第115話 戦勝:味方で良かったな〜ある兵士の独白〜
酒がうまい。
勝った後に飲む酒ってのは、どうしてこう格別なんだろうな。店の親父がいい奴でさ、「一杯目は俺が持つ」って言うんだよ。戦争に勝ったんだから、そのくらいは、ってさ。
ありがてえ。
店の中は、もうぐちゃぐちゃだった。あっちのテーブルでもこっちのテーブルでも、帰還した連中がわあわあ騒いでる。顔も知らねえ兵士と肩組んで乾杯して、よくわからねえ歌まで始まって。
「おーい、こっち空いてんぞ!」
知らない顔のやつが手を振ってる。いいや、もう今日は全員仲間だ。俺は杯を掲げて、そいつの隣に座った。
「勝ったなー!」
「勝ったぞ! ノルデンざまあ!」
「あはは、まじでな!」
笑いが弾ける。俺も笑う。生きてるって最高だ。杯をガツンとぶつけ合って、安い酒を一気に流し込む。
まずい。でもうまい。
二杯目から先は自腹だったが、誰も気にしなかった。
隣のテーブルにいたやつが、こっちに寄ってきた。
「お前、何部隊?」
「東の第三。お前は?」
「南側の守備だ。待機が長くてさ、暇だった」
「暇って──戦争に来て暇だったのかよ」
「しょうがねえだろ、出番がなかったんだから」
出番がなかった。
言われてみれば、俺もそうだ。配置されて、待機して、前進の合図が出て──着いた時には、もう終わってた。
ノルデンの城壁は崩れていた。正面の門はひしゃげて開いていた。中から白旗が出ていた。
俺は剣を一度も抜かなかった。
「つーか聞いたか? 今回、帝国側の死者ゼロだって」
「ゼロ? 戦争でゼロ?」
「ゼロ。怪我人が一人だけ。塹壕の縁に足引っかけて転んだやつ」
……。
「あ。それ俺だわ」
「は?」
「暗かったんだよ。足元見えなくて──」
「お前かよ! 帝国軍唯一の負傷者!」
「うるせえ!」
テーブルが揺れるくらい笑われた。
「つまり帝国軍の被害、こいつの擦り傷だけってこと?」
「……そういうことになるな」
「英雄じゃん」
「どこがだよ!」
また笑い。腹が痛い。涙が出る。
「お前あれ見たか? 城壁のやつ」
向かいのやつが身を乗り出した。
「見た見た。白い光がばーってさ」
「光? あれ光か? 俺からだと煙にしか見えなかったけど」
「いや光だって。ものすごく眩しかった。目が痛くなるくらい。それでさ、城壁が──」
「溶けた」
「そう! 石が溶けたんだよ! 石だぞ?」
「ありえねえよな」
「ありえねえ。でも見た」
テーブルの全員が頷いた。全員見ていた。全員、同じものを見ていた。
「俺は爆発の方がやばかったと思う」
別のやつが言った。
「地面が揺れただろ。地震かと思ったぞ」
「あのでっかい音な。腹に来た」
「鎧の中で内臓が震えた。死ぬかと思った──味方の武器でだぞ?」
笑い。
みんな笑ってる。怖い話を笑い話にするのは、兵士の特技だ。
「銃ってあるだろ、あの棒みたいなやつ。あれ見た?」
「ああ、パーンってやつな」
「弓の三倍は飛んでた。いや、もっとか」
「矢が見えねえんだよ。飛んでくのが速すぎて。見えない矢って、怖くねえか?」
「当たったやつ、吹っ飛んでた。人間があんな風に倒れるの、初めて見た」
一瞬だけ、テーブルが静かになった。
「……まあ、敵の話だけどな」
「そうだな。敵だから、まあ」
「うん」
杯を傾ける音がした。それで、静寂は終わった。
三杯目を空けた頃、話題が変わった。
「あの連中、何者だよ」
「どの連中だ?」
「武器を運んでたやつら。城壁のやつも、爆発のやつも、全部あいつらがやったんだろ?」
「ギュンター隊だろ。工兵だって聞いたけど」
「工兵?」
「工兵って、橋架けたり壕掘ったりするやつだろ。あんなことする工兵がいるかよ」
「あれは工兵じゃねえよ。なんか……もっと別のもんだ」
「わかる。別のもんだ」
名前を付けられない何か。同じ帝国軍の紋章を付けてるくせに、俺たちとは全然違う連中。
