第81話 ノルデンの王子〜アルブレヒト視点〜
俺の名はアルブレヒト。ノルデン王国の王子だ。
今年で18になる。父上──ヴィルヘルム3世の跡を継ぎ、いずれはこの国を背負う立場にある。
だが、その父上は──
3年前のあの日から、父上は変わってしまった。
かつての父上は、誇り高きノルデンの王だった。
幼い頃の記憶がある。軍事演習を見学した時、父上は自ら馬を駆り、先頭で剣を振るっていた。兵士たちの歓声が上がる中、俺は母上の隣で目を輝かせていた。
「いつか俺も、父上のように」
そう思った。ノルデンの王とは、ああいうものだと信じていた。
ノルデンと帝国。
この二つの国は、100年以上も戦い続けてきた。
幼い頃、父上から何度も聞かされた話がある。
「いいか、アルブレヒト。我がノルデンと帝国は、100年前から雌雄を決することができずにいる」
「100年……」
「そうだ。取ったり取られたり。国境線は何度も動いた。講和のたびに、双方が『勝った』と主張する。だが本当の決着は、一度もついていない」
父上の目は、炎のように燃えていた。
「俺の代で、終わらせる」
「終わらせる……?」
「ああ。誰も文句を言えない、完全な勝利でな」
それが父上の──いや、代々のノルデン王の悲願だった。
祖父も、曽祖父も、その前の王も。皆が「いつか決着を」と誓い、そして果たせずに死んでいった。
俺もまた、物心ついた頃からその話を聞かされて育った。帝国は宿敵だ。いつか必ず倒さねばならない相手だ、と。
5年前には、父上自身が軍を率いて国境で戦った。結果は──またも引き分け。双方が「勝利」を宣言して終わった。
だが父上は諦めなかった。
「次こそは」
そう言って、軍備を増強し続けた。
即位して10年。父上は国力を上げ、軍を強くし、民からは「名君」と呼ばれるようになった。100年の因縁に決着をつける──その野望を、俺は誇りに思っていた。
なのに今は──
◆
3年前、父上は自ら2万の軍を率いて帝国に侵攻した。
帝国では王族がほぼ全滅し、残ったのは2歳の幼帝と、6歳の摂政だけ。千載一遇の好機だった。父上は意気揚々と出陣し、俺は城で吉報を待っていた。
だが、戻ってきた父上は──別人だった。
顔色は土気色で、目は虚ろ。何があったのかと尋ねても、答えない。ただ震えていた。
「父上、何があったのですか」
「……」
「戦は……どうなったのですか」
「……3年の停戦だ」
それだけ言って、父上は自室に籠もった。
後から聞いた話では、父上は帝国軍に捕らえられたらしい。そして──あの6歳の摂政に、何かをされた。何をされたのかは、誰も知らない。父上が語らないからだ。
ただ、戻ってきた時の父上の様子だけが、兵士たちの間で囁かれていた。
「陛下は……様子がおかしかった」
「何事もなく送り返されてきたらしいが……」
「何があったんだ」
「わからん。だが……まるで別人のようだったそうだ」
◆
それから3年。
父上は変わってしまった。いや、壊れてしまった、と言うべきか。
かつては毎日のように軍事演習に顔を出していた。兵士たちと酒を酌み交わし、共に汗を流した。だが今は、城から出ようとしない。
「父上、軍の視察に行きましょう」
「……いや、今日はいい」
「では明日は」
「……また今度だ」
その「また今度」が来ることはなかった。
帝国の話題が出ると、父上の手が震える。摂政の名前が出ると、顔から血の気が引く。
一度、俺は父上に詰め寄ったことがある。
「父上、何があったのですか。教えてください」
「……」
「敵を知らねば、戦えません。あの摂政は、一体何者なのですか」
「……お前は知らなくていい」
「父上!」
「知らなくていいんだ……あれは……あれは……」
