第62話 【技術回】機械が機械を生む〜ギュンター視点〜
※作者の趣味で技術蘊蓄が延々と続きます。興味ない方は遠慮なく飛ばしてください。
水車を眺めていた。
ギシギシと音を立てながら回っている。以前、軸が真円じゃなかった頃に比べれば遥かにマシだ。だが──
「……なあ、嬢ちゃん」
「何?」
「この水車の軸、木だよな」
「ええ」
「旋盤で金属の軸を作ったら、どうなる?」
嬢ちゃんが微笑んだ。
「やっと気づいた?」
やっぱりか。嬢ちゃんは最初から分かってたんだ。
◆
数日後。
旋盤で削り出した金属の軸を、水車に取り付けた。
俺は水門を開けた。
水が流れ込む。水車が回り始める。
「……おお」
木の軸とは全然違う。滑らかだ。あのギシギシという音がほとんどしねえ。
「すげえな……」
「どう?」
「全然違う。木とは比べもんにならねえ」
嬢ちゃんが頷いた。
「金属は表面が滑らかだから、摩擦が小さいのよ」
俺は水車を見上げた。前より力強く回ってる気がする。
「これで十分じゃねえか?」
「……まだよ」
「まだ?」
嬢ちゃんが軸受けの部分を指さした。
「軸と軸受けが直接擦れてるでしょう。ここにまだ摩擦がある」
言われてみれば、確かに微かな抵抗を感じる。
「もっと良くなるってのか?」
「ええ。ヨハンを呼んで」
◆
ヨハンがやってきた。
「師匠! 呼んだか!?」
尻尾があったら千切れるほど振ってそうな勢いだ。
「摩擦の話をしたいの」
「摩擦! いいな、物理の話か!」
「まず状況を説明するわ」
嬢ちゃんが水車を指さした。
「この水車、元々は木の軸だったの」
「木の軸?」
「ギシギシ音がして、摩擦で力が逃げてた。だから旋盤で金属の軸を作った」
俺が補足した。
「金属にしたら、だいぶ良くなった。音も静かになったし、回転も滑らかだ」
「なるほど。真円の金属軸なら、木より表面が滑らかだからな」
ヨハンが頷いた。
「でも、まだ改善の余地があるの」
嬢ちゃんが軸受けの部分を指さした。
「ここ、軸と軸受けが直接擦れてるでしょう。まだ摩擦で力が逃げてる」
「ああ、確かに」
ヨハンが頷いた。
「そもそも摩擦って何なんだ?」
俺は聞いた。経験では分かるが、理屈は知らねえ。
「全ての物は原子でできてる。物と物が触れ合うと、表面の原子同士が引き合う──ファンデルワールス力だ。それに加えて、表面の細かい凹凸が噛み合う。これが摩擦の正体だ」
ヨハンが地面に図を描き始めた。こいつ、説明好きだよな。
「へえ……」
「摩擦の大きさは、垂直抗力に比例する」
ヨハンが式を書いた。
『F = μN』
「Fが摩擦力、Nが垂直抗力──つまり面を押す力だ。μは摩擦係数。表面がザラザラだと大きくなる」
「垂直抗力ってのは?」
「床に物を置くと、物の重さで床を押すだろ。床も同じ力で押し返してる。それが垂直抗力だ」
「押し返してる……?」
「じゃなきゃ床を突き抜けちまう」
「ああ、なるほど」
「平らな床なら、垂直抗力は重さと同じになる」
ヨハンが式を追加した。
『N = Mg』
「Mが重さ、gが重力だ。だから重い物ほど垂直抗力が大きくなって、摩擦も大きくなる」
「つまり、重い物ほど動かしにくいってことか」
「そういうことだ。──まあ、全部師匠の受け売りだけどな!」
ヨハンが嬢ちゃんを見て笑った。
「じゃあ続きは私から」
嬢ちゃんが口を開いた。
「質問よ。重い荷物を運ぶとき、床を引きずるのと、車輪をつけるの、どっちが楽?」
「そりゃ車輪だろ」
「なぜ?」
「……なぜって……」
考えたことがなかった。車輪が楽なのは当たり前だと思ってた。
「ヨハン、説明して」
