第112話 戦争の裏側:アルミの真の目的〜ヨハン視点〜
※作者の趣味で科学蘊蓄が延々と続きます。興味ない方は遠慮なく飛ばしてください。
※本作に登場する化学反応は実際の科学に基づいていますが、絶対に真似しないでください。
二度目だ。
師匠から「軍事機密」の呼び出しがあったのは、これで二度目になる。前回と同じく、俺とギュンターだけ。山中の秘密工房に集合。
前回はダイナマイトだった。今度は何だ。
「ヨハン、例の粉、できた?」
師匠が言った。
「ああ。アルミを粉末にするのに手間取ったけど」
俺は袋を差し出した。中には銀色の粉が入っている。アルミニウムの粉末だ。
粉にしろと言われた時、嫌な予感はしていた。
師匠が軍事機密として何かを作らせる時、それは必ず兵器になる。ダイナマイトの日に学んだ。
覚悟はしてきた。
あの日──ダイナマイトの日──は、手が震えた。師匠の手だけが震えなかった。
今日は、震えていない。怖くないわけじゃない。構え方が変わっただけだ。
実験場は前回と同じ場所だった。木々に囲まれた広場。人の気配はない。
師匠がアルミ粉末と、もう一つの粉を混ぜていた。赤茶色の粉──酸化鉄Fe₂O₃だ。
「酸化鉄の粉末?」
「そう。鉄の錆を粉にしたもの」
アルミの粉と、鉄の錆。
……何をするつもりだ。
「ヨハン、アルミと鉄、どちらが酸素と仲がいい?」
「アルミだ。アルミの方が酸素との結合エネルギーが大きい」
「つまり?」
「……アルミが鉄から酸素を奪う」
言ってから、気づいた。
「まさか──」
「点火するわ。離れなさい」
師匠が棚から銀色の薄い帯を取り出した。金属を薄く延ばしてリボン状にしたものだ。
「マグネシウムリボンよ。にがりから取ったマグネシウムを精錬して、薄く延ばしたの」
「にがりの……」
にがりは塩化マグネシウムMgCl₂。にがりから単離した金属。
「マグネシウムは非常に燃えやすい金属なの。酸化する時に凄まじい光を出す。目を焼くほどの白い光よ。2Mg + O₂ → 2MgO。この反応で高温になる」
師匠はマグネシウムリボンを混合粉末のそばに置きながら続けた。
「テルミット反応──さっき混ぜたアルミと酸化鉄の反応は、普通の火では温度が足りなくて起きないの。マグネシウムの炎で一気に高温にして、反応のきっかけを与えるのよ」
「……この光だけでも、夜戦で使えば目潰しになるな」
「そうね。閃光弾として量産させるわ。夜襲の制圧に使える。でも今日はテルミットの点火剤として使うの」
師匠は淡々としていた。俺が軍事利用を口にしても、驚きもしない。むしろ──気づいたことを褒めているような目だった。
嫌だな、その目は。
師匠が混合粉末の上にマグネシウムリボンを置いた。
俺とギュンターは、離れた。
師匠が火をつけた。
マグネシウムリボンが白く燃え上がった。目が痛くなるほどの白い炎。その炎が混合粉末に達した瞬間──
白い閃光が走った。
ダイナマイトとは違う。音ではない。光だ。
目を開けていられないほどの白い光。太陽を直視したような、網膜が焼ける感覚。
そして──赤い液体が流れ出した。
鉄だ。
溶けた鉄が、地面の上を流れている。赤く輝きながら、ゆっくりと。
「……すげえ」
声が出た。また、だ。科学者としての感嘆が、いつも恐怖より先に来る。
白い閃光の中心で、アルミが鉄から酸素を奪い取った。その時に放出されるエネルギーが──
「3000度よ」
師匠が言った。
「アルミは酸素が大好きなの。鉄から酸素を奪い取る。その時出る熱が、3000度」
「3000度……鉄の融点が1500度だから──」
「鉄が溶ける」
目の前で、溶けた鉄が赤い川を作っている。
