第90話 戦争の総括
戦争が終わった。
私たちは帝都への帰路についていた。馬車の窓から、通り過ぎる風景を眺める。焼けた畑。崩れた家屋。道端に転がる、焦げた木材。
……これが、戦争の跡か。
お嬢様は向かいの席で、紅茶を飲んでいた。まるで散歩の帰りのように、穏やかな顔で。
「静かね」
「はい……」
「何か聞きたいことがある顔ね」
私は、少し迷った。だが──聞かずにはいられなかった。
「……お嬢様」
「何?」
「今回の戦争……なぜ、あれほど一方的だったのですか」
5万の軍勢が、半日で壊滅した。城門が、紙のように溶けた。私には、何が起きたのか分からなかった。
「ギュンター、説明してあげて」
お嬢様は、窓の外に声をかけた。
「おう」
馬車の隣を走っていたギュンターさんが、馬を寄せてきた。
「まあ、まずはライフルだな」
「ライフル……?」
ギュンターさんは、腰に差していたものを抜いた。細長い、黒光りする筒。見たことのない形だ。
「鉄の弾を、火薬の力で飛ばす武器だ」
「火薬で……弾を?」
「弓は人の腕力で矢を飛ばすだろう? こいつは火薬が爆発する力で弾を飛ばす。人の力なんざ比べもんにならねえ」
「……」
「しかもな、この筒の内側に螺旋状の溝が刻んであるんだ」
「螺旋……?」
「弾が回転しながら飛ぶ」
私には、よく分からなかった。
「独楽が回転すると安定するだろう? 弾も同じだ。回転すると真っ直ぐ飛ぶ」
「あ……」
独楽なら分かる。回転している間は倒れない。止まると、ふらふらと倒れてしまう。
「弩は50メートルがやっとだろう? こいつは300メートル先を狙える」
「6倍……」
「敵が射程に入る前に、一方的に撃てるってわけだ」
「……」
「それとな、火薬も特別だ」
「火薬?」
「普通の火薬は撃つと煙がもうもうと上がる。どこから撃ってるか丸わかりだ」
「……」
「だがこいつに使う火薬は、煙がほとんど出ねえ。無煙火薬ってやつだ」
「煙が出ない……」
「どこから撃たれてるか分からねえまま、次々と仲間が倒れていく。そりゃあパニックにもなるわな」
私は、戦場の光景を思い出した。
ノルデン軍が丘に向かって突撃していく。だが──届く前に、次々と倒れていった。まるで見えない壁にぶつかるように。
あれは、この銃のせいだったのか。
「こいつはな、3年前から秘密裏に開発してたんだ」
ギュンターさんが付け加えた。
「3年前……?」
「ああ。嬢ちゃんがこの国に硝石があると知った時からだ」
「硝石?」
「火薬の材料だ。ヨハンの坊主が鉱物を集めててな、その中に硝石があった。それを知った嬢ちゃんが、俺んとこに来たのが始まりだ」
私は思い出した。第一次ノルデン戦争の後、お嬢様が「次は私が出なくていい戦い方を作る」とおっしゃっていたことを。
「誰にも悟られねえよう、山奥の工房で作り続けた。兵士の訓練も、人目につかねえ場所でやった」
「……」
「3年だ。3年かけて、この日のために準備してたんだ」
お嬢様は何も言わず、窓の外を見ていた。その横顔からは、何も読み取れなかった。
「次は、ダイナマイトだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の体が強張った。
あの光景が蘇る。
大地が裂け、炎が噴き上がり、兵士たちが吹き飛ばされた。轟音。悲鳴。土煙。
「ニトログリセリンって液体があってな」
ギュンターさんは淡々と続けた。
「非常に不安定で、少しの衝撃で爆発する超危険物だ」
「……」
「それを珪藻土……土の一種に染み込ませて安定させたのがダイナマイトだ」
「安定させた……?」
「持ち運べるようになったってことだ」
お嬢様が口を挟んだ。
「以前は『いつ爆発するかわからない』代物だったのよ。運ぶのに命懸けだった」
「……それで、あの威力を」
「200メートルの範囲を吹き飛ばせる」
私は言葉を失った。
200メートル。それだけの範囲が、一瞬で死の領域になる。何千人もの兵士が、逃げる間もなく。
「最後は、テルミットだ」
「城門を溶かした、あれですか」
私は、あの光景を思い出した。
分厚い鉄の城門が、赤く輝き、ドロドロと溶けていく。まるで蝋燭のように。
「アルミの粉と、身近にある別の粉を混ぜたものだ」
「……」
「点火すると、3000度の熱を発する」
「3000度……」
私には、その数字が実感できなかった。
