第83話 小競り合い〜アルブレヒト視点〜
翌朝。
空は快晴だった。雲一つない青空が広がり、風がなだらかな丘陵を吹き抜けていく。
進軍を再開してまもなく、斥候が駆け戻ってきた。
「殿下、前方に帝国軍を発見しました」
俺は馬を進めた。
「どこだ」
「あの丘の上です。……風上ですな」
丘陵の上に、小さな人影が見える。数は……1000もいないように見えた。
──やっと出てきたか。
「殿下、地形が悪うございます。こちらは風下、しかも登り坂」
将軍が眉をひそめる。だが、俺は鼻で笑った。
「臆病なことを言うな。数を見ろ。我が軍は5万だ」
5万対1000。勝負になるはずがない。
「しかし殿下、地形の不利は──」
「だからこそ、まず偵察だ。先遣隊を出せ。敵の出方を見る」
将軍は何か言いたげだったが、最終的には頷いた。
「……御意」
◆
先遣隊が丘に向かって前進する。
200名の精鋭だ。丘を登り、敵陣の様子を探る──それだけの任務。危険はあるまい。帝国の主力は1000程度。連弩を構えた我が軍に、まともに立ち向かえるはずがない。
本陣から、その様子を見守る。
「順調ですな」
将軍が呟く。
「あと少しで敵陣に──」
その時だった。
乾いた音が、連続して響いた。
パン、パン、パン──
「……何だ、今の」
俺は眉をひそめた。
先遣隊の動きが、おかしい。人が倒れている。一人、また一人。
「何が……」
将軍が言葉を失う。
兵士たちが散り散りに逃げ始めた。悲鳴が、風に乗って聞こえてくる。
「何をしている! まだ敵陣には届いていないはずだ!」
連弩の射程は50歩ほど。まだ丘の中腹にも達していない。なのに、なぜ──
遠目に見ても、明らかに異常だった。先遣隊は逃げ惑い、次々と倒れていく。敵の姿は、丘の向こうに隠れて見えない。
──何が起きている。
◆
「殿下! 先遣隊が壊走しました!」
息を切らせた兵士が、本陣に転がり込んできた。全身汗まみれで、顔は蒼白だ。
「……何があった。報告しろ」
「わかりません……何が起きたのか……」
兵士は震えていた。まともに言葉が出てこない。
「敵の姿が見えないんです……丘の上には誰もいなかった……」
「見えない?」
「なのに、仲間が次々と倒れて……矢じゃない……矢じゃないんです……」
「何を言っている」
「穴が空くんです、胸に……小さな、丸い穴が……」
兵士の目が、恐怖に見開かれていた。
「でも背中は……背中は弾けてるんです……中身が……」
「……」
「矢なら見えます。矢なら避けられます。でも、これは……何が飛んできたのかすら……」
兵士は声を震わせた。
「丘の上に……小さな人影が見えました……あんな遠くから……連弩の何倍も遠くから……」
──馬鹿な。
そんな武器があるはずがない。
「……何人やられた」
「200名ほどが……全滅です」
将軍が報告する。その声も、どこか震えていた。
「敵の損害は」
「……確認できた限り、ゼロです」
──ゼロ?
200対0?
「馬鹿な。そんなことがあるか」
俺は声を荒げた。
「あの臆病者どもが、戦わずに逃げ出しただけだ!」
「しかし殿下、この者の報告が事実なら──」
「事実なものか! 見ろ、この男を! 恐怖で錯乱している!」
生き残りの兵士は、何も言い返せなかった。ただ震えているだけだった。
「殿下、敵の武器を調査すべきでは──」
将軍が進言する。だが俺は首を横に振った。
「本隊で押しつぶす。数の前には、小細工など無意味だ」
5万だ。
5万の軍勢がいる。
200人の臆病者が逃げ帰っただけで、何を恐れる必要がある。
──あの丘を、蹴散らしてやる。