「おう。車輪だと、地面との接触点が転がりながら移動する」
ヨハンが続けた。
「引きずると、ずっと同じ面が擦れ続ける。でも転がると、接触点が次々と変わる」
「接触点が変わると、何が違うんだ?」
「原子同士が引き合う時間が短くなる。凹凸が噛み合う暇もねえ。だから抵抗が小さい」
なるほど。引きずると原子がずっと引っ張り合う。転がると、すぐに離れて次の点に移る。
「じゃあ、もう一つ質問」
嬢ちゃんが水車を指さした。
「車輪が転がるのはいいわ。でも、車輪の軸はどうなってる?」
「軸……」
俺は軸受けを見た。
車輪は転がる。だが軸は──軸受けの中で擦れてる。
「……滑ってるな」
「そう。軸は回転してるけど、軸受けとの接触面は滑り摩擦のまま」
「じゃあ、軸も転がすようにすればいいのか?」
「どうやって?」
嬢ちゃんが微笑んだ。答えを待ってる目だ。
俺は考えた。軸を転がす……軸と軸受けの間に何かを……
「……小さい車輪を入れる?」
「惜しい。発想はいいわ」
嬢ちゃんが頷いた。
「車輪だと軸方向がずれる。だから球を使うの」
「球?」
「球なら、どの方向にも転がれる。軸と軸受けの間に小さな金属球を並べて入れるの」
「球を並べる……」
「この構造をベアリングと呼ぶわ。軸受けという意味よ」
「球が転がることで、滑り摩擦が転がり摩擦に変わる。摩擦が激減するわ」
なるほど。車輪だと一方向にしか転がらねえが、球ならどこでも転がる。
「旋盤で球を作って、フライス盤で軸受けの溝を削る……」
頭の中で設計が組み上がる。
「俺たちの機械で作れるな」
旋盤とフライス盤。この二つがあれば、ベアリングの部品も作れる。
「まずは試作品を作りましょう」
嬢ちゃんが言った。
「試作?」
「小さいもので効果を確認するの。いきなり水車に組み込んで失敗したら大変でしょう」
「よし、作ってみるか」
その日のうちに、俺は二つの小さな部品を作った。
どちらも手のひらサイズの金属板に、回転する羽根がついている──後世でハンドスピナーと呼ばれることになる形状だ。
「こっちは普通の軸受け。穴に軸を通しただけだ」
「こっちがベアリング入り?」
ヨハンが聞いた。
「ああ。小さい球を8個並べてある」
嬢ちゃんが両方を手に取った。
「じゃあ、回してみましょう」
まず普通の方を弾いた。
シャッ……シャッ……シャッ……
羽根が回る。だが、すぐに減速して──数秒で止まった。
「まあ、こんなもんだな」
次にベアリング入りの方を弾いた。
シュルルルルルルルル……
「……おお」
ヨハンが声を上げた。
羽根が回り続けている。10秒、20秒、30秒──
「まだ回ってる……」
「すげえ……」
俺も思わず声が出た。
1分を過ぎても、まだ回っている。ようやく止まったのは、2分近く経ってからだった。
「気持ち悪いくらい回るな……」
「ああ……なんか怖えよ」
ヨハンと顔を見合わせた。
「……これが、ベアリングの力か」
「摩擦が減るとこうなるのよ」
嬢ちゃんが微笑んだ。
ヨハンが目を輝かせていた。
「すげえ師匠! 理屈は分かってたけど、実際に見ると全然違う!」
「理屈と実物は別物だからな」
俺は二つの部品を見比べた。
構造はほとんど同じ。違うのは、小さな球が入っているかどうかだけ。
たったそれだけで、これだけの差が出る。
機械が機械を生む──その言葉の意味が、少しずつ分かってきた。
◆
数日後。
水車用のベアリングが完成した。
俺は水門を開けた。
シュルルルルル……
「……静かだ」
金属軸だけの時よりも、さらに滑らかだ。ほとんど音がしねえ。
「……すげえ」
思わず声が出た。
