルデンの民は、笑っていたか? 俺は見ていたか? 市場を歩いたことがあったか? 民の声を聞いたことがあったか?


……なかった。


王城にいて、貴族と話し、剣を振り、戦略を学んだ。それが王子の務めだと思っていた。


民のことなど、考えたこともなかった。


屋敷が見えてきた。夕陽が窓に反射して、赤く輝いている。


俺は──何のために、生きているのだろう。


何のために──ここにいるのだろう。


……答えは、まだ見つからなかった。


足が重い。心が重い。


門をくぐり、屋敷に入った。使用人が出迎えてくれる。丁寧な挨拶。温かい湯浴みの用意。美味い夕食。


何もかもが、整っている。


何もかもが、優しい。


それが──余計に、胸を締めつけた。


帝国の夏は、まだ終わらない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