そこで言葉が途切れた。父上の目に、恐怖の色が浮かんでいた。
40を過ぎた大人の男が。一国の王が。戦場を駆け抜けてきた歴戦の勇士が。
6歳の──いや、今は9歳か──小娘の話をするだけで、震えている。
俺は、その姿に失望した。
民の間では、父上への評価が変わり始めていた。
「陛下は臆病風に吹かれたのでは」
「3年前の戦で、何かあったらしい」
「帝国の小娘に怯えているとか」
「情けない話だ」
宮廷でも、似たような空気が流れていた。重臣たちは表向き忠誠を誓っているが、その目には失望が滲んでいる。
このままでは、ノルデンは内側から崩れる。
俺は決意した。父上がやらないなら、俺がやる。
3年間、俺は準備を進めた。軍の再編、兵器の改良、兵站の確保。父上が城に籠もっている間、俺は将軍たちと話し合い、計画を練った。
5万の軍勢。3000挺の改良型連弩。1000騎の重装騎兵。
父上が失った誇りを、俺が取り戻す。
◆
そして停戦期限の前日。
俺は父上の部屋を訪れた。
「父上、停戦期限は明日です」
父上は窓の外を見たまま動かない。背中が小さく見えた。3年前までは、あんなに大きかったのに。
「軍は準備完了しております。5万の兵が国境に集結しました」
「……」
「父上?」
「……本当にやるのか」
振り向いた父上の目は、どこか虚ろだった。
「やらねばなりません。これはノルデンの誇りの問題です」
「……お前は、あの子を知らない」
「たかが小娘でしょう? 子供です」
「違う……あれは……」
言葉が途切れる。父上の手が、微かに震えていた。
──また、これだ。
3年間、ずっとこうだ。「あの子を知らない」「お前にはわからない」。そう言うばかりで、何も教えてくれない。
「父上、何をされたのですか」
「……」
「3年間、ずっと聞いています。教えてください。敵を知らねば──」
「知らなくていい」
「なぜですか!」
俺は声を荒げた。
「俺は王子です! いずれこの国を継ぐ身です! なのに、なぜ何も教えてくださらないのですか!」
父上は、ゆっくりと俺を見た。
その目に浮かんでいたのは──恐怖でも、怒りでもなかった。
悲しみだった。
「……お前には、あんな目に遭ってほしくないんだ」
「……父上」
「行くな、アルブレヒト。頼むから……」
その声は、王のものではなかった。ただの、怯えた父親の声だった。
俺は、父上の言葉を振り切った。
「父上。私が必ず勝利を持ち帰ります」
「……」
「ノルデンの誇りを、取り戻してみせます」
父上は何も言わなかった。ただ、窓の外を見つめていた。
◆
国境に集結した5万の軍を見渡した。
壮観だった。
「殿下、ご覧ください。新型の連弩です」
将軍が差し出したクロスボウは、従来のものより一回り大きい。
「改良を重ね、装填速度が3倍になりました。これなら騎兵が突撃する前に3射できます」
「素晴らしい。数は?」
「3000挺。弩兵全員に行き渡っております」
さらに、重装騎兵の列が目に入る。鋼鉄の板金鎧が陽光を反射して輝いていた。
「鍛冶師を総動員して作らせました。この鎧を貫ける武器は、この大陸には存在しません」
「……見事だ」
5万の兵。3000挺の連弩。1000騎の重装騎兵。
父上が怯えていた帝国など、この軍の前では塵に等しい。
──9歳の小娘が何をできる。
◆
翌朝。
俺は5万の軍の先頭に立った。
「……死ぬなよ」
見送りに来た父上は、それだけ言った。かつてなら自ら先陣を切っていたはずの人が、城に残る。
その目は、まだ虚ろだった。でも──どこか、悲しそうにも見えた。
「行ってまいります」
振り返らなかった。振り返りたくなかった。
──待っていろ、帝国。
父上を壊したあの小娘を、俺が倒す。
ノルデンの誇りを、俺が取り戻す。