「摩擦が減った分、力が逃げなくなったのよ」
「同じ水の量で、もっと強い力が出せる……」
水車を見上げる。前と同じ水量なのに、回転が力強い。
無駄がなくなったんだ。
「ねえ、ギュンター」
「ん?」
「この力で、ハンマーを動かせない?」
「ハンマー……鍛造用のか?」
俺の心臓が跳ねた。
「ええ。歯車とカムで、水車の回転を上下運動に変える」
嬢ちゃんがさっと地面に図を描いた。水車から歯車が繋がり、カムがハンマーを持ち上げる仕組み。
「カムが回ると、ハンマーが持ち上がる。カムが外れると、ハンマーが落ちる。この繰り返し」
鍛造。
一日中、鉄を叩き続ける仕事。
腕が上がらなくなるまで叩いて、それでもまだ足りなくて──
水車の技術は、他の誰かのためだと思ってた。
俺は作る側だ。恩恵を受ける側じゃねえ。そう思い込んでた。
まさか、俺自身の仕事が楽になるなんて。視野が狭かったのかもしれねえ。
「それができたら……俺が一日中叩いてた仕事が……」
言葉が続かなかった。
◆
数週間後。
巨大な鉄のハンマーが、水車の力で持ち上がる。
歯車とカムが噛み合い、回転運動が上下運動に変わる。
そして──
ドゴン!!
凄まじい音と共に、真っ赤に焼けた鉄を叩く。
ドゴン!! ドゴン!! ドゴン!!
一定のリズムで、ハンマーが振り下ろされ続ける。
俺は呆然と立ち尽くしていた。
「俺が腕を休めてる間も……こいつは止まらねえ……」
何十年も鍛冶をやってきた。
毎日、朝から晩まで鉄を叩いてきた。
それが──
「嘘だろ……」
水車ハンマーを見た鍛冶職人たちが、呆然としていた。
「腕が上がらなくなるまで叩いてたのに……」
「こいつは疲れ知らずかよ……」
「水が流れてる限り、止まらねえ」
俺は言った。
「……俺たちの仕事、なくなるんじゃ……」
一人の職人が不安そうに呟いた。
分かる。その気持ちは分かる。
でもよ──
「馬鹿言え」
俺は言った。
「叩く仕事が減った分、別のことができるだろうが」
「別のこと……?」
「形を整える、仕上げる、設計する……人間にしかできねえことがある」
機械は叩くだけだ。どう叩くか、何を作るか、それを決めるのは人間だ。
「俺たちの仕事は、なくならねえ。変わるだけだ」
「ギュンター」
「ん?」
「前に言ったこと、覚えてる?」
「機械が機械を生む……か」
「今、何が起きたか分かる?」
俺は水車を見上げた。
「旋盤とフライス盤で、ベアリングを作った」
「ええ」
「ベアリングで水車が強くなった」
「ええ」
「強くなった水車で、水車ハンマーが動く」
「ええ」
「水車ハンマーで、もっと多くの鉄が打てる」
「ええ」
「その鉄で、また新しい機械が作れる……」
「そういうこと」
機械が機械を生む。
それは、一回で終わりじゃねえ。
ずっと続いていく。どこまでも。
「……終わりがねえな」
「終わらせる必要がある?」
「……ねえな」
俺は笑った。
◆
その夜、一人で工場に残った。
水車ハンマーが、規則正しいリズムを刻んでいる。
ドゴン。ドゴン。ドゴン。
俺が何十年もやってきた仕事を、こいつが代わりにやってくれてる。
悔しいか?
いや、違う。
嬉しいんだ。
俺の腕で作った機械が、俺の代わりに働いてる。
俺は次の機械を作れる。
その機械が、また次の仕事をしてくれる。
終わりがねえ。
どこまで行けるんだろう。
嬢ちゃんの頭の中には、きっともっと先が見えてる。
俺には見えねえ。
でも、嬢ちゃんについていけば、いつか俺にも見えるようになるかもしれねえ。
「……楽しみだな」
誰もいない工場で、俺は呟いた。
水車ハンマーが、答えるように鳴り続けていた。