「あいつら、剣持ってなかったぞ」
誰かが言った。
「え?」
「見たんだよ、近くで。あいつらの装備に、剣がなかった。刀も槍もなし。あの棒みたいなやつと、何か変な道具ばっかり持ってた」
「剣なしで戦場に来たのかよ」
「いらねえんだろ。あの武器があれば」
「……剣がいらない兵士って、なんだよ」
「兵士じゃねえんだろ。だから別のもんだって言ってんじゃん」
そう、と俺は思った。
俺たちは剣と盾と鎧で戦場に来る。そうやって何百年もやってきた。じいさんもそうだったし、そのまたじいさんもそうだった。
あいつらは違う。
同じ軍隊にいて、同じ戦場にいたのに、やってることが全然違う。俺たちが盾を構えて突撃する準備をしてる間に、あいつらが全部終わらせちまった。
「あの武器、一丁くれねえかな」
「お前に使えんのかよ」
「使えなくても持ってるだけで強そうじゃん」
「……それ子供の発想だろ」
「うるせえ。ほしいもんはほしいんだよ」
また笑い。
◆
四杯目。酒がまわってきた。いい気分だ。
「でもさあ」
隣のやつが、ぐでっと机に肘をついた。
「味方で良かったよなー。あれが」
「ほんっとそれ」
即答だった。テーブルの全員が頷いた。
「ノルデンには同情するわ」
「するする。あんなの相手に戦えって言われたら、俺なら逃げる」
「俺は降伏する。門開けて白旗振る」
「てか、ノルデンの連中も結局そうしたじゃん。白旗出てきたの、何分だった?」
「早かったよな。城壁溶けて、爆発来て、壁の向こうから見えない矢が飛んできて──そりゃ降伏するわ」
「むしろ判断が正しい。あれで粘ったら全滅してただろ」
「だよな」
「あんなの人間がどうこうできる範囲超えてるって」
「超えてる超えてる」
「味方で良かったなー!」
二度目のそれが出た。今度はテーブル全員で唱和するみたいに。
「味方で良かった!」
「かんぱーい!」
杯がぶつかる。酒がこぼれる。ガハハと笑い声が上がる。
最高の夜だ。
◆
五杯目を注いで、口をつけた。
味方で良かった、か。
ああ、良かった。本当に。
……。
「良かった」ってのは、つまり、敵だったら終わってたってことだよな。
城壁が溶けて、地面が爆発して、見えない矢が飛んでくる。あれの前に立たされてたのが、もし俺だったら。
ノルデンの兵士と、俺と、何が違う?
あいつらだって、剣と盾と鎧を持って城壁に立ってたんだ。じいさんから受け継いだやり方で、何百年も続いてきたやり方で、城を守ろうとしてた。
俺と同じだ。
たまたま、こっち側にいただけだ。
次の戦争で──。
「おい、飲んでるかー?」
向かいのやつが杯を掲げた。
「おう」
俺は杯を持ち上げた。ぶつけた。飲んだ。
笑った。
◆
夜が更けていく。
誰かが歌い始めた。古い戦勝歌だ。剣で敵を打ち倒し、旗を奪い、勝利の雄叫びを上げる──そういう歌だ。
知ってる歌だ。何度も歌った。
でも今日は、なんか──遠い。
歌詞の中の兵士は、剣を振って敵を倒す。俺たちの先祖が何百年もそうやって戦ってきた姿だ。
俺たちは今日、何をした?
配置されて。待機して。前進して。着いたら終わってた。
剣を抜かなかった。敵の顔を見なかった。手柄がない。武勇伝がない。怪我は──塹壕で転んだ擦り傷だけだ。
生きて帰ってきた。
……それでいいんだ。生きて帰ってきた。それが一番だ。そうだろ。
歌が二番に入った。周りの連中が大声で歌ってる。俺も口を動かした。
「味方で良かった」
誰かがまた呟いた。もう何回目だろう。でも誰も飽きない。
本当に、良かった。
味方で、良かった。
……本当に。
杯を空けた。もう一杯頼んだ。
賑やかな夜だ。みんな笑ってる。生きてるって最高だ。
今日の酒は、うまい。
今日の酒は──うまいはずなのに、なんでだろうな。
いや、うまい。うまいよ。
もう一杯。




