第118話 戦後処理の裏側:声を届ける
いつもの大広間での通達だった。
お嬢様が正面で話した。声が途中で消えた。後方の文官たちが首を傾げた。侍従が復唱した。もう一人の侍従がさらに奥へ復唱した。
百人あまりの文官を前にして、声が届かない。お嬢様の体は小さく、声も大きくはない。だから毎回、侍従の伝言頼みだった。
ただしその日は違った。お嬢様が壇上に立つ手にはラッパ型の木の筒を持っている。
細い口と広い口がある、見慣れない道具だった。文官たちが怪訝な顔をしている。
お嬢様が筒の細い口を唇に当てた。
「──本日の議題は、行政区画の再編についてです」
声が、大広間の端まで届いた。
後方の文官たちが目を見開いた。隣同士で顔を見合わせている。今まで聞こえなかった場所にいる者たちが、はっきりとお嬢様の声を聞いている。
侍従が復唱しようと口を開きかけて──止まった。必要がなかったのだ。
「──ということで今日の通達は終了よ。解散」
わらわらと、貴族たちが大広間をあとにした。
「お嬢様」
「ん?」
「それ──」
「ああ、これ?拡声器ね。声を大きくする道具よ。音は広がると弱くなる。でも筒の中を通せば、振動が前方に集まるの。散らばる分が減るから、遠くまで届く。これで大広間の問題は解決ね」
お嬢様はそうおっしゃったが、満足したお顔ではなかった。
「……大広間はこれでいいわ。でも、この拡声器では大広間に声は届いても、街中にはまだ届かないわね」
「街中に声を届けたいのですか? 街中に声が届く拡声器って音大きすぎませんか?」
お嬢様は答えずに、拡声器を手の中で回しながら考えていた。
「……ヨハンのところに行くわ」
◆
研究室に着くと、ヨハン様は何かの実験の途中だったようで、手を止めてこちらを向いた。
「師匠、どうした?」
「声を遠くに届ける装置を作りたいの」
お嬢様は拡声器を机の上に置いた。
「これは筒で音を集めているだけ。大広間には届くけど、街中には届かない。街中に声が届くようにしたいの」
「街中に声を届けてどうするんだよ」
「それはおいおい話すわ。やりたいことはこう」
お嬢様は机の上に紙を広げた。
「声を電気に変える。電気を電線で送る。行き先で、電気を声に戻す」
ヨハン様が黙った。紙の上の三行を見つめている。
「……声を電気に?」
「電磁誘導を覚えてる?」
「磁石の近くでコイルを動かすと電気が流れる。発電機の原理だろ」
「声は空気の振動よね。振動で薄い板を震わせる。板にコイルをつけて、磁石の近くに置けば──」
「板が震えるとコイルが動いて……電気が流れる。声が電気になる」
「逆もできるわ。電気をコイルに流せば板が動いて、空気を震わせる」
「モーターの原理か! 電気が声に戻る……」
ヨハン様の目が変わった。
「同じ構造で、入力と出力が逆になるだけか」
「そう。声を電気に変える装置と、電気を声に戻す装置。両方を電線で繋げば──」
「こっちで喋った声が、向こうで聞こえる……?」
「逆も同じ。向こうで喋れば、こっちで聞こえる。双方向よ」
ヨハン様が頭を抱えた。いい意味で、だと思う。
「すげえ……発電機が動きを電気に変える装置なら、これは音を電気に変えて、また音に戻す装置か」
「自然はそういうふうにできているの。一つの原理で十に応用が効く」
「お嬢様、もう覚えましたから!」
私は思わず口を挟んでしまった。
「大事なことだから何度でも言うわ」
お嬢様は涼しい顔でおっしゃった。
「でも師匠、問題がある」
ヨハン様が腕を組んだ。
「声の振動なんて微弱だ。薄い板が震えたくらいで、コイルがまともに動くか? 磁石を強くするにも限界があるし、電線が長くなれば信号も弱くなる」
「そうね。だから工夫がいるわ」
お嬢様は紙に図を描き足した。
「まず、コイルの巻き数を増やす。巻けば巻くほど、小さな動きでも大きな電気が取れる。それから振動板──薄くて軽い板を使うの。重い板は動きにくいから」
「薄い板か。ギュンターに相談だな」
「出口をラッパ型にすれば、音を集めることもできるわ。蓄音機と同じ原理よ」
◆
数日後、研究室には見慣れない装置が並んでいた。
ギュンターさんが振動板と筐体を作り、ヨハン様がコイルを巻いて磁石と組み合わせる。私には何が何だかわかりませんでしたが、二人は真剣な顔で作業を続けていた。
「一号機、試してみるか」
ヨハン様が言った。お嬢様が装置の前に立ち、何か喋った。
向こう側の装置から出てきたのは、ノイズだらけの音だった。何を言っているか全くわからない。
「振動板が厚すぎる。声の振動に追従できてねえ」
ギュンターさんが首を傾げた。
「もっと薄く削るか。けど薄くしすぎると割れちまうぞ」
二号機。振動板を薄くした。声は聞こえるが小さい。
「コイルの巻き数が足りねえな。もっと巻くか」
「巻きすぎると重くなって、今度はコイルが動きにくくなる。バランスだ」
三号機。コイルを巻き直し、磁石の位置を調整した。割れた音だが、言葉が聞き取れる。
