第107話 師匠〜アルブレヒト視点〜
廃藩置県の処遇が、終わりに近づいていた。
最後の貴族が署名を終え、クラウスが部屋を出てくる。俺は──廊下で待っていた。
「師匠」
「……は?」
「師匠」
クラウスが振り返る。困惑した顔をしている。
「なぜ俺を師匠と……?」
「……」
理由を聞かれても、答えられない。言語化できない。気恥ずかしい。
「……」
「……」
「……勝手にしろ」
クラウスは歩き出した。俺は──その背中についていく。
「なんで俺なんだ」
廊下を歩きながら、クラウスが聞いてきた。
「……」
「シャルロッテ殿下に師事すればいいだろう」
「それは違います」
「何が違う」
「……」
答えられない。シャルロッテは──君主だ。クラウスは──違う。
シャルロッテは、俺の手が届かない場所にいる。あの女は最初から「する側」だ。生まれながらの支配者。俺とは違う生き物だ。
でもクラウスは──俺と同じ側に立っている。
領地を失った。貴族としての誇りを踏みにじられた。それでも折れずに、新しい道を歩いている。「される側」から「する側」へ、自分の足で歩いて行った。
俺が目指せるのは、そっちだ。
でも、それを言葉にできない。
「……師匠」
「だからなんで……もういい」
クラウスは諦めたように歩き続けた。俺は──その背中を追った。
◆
王宮の執務室に着いた。
シャルロッテが待っていた。報告者が一人、立っている。俺とクラウスも同席する。
「摂政殿下、シュルツ伯が資産を持ち出して亡命したようです」
「……」
「メイヤー男爵、ベッカー子爵も同様の動きを見せております。いずれも廃藩置県の発表直後に動いた者たちです」
先を読んで、資産を海外に逃がした者たち。廃藩置県の前に──逃げ出した。
「追跡しますか?」
シャルロッテは窓の外を見ていた。小さな背中。幼い横顔。しばらく沈黙があった。
「ほっときなさい」
「しかし……」
「逃げたいなら逃げさせなさい。無理に連れ戻しても面倒なだけよ」
シャルロッテが振り返った。その目は──どこまでも冷たい。
「ただ──監視だけはさせておいて。どこに行って、誰と会って、何をしているか。全部」
「……承知いたしました」
報告者が退出した。部屋には、シャルロッテと俺とクラウスだけが残った。
「クラウス」
「はい」
「処遇は全て終わったわね」
「本日をもって完了いたしました」
シャルロッテは頷いた。窓際に立ち、外を見ている。
「ご苦労様。大変だったでしょう」
「……いえ」
「嘘おっしゃい。恨み節を聞くのは疲れるものよ」
クラウスは──黙った。否定しなかった。
俺は二人を見ていた。シャルロッテはクラウスの苦労を分かっている。分かった上で、やらせた。
「アルブレヒト」
「はい」
「あなたも見学ご苦労様。どうだった?」
「……」
どう答えればいい。恐ろしかった。味方すら切り捨てる君主の姿を見た。でも──それだけじゃない。
「……公正だと、思いました」
「ふうん」
「敵も味方も関係ない。ノルデンだから切る、帝国だから残す──そういう贔屓がない」
シャルロッテは──微かに笑った。
「クラウスの受け売り?」
「……っ」
図星だった。クラウスが言っていた言葉を、そのまま使った。
「いいのよ、別に。正しいことは正しいんだから」
シャルロッテは窓から離れ、俺の前に立った。小さな体。幼い顔。でも──底の見えない目。
「あなた、『ノルデンの民を幸せにしたい』って言ったわよね」
「……はい」
「その気持ちは変わってない?」
「変わっていません」
即答した。これだけは、迷いがない。
シャルロッテは──頷いた。
「なら、これからも見ていなさい。学びなさい。いずれ、あなたにも役割を与えるわ」
「……はい」
「期待してるわよ、元王子さん」
◆
執務室を出た。
クラウスと並んで廊下を歩く。窓から差し込む光が、床に影を落としている。
「師匠」
「……だからその呼び方は」
「理由、言っていいですか」
クラウスが足を止めた。振り返る。
「……言えるのか」
「さっきは言えなかった。でも──今なら」
俺は、クラウスの目を見た。
「シャルロッテ殿下は──俺の手が届かない場所にいる」
「……」
「あの人は最初から『する側』だ。生まれながらの支配者。俺とは違う生き物だ」
「……それで?」
「でも師匠は──俺と同じ側に立っている」
クラウスの眉が動いた。
「領地を失った。貴族としての誇りを踏みにじられた。それでも──折れずに、新しい道を歩いている」
「……」
「『される側』から『する側』へ、自分の足で歩いて行った。俺が目指せるのは──そっちだ」
クラウスは──しばらく黙っていた。
「……俺は、そんな大層なもんじゃない」
「でも、俺にとっては──」
「黙れ」
クラウスは歩き出した。でも──その声は、少しだけ柔らかかった。
「……ついて来い」
「はい、師匠」
「だからその呼び方は……」
クラウスは諦めたように溜息をついた。俺は──その背中を追った。
◆
夜。宿舎の部屋で、一人考えていた。
廃藩置県が完了した。帝国は新たな形を得た。
貴族という身分は残っている。でも、領地はなくなった。徴税権も、裁判権も、軍事権も──全て国に移った。中央集権化の完成。帝国は──一つになった。
でも──これは終わりじゃない。
シャルロッテの視線は、既に次を見ている。通貨を統合した。貴族を処理した。亡命者を監視している。次は──何だ。
窓の外には、星が見える。
あの亡命貴族たち──シュルツ伯、メイヤー男爵、ベッカー子爵。先を読んで逃げた者たち。シャルロッテは「ほっときなさい」と言った。でも、監視はしている。
いずれ何かが起きる。外から帝国を揺さぶろうとする者が現れる。その時のために──準備している。
怖い女だ。本当に。
でも、俺は──ついていく。師匠の背中を追いながら。この国が、どこに向かうのかを、見届けながら。
ノルデンの民のために。俺自身のために。




