第73話 【物理回】ボルタ電池と電磁石〜ヨハン視点〜
※作者の趣味で物理蘊蓄が延々と続きます。興味ない方は遠慮なく飛ばしてください。
「師匠、果物だと弱いよな。もっと強くできないか?」
俺は机の上のオレンジを見つめた。あのビリッとした感覚は確かにあった。でも、それだけだ。
「できるわ」
師匠が銅板と亜鉛板を取り出した。それぞれ手のひらほどの大きさだ。
「銅板と亜鉛板を交互に積むの。間に酢を染み込ませた布を挟んで」
「交互に……?」
「やってみなさい」
俺は言われた通りに積み始めた。
銅、布、亜鉛。銅、布、亜鉛。銅、布、亜鉛……。
「積めば積むほど、力が強くなる。落差を重ねるイメージね」
「落差を重ねる……」
俺は考えた。水車を何段も重ねるようなものか。一段より二段、二段より三段。落差が増えれば、水の勢いも増す。
「なるほど、水車と同じか」
「理解が早いわね」
師匠が珍しく褒めた。俺は少し嬉しくなった。
十段ほど積み上げた。酢の匂いが鼻をつく。
「これで完成よ」
「これが……電池」
「これをボルタ電池と呼ぶわ」
「ボルタ……?」
「いい名前でしょう」
師匠は答えをはぐらかした。いつものことだ。
ボルタ電池。誰の名前だ? どこの言葉だ? 師匠は絶対に教えてくれない。聞いても無駄だと、俺は学んでいた。
「触ってみなさい」
俺は恐る恐る、積み上げた電池の両端に触れた。
「──ッ!?」
果物の比ではない。強烈なビリビリが手を駆け抜けた。
「あばばばば!!」
思わず手を離す。いや、離そうとしたのに離れない。筋肉が勝手に収縮して、指が電池に張り付いている。
「師匠! 離れない!!」
「あら、そうなの」
師匠はのんびりとお茶を飲んでいた。
「助けて!!」
「自分で何とかしなさい」
俺は必死で体をよじり、ようやく手を引き剥がした。床に転がる。
「死ぬかと思った……」
「大丈夫よ、死なないわ。たぶん」
「たぶん!?」
師匠は涼しい顔だ。弟子が感電しても動じない。さすがというか、ひどいというか。
指先がまだ痺れている。
「師匠、俺を人柱にしないでくれ。電気の強さを測る方法はないのか? 触る前に分かれば、こんな目に遭わなくて済む」
「いい質問ね。いずれ作りましょう」
師匠はそう言うだけで、すぐには教えてくれなかった。いつものことだ。
「さて、電気で何ができるか見せてあげるわ。熱が出る。光が出る。磁石になる。色々と面白いことが起きるわよ」
「光が出る……夜でも明るくできるのか?」
「豆電球ね。作れなくはないけど、今は後回し」
「え?」
「その前に、もっと面白いものを見せてあげる」
師匠が方位磁針と銅線を持ってきた。
「まず、これを見て」
師匠が銅線をまっすぐに張り、その真下に方位磁針を置いた。針は北を指している。
「銅線に電気を流すわよ」
師匠がボルタ電池に銅線を繋いだ。
その瞬間──方位磁針の針がクルッと動いた。
「!? 針が動いた!」
「電気を止めるわね」
師匠が銅線を外す。針が北に戻った。
「なんで……磁石でもないのに」
「電気が流れると、周りに磁気が生まれるの」
「電気が……磁気を作る?」
「そう。電気と磁気は繋がっているのよ」
俺は方位磁針を見つめた。電気を流すだけで、針が動く。目に見えない何かが起きている。
「じゃあ、これを応用すればもっと強い磁石が作れる?」
「いい発想ね」
師匠が鉄の棒と銅線を持ってきた。鉄の棒は指ほどの太さ。銅線は細く、長い。
「これを鉄に巻きなさい。隙間なく、丁寧に」
「……わかった」
俺は銅線を巻き始めた。ぐるぐる、ぐるぐる。単純作業だ。
「なあ師匠、これ何のためにやってるんだ?」