「音を大きくするには、出口をラッパ型にすればいい」
ギュンターさんが木製のラッパ型の筐体を作った。ホーンスピーカー、とお嬢様はおっしゃっていた。
四号機。声がはっきり聞こえる。
「よし、これでいこう」
ヨハン様が言った。
お嬢様が執務室に戻り、ヨハン様が研究室に残った。二つの部屋を、銅線で繋ぐ。
「聞こえる?」
お嬢様が装置に向かって話しかけた。
しばらくの沈黙。そして──
「……聞こえる! 師匠の声だ!」
装置から、ヨハン様の声が聞こえた。
私は目を見開いた。ヨハン様は研究室にいる。ここにはいない。なのに、声だけがここにある。
「こっちも聞こえるわ。成功よ」
お嬢様は淡々とおっしゃった。
「お嬢様、これは……」
「これが電話よ。執務室、研究室、ギュンターの工房、厨房……主要な場所を全部繋ぐわ」
「電線を張るのですか? 城中に?」
「そうよ。そうすればいちいち何かを伝えるのに、侍従を使う必要がなくなるわ。それに時間の短縮にもなる」
「なるほど──電線は、壁の中を通すのでしょうか。大工事になりますが……」
「そんな暇はないわ。壁に沿って這わせればいいのよ」
「え……電線を露出させるんですか?」
「気にしないで。機能が先。見た目は後」
数日後、城の廊下を銅線が走っていた。
釘で留めただけの仮設。部屋の入口で線が垂れ下がり、電話機に繋がる。城の美しい壁に、無骨な線が這い回っている。
「……お城の美観が……」
私は嘆いた。
「美観で声は届かないわ。壁の中に埋めるのは、本当に必要になってからでいいの」
「まあ、試作段階だしな。不具合があったら直すのも楽だ」
ギュンターさんも頷いた。
「完璧を目指すより、まず終わらせろ」
お嬢様がおっしゃった。
「……それ、前にもおっしゃっていましたよね。ザッカーバーグさん? でしたっけ」
「よく覚えているじゃない」
お嬢様が少しだけ驚いた顔をされた。結局あの方が誰なのかは、教えてもらえないままだけれど。
「すごい! シャルの声が箱から聞こえる!」
カール陛下が電話を試して、目を輝かせていらっしゃった。
「……これは、戦場でも使えるな。前線と本陣を繋げば──」
ギュンターさんが呟いた。
「戦場もそうだけど──その前に私はこれを、街中に張り巡らせたいの」
「街中に?」
「マイクは一つ、スピーカーを複数繋げば──一人の声が、大勢に届く。電話は双方向だけど、片方向でもいいのよ。『放送』というのだけれど」
「街中……規模がでけえな……」
ヨハン様が呆れたように呟いた。
「でもこれができれば、街中に声を届けられるでしょう?」
「確かに便利そうだ。ただ、問題がある」
ヨハン様が腕を組んだ。
「電話は耳に当てるから小さい音でも聞こえる。でも広場で大勢に聞かせるなら、もっと大きな音がいるだろ。マイクが生む電気は微弱だ。そのままじゃスピーカーを鳴らしても、声が小さすぎる」
「出口をラッパ型にして音を集めるわ。それと、発電機から直接大きな電流を流す。マイクの信号に合わせて、発電機の電力でスピーカーを駆動するの」
「力技だな……」
「音質は悪くなるわ。でも言葉が聞き取れれば十分よ」
「これを量産して、首都中の広場に設置するわ」
「広場に……? 何に使うのですか?」
私は聞いた。
「それは──後で話すわ」
お嬢様はそれだけおっしゃって、窓の外を見た。
◆
その夜、私はお嬢様の部屋で、いつものようにお茶を淹れていた。
廊下を歩くとき、壁を這う銅線が目に入った。無骨で、美しくなくて、でも確実に機能する線。
あの線の先に、お嬢様の声が流れていく。
石鹸がダイナマイトの材料だったとき。アルミが城壁を溶かす兵器になったとき。けりんちょの原理が弾丸を安定させたとき。
便利な道具のふりをして、本当の目的は別にある。お嬢様は、いつもそうだ。
「後で話すわ」──あの言い方は、ただの後回しではない。
お嬢様の中では、もう全て決まっている。私がまだ見えていないだけだ。
今回は何だろう。声を届ける道具が──何に化けるのだろう。
わからない。でも、何かがある。それだけは確信していた。
「お嬢様」
「何?」
「……今回は、怖くありません」
お嬢様の手が、ティーカップの上で止まった。
「ダイナマイトの時は、怖かったです。テルミットの話を聞いた時も。でも今回は──声を届けるだけですから」
「……」
「だから、少し安心しています」
お嬢様は静かにカップを置いた。
「エマ」
「はい」
「声は、剣より怖いわよ」
「……え?」
「人を殺すのは一度きり。でも声は──何度でも、何千人にでも届く。使い方を間違えれば、剣より多くの人を傷つける」
お嬢様は穏やかな声で言った。でも、その目は──真剣だった。
声は兵器だ。お嬢様はそう言っている。形のない、目に見えない兵器。
ダイナマイトより、テルミットより──管理が難しい兵器。
「……はい」
私はそれだけ答えた。
お嬢様のそばにいる限り、こういうことは何度でも起きるのだと──それだけは、わかっていました。




