第86話 籠城〜アルブレヒト視点〜
「城門を閉じろ! 籠城だ!」
俺は叫んだ。
「殿下、お怪我が……」
「構うな!」
肩に矢が刺さっている。足も動かない。だが、そんなことはどうでもいい。
城壁があれば──城壁があれば守れる。
国境沿いの小さな城。本来なら前線の拠点として使う予定だった。まさかここに逃げ込むことになるとは。
俺たちは壊走した。
5万の軍勢が、1万にも満たない敵に──いや、あれを「敵」と呼んでいいのかすらわからない。
爆発。
あの地獄から這い出て、ここまで辿り着いた兵士は──数えたくなかった。
「殿下、敵が近づいてきます!」
城壁の上から兵士が叫ぶ。
「撃て! 矢を射かけろ!」
弓兵たちが構える。城壁の上から、矢の雨が降り注いだ。
──これだけ撃てば、近づけるはずがない。
だが。
「……当たらない?」
「何?」
「矢が……当たらないんです!」
俺は城壁の端に身を寄せ、下を覗いた。
異様な光景だった。
老人が、矢の雨の中を歩いてくる。白髪で、背中に何かを──いや、誰かを背負っている。
子供だ。
金色の髪の、小さな子供。老人の背に乗りながら、飛んでくる矢を──手で払い落としている。
「……っ」
何だ、あれは。
9歳の小娘だと聞いていた。父上を怯えさせた、帝国の摂政。
──あれが。
あれが、シャルロッテか。
「殿下、あの子供……人間じゃ……」
「撃ち続けろ! 撃ち続けろ!」
だが、矢は届かない。老人の歩みは、止まらない。
二人が城門の前で止まった。
子供が老人の背から降りる。老人が何かを城門に取り付けた。
そして──二人は、そのまま100メートルほど後退した。
「……?」
何をしている?
その時、声が響いた。
「城門の近くにいる者は離れなさい」
子供の声だった。だが、戦場に響き渡るほど通る声だった。
「死にたくなければ、今すぐよ」
──何を言っている?
「30数える。それまでに離れなかった者は、死ぬわ」
兵士たちがざわめく。だが、誰も動かない。城門を守るのが兵士の務めだ。子供の脅しに怯えて持ち場を離れるわけには──
「……30, 29, 28……」
数え始めた。
「殿下、どうしますか」
「動くな! 持ち場を離れるな!」
俺は叫んだ。あんな子供の言葉に従えるか。
「……3, 2, 1」
シャルロッテが松明を投げた。
100メートル先から投げた松明が、城門に取り付けられた何かに──正確に命中する。
次の瞬間──
シュウウウウ……
白い光が、城門を包んだ。
「な……何だ……」
見たこともない炎だった。白く、眩しく、太陽のように輝いている。
城門の前に立っていた門番が──
「──っ!?」
悲鳴すら上げられなかった。
光に呑まれた瞬間、彼は──消えた。骨も残らない。あの光に触れた部分から、蒸発するように。
──警告は、本気だったのか。
城門が──溶けていく。
「城門が……城門が溶けて……!」
「嘘だ……」
鉄が。石が。液体のように流れ落ちていく。
「嘘だ……嘘だ……」
城壁があれば守れる。そう信じていた。だが、あの炎の前では──城壁など、意味がない。
城門があった場所に、穴が空いていた。
その向こうに、シャルロッテが立っている。
声が響いた。9歳の子供の声とは思えない、冷たい声が。
「籠城は無意味よ」
「……」
「降伏するなら今」
「しないなら──」
シャルロッテが、手に持った何かを掲げた。
「次は中に落とすわ」
俺は──何と戦っていたんだ。
5万の軍勢。3000挺の連弩。1000騎の重装騎兵。
全て、無意味だった。
茫然と、城門があった場所を見つめていた。あの白い炎が、まだ目に焼き付いている。
──ぽん。
肩を叩かれた。
振り向くと──
「……父上?」
父上が、そこに立っていた。
「……流石にわかったであろう」
父上の目は、静かだった。あの虚ろだった目が、今は穏やかに俺を見ている。責めるでもなく、嘲るでもなく。ただ──息子を見る目だった。
「父上……私は……」
「引き際を見誤るな」
短く、だが重い言葉だった。
「……っ」
──そうだ。
父上は、3年前にこれを見たのだ。そして、引き際を見誤らなかった。だから──ノルデンは、まだ残っている。
あの時、父上を「腑抜け」と蔑んだ自分が恥ずかしかった。
「……父上の言う通りでした」
「……」
「あれは……あれは人間じゃない……」
「……ああ」
父上が、白旗を手に取った。
「父上……?」
「俺が上げる」
「しかし──」
「俺は国王だ。お前に、この屈辱を負わせるわけにはいかん。これは俺の仕事だ」
父上は、城壁に白旗を掲げた。
風が吹いて、白い布がはためいた。俺が上げるべきだった白旗を俺の代わりに。
──俺たちは、負けたのだ。