テルミット反応。
ダイナマイトは音と衝撃だった。大地が揺れ、耳が痛くなった。
テルミットは光と熱だ。音はほとんどない。静かに、ただ静かに──鉄が溶けていく。
俺とギュンターは呆然と溶け出す鉄を見つめる。
「ヨハン」
「……」
「これが、アルミを作った本当の理由よ」
師匠は溶けた鉄の残骸を見つめながら言った。
「食器はおまけ。最初からこれが目的だったの」
頭の中で、全てが繋がった。
水力発電。あれは何のためだ。電気を起こすため。電気は何に使う。アルミを精錬するため。アルミは何に使う──
食器だと思っていた。軽くて丈夫な金属。鍋や皿に便利。それが帝国中に広まっていた。
全部、おまけだった。
水力発電→電気→アルミ精錬→テルミット。
一本の線で、全てが繋がっている。
「師匠……アルミを作り始めた時から、これを……」
「そうよ」
「じゃあ電気も、水力発電も、全部──」
「全部ではないわ。電気には他の用途もある。でもアルミが主目的の一つだったのは、そうね」
師匠は淡々と答えた。
俺は黙り込んだ。
何年も前からだ。水車を作った時から。発電機を設計した時から。師匠の頭の中には、この光景があったのだ。
3000度の白い閃光。溶ける鉄。
食器を作りながら、兵器の材料を備蓄していた。
「これの軍事的な意味は分かるわね」
師匠が訊いた。
「城壁を……溶かせる」
「そう。城門も、橋の支柱も、船の竜骨も。鉄でできたものは全て」
「……」
「火薬は音がする。遠くからでも分かる。でもこれは、静かに溶かすだけ」
師匠は、溶けた鉄の跡を見つめた。
「防御って概念を、崩すのよ」
「……」
「想像しなさい。難攻不落と言われた城の城門が、音もなく溶け落ちる。城壁の鉄枠が赤く光って崩れていく。それを見た兵士はどう思う?」
「……戦う気を、なくす」
「そう。圧倒すれば、殺さなくても勝てる。抵抗する意味がないと分からせれば、兵士は武器を置くわ」
師匠の目は、溶けた鉄の跡を見つめていた。
「私が欲しいのは、殺す力じゃない。戦わせない力よ。まあ、被害をゼロとはいかないまでも──敵とはいえ、できる限り少ない犠牲にしたいわね」
またか。
また師匠は、俺がすごいと思ったものを兵器にする。ダイナマイトの時と同じだ。
──だが、今回は少し違った。殺すためではなく、殺さないために。師匠はそう言った。
だが──あの時のようには、手が震えなかった。
怖いのは変わらない。3000度で鉄を溶かす兵器だ。これが城門に使われたら。中に人がいたら。
考えただけで背筋が冷える。
でも、震えない。
おっさんが言ってたな──「怖えよ。だが嬢ちゃんが使うなら、無駄には使わねえ」。
あの言葉が、いつの間にか俺の中に根を下ろしていた。
怖いまま作れるようになった。
それが成長なのか、それとも感覚が麻痺しただけなのか、俺には分からない。
「……師匠、これも『いずれ誰かが作る』ってやつか」
「そうよ。だから私たちが管理する」
師匠はいつもと同じ答えを返した。
ギュンターが腕を組んで、溶けた鉄の跡を眺めていた。
「……嬢ちゃんは、いつもこうだ」
「おっさん?」
「便利なもんを作って、みんなが喜んで、それが本当は兵器の材料だった──ってな」
「……」
「だから怖えんだよ、あの嬢ちゃんは」
ギュンターは、溜め息をついた。
「だが──俺たちは作るしかねえ。作らなきゃ、兵士が死ぬ」
短い言葉だった。でも、重かった。
俺はもう一度、溶けた鉄の跡を見た。
赤い色は消えて、黒い塊になっていた。さっきまで鉄だったものが、もう元の形を留めていない。
これが──師匠の描いた未来の一部なのだ。