「やれば分かるわ」
いつもの答えだ。師匠は絶対に先に教えてくれない。
ぐるぐる、ぐるぐる。指が痛くなってきた。
「まだか?」
「もっと」
ぐるぐる、ぐるぐる。銅線が尽きるまで巻き続けた。
「よし、電池に繋いで」
俺は両端をボルタ電池に繋いだ。
何も起きない。
「……師匠、何も起きないんだが」
「そうね」
「これを近づけてみなさい」
師匠が小さな釘を差し出した。
俺は鉄の棒を釘に近づけた。
──カチッ。
「な……っ!?」
釘が鉄の棒に吸い寄せられた。
「磁石になった!?」
「電磁石よ。電気を流すと磁石になる」
「すげえ……!!」
俺は目を丸くした。さっきまでただの鉄だったのに。電気を流しただけで磁石になった。
◆
電池から銅線を外す。
カチャリ。釘が落ちた。
また繋ぐ。カチッ。釘がくっつく。
外す。落ちる。繋ぐ。くっつく。
外す。落ちる。繋ぐ。くっつく。
外す。落ちる。繋ぐ。くっつく。
「……ヨハン、いつまでやってるの」
「いや、だって面白くて」
俺は手を止めた。つい夢中になってしまった。
「ON/OFFできる磁石……」
「電気と磁気は繋がっているの」
「繋がってる?」
師匠が指を立てた。
「昔は、電気と磁気は全く別のものだと思われていた。雷と方位磁石、何の関係もないように見えるでしょう?」
「確かに……」
雷は空から落ちてくる。方位磁石は北を指す。全く違うものだ。
「でも実は、同じものの別の顔なの。電気が動けば磁気が生まれる。磁気が動けば電気が生まれる」
「同じもの……」
俺は電磁石を見つめた。電気を流すと磁石になる。電気と磁気が繋がっている。
「じゃあ師匠、電気と磁気のルールって、どれくらいあるんだ?」
俺は身構えた。きっと何十個も、何百個もあるに違いない。こんな不思議な現象を説明するには、それくらい必要だろう。
「四つよ」
「……は?」
「四つの式で、電気と磁気の全てを説明できる。たった四つ。マクスウェル方程式と呼ぶわ」
「マクスウェル……?」
「いい名前でしょう」
また答えをはぐらかされた。
師匠が紙を取り出し、何かを書き始めた。
「これが四つの式よ」
俺は紙を覗き込んだ。
「…………」
見たことのない記号の羅列。逆三角形に点を打ったもの、バツ印、波のような記号。何一つ分からない。
「師匠、意味がさっぱりわからねえ」
「そうでしょうね」
師匠は紙を畳んだ。
「いずれちゃんと説明するわ。今日はここまで」
「えっ、ここで終わり!?」
「基礎がないと理解できないもの。焦らないで」
ボルタ電池。マクスウェル方程式。師匠の口から出てくる謎の言葉は、いつも「いい名前」で済まされる。そして謎の式は「いずれ」で済まされる。
いつか絶対に突き止めてやる。俺は密かに決意した。
「四つの式で全部……」
たった四つ。それだけで、雷も磁石も全て説明できるらしい。あの意味不明な記号の羅列で。
俺は身震いした。
世界は複雑に見える。でも、その裏には単純なルールが隠れている。師匠と過ごすうちに、何度もそれを思い知らされてきた。
四つの式。いつか、きっと理解してやる。
◆
俺は考え込んだ。
電気を流すと磁石になる。磁気が動けば電気が生まれる。
……逆?
「師匠、じゃあ逆に……磁石で電気を作れる?」
師匠が目を細めた。嬉しそうな顔だ。
「いい質問ね。次はそれを見せてあげる」
俺は電磁石を握りしめた。
電気を流せば磁石になる。なら、磁石を動かせば電気が生まれるはずだ。
師匠の授業はいつもこうだ。一つ学ぶと、次の疑問が湧いてくる。終わりがない。でも、それが楽しい。
次の授業が待ち遠しかった。