「鉄の融点は1500度だ。城門なんざ、紙みてえに溶ける」
お嬢様が付け加えた。
「籠城という選択肢を、無意味にしたのよ」
「……」
「城壁があっても、溶かせばいい」
籠城。
敵に攻められた時、城に立てこもって援軍を待つ。それが、戦の常識だった。城壁があれば、少ない兵力でも持ちこたえられる。
だが──城壁が溶けるなら。
「防御って概念が、崩れたんだ」
ギュンターさんは、そう締めくくった。
「……お嬢様」
「何?」
「これらは全て……3年前から準備されていたのですか」
「そうよ」
お嬢様は、紅茶のカップを置いた。
「……最初から、こうなると分かっていた?」
「来るでしょうね、とは思ってたわ」
お嬢様は、微笑んだ。
「だから、準備して待っていたのよ。3年間」
「……」
「ほら、最初にノルデンが攻めてきた時、あなたに言ったじゃない」
「え?」
「『まだ準備できてない』って」
私は思い出した。3年前、お嬢様が単身で敵陣に乗り込む前のことを。
『お嬢様、どうして自分から捕まりに?』
『準備ができてないのよ。今戦っても、被害が出る』
あの時──お嬢様は、悔しそうな顔をしていた。自分が出なければ兵士が死ぬ、と。だから自分で片付けると。
「だから準備したのよ。次は私が出なくても勝てるように」
「……」
「それに、圧倒的な勝利にする必要があったの」
「圧倒的な……?」
「中途半端に勝っても意味がないわ」
お嬢様は、窓の外を見た。まだ焼け跡が残る風景を。
「互角の戦いだったら、『次は勝てるかもしれない』と思うでしょう?」
「……」
「僅差の勝利だったら、『運が悪かっただけだ』と思うでしょう?」
「……はい」
「だから、圧倒的に勝つ必要があった」
お嬢様は、私に向き直った。
「これ以上の戦争は無駄だと、体で理解させる必要があったの」
「……」
「戦場に巨大な穴が開いた。城門が紙のように溶けた。弓が届く前に、兵士が倒れていった」
お嬢様の目は、どこまでも冷たかった。
「見た者は二度と忘れない。語り継がれる。『帝国に逆らえば、ああなる』と」
「……」
「効果あったでしょう?」
私は、答えられなかった。
確かに──効果はあった。ノルデン王は、自ら併合を願い出た。属国ではなく、併合を。二度と戦いたくないと、そう言わんばかりに。
私は、背筋が寒くなった。
この方は──
3年前の時点で、今日のことを見越していた。
敵が攻めてくることも。
それを一方的に叩き潰すことも。
その後の併合も。
全て、計算の上だった。
多くの兵士が死んだ。その一人一人に、家族がいたはずだ。待っている人がいたはずだ。
それを──3年前から、分かっていて。
待っていた。
「エマ」
「はい」
「怖い?」
私は、言葉に詰まった。
──怖い。
正直に言えば、怖い。
この方の頭の中が、全く見えない。どこまで先を見ているのか。何を考えているのか。私には、欠片も理解できない。
「……少し」
「正直ね」
お嬢様は、窓の外を見た。
「……」
「でも、あなたは離れないでしょ?」
それは、質問ではなかった。確認だった。
「……はい」
私は、自分でも不思議だった。
怖いのに、離れようとは思わない。この方の傍にいることが、私の居場所だと感じている。なぜだか分からないけれど。
「なぜ?」
「……わかりません」
「ふうん」
お嬢様は、少しだけ笑った。
「まあ、いいわ」
馬車が、緩やかな丘を越えた。
窓の外に、帝都の街並みが見え始めた。煙突から立ち上る煙。行き交う馬車。活気のある市場。
戦場とは、全く違う景色だった。
「これからが本番よ」
お嬢様は、帝都を見つめながら言った。
「戦争より、統治の方が難しいの」
──戦争より、統治の方が難しい。
私は、その言葉を噛み締めた。
5万の敵を滅ぼすより、100万の民を治める方が難しい。この方は、それを分かっている。
「ノルデンを併合した。これで帝国は大陸最大の国家になったわ」
「……」
「でも、大きくなればなるほど、統治は難しくなる」
お嬢様は、私に向き直った。
「エマ、あなたにも手伝ってもらうわ」
「……私はメイドです」
「知ってる」
「……」
「だから頼むのよ」
私には、その言葉の意味が分からなかった。
だが──断れないことだけは、分かった。
「……はい、お嬢様」
馬車は、帝都の門をくぐった。
戦争は終わった。
だが──この方の戦いは、まだ終わっていないのだ。




