第106話 法治国家〜アルブレヒト視点〜
視察から戻った。
部屋に一人、座っている。
恐ろしい。情実なく切り捨てる君主。味方だろうが、長年仕えてきた家臣だろうが、関係ない。不正を働けば──切る。
窓の外を見る。帝都の夜景が広がっている。この街の下で、今も処遇が続いているのだろう。
今日見た光景が、頭から離れない。
◆
朝、シャルロッテに呼び出された。
「アルブレヒト、今日は見学よ」
「見学……ですか」
「廃藩置県の処遇。帝国貴族たちがどう扱われるか、見ておきなさい」
俺は頷いた。断る選択肢はない。
見せたいのか。ノルデンだけじゃない──帝国も同じだと。
処遇の現場は、官庁街の一室だった。
部屋の隅に立っていた。クラウスが机の向こうに座り、貴族が一人ずつ呼び出される。
最初の一人。年配の貴族だった。戦時中、ノルデンとの国境で指揮を執っていた家だ。
「……中央官僚で」
「承知しました」
署名。退出。次の一人が入ってくる。
淡々としている。怒鳴る者もいれば、黙って署名する者もいる。でも結果は同じだ。領地を失い、処遇を受け入れる。
何人目かも分からなくなった頃──見覚えのある顔が入ってきた。
第二次ノルデン戦争の時、帝国軍の先頭で旗を振っていた男。「帝国万歳!」と叫んでいた。
「クラウス卿、私は──」
「選択を」
「しかし、私は帝国のために──」
「選択を」
貴族の顔が歪んだ。でも──署名した。
「……名誉職で」
「承知しました」
退出していく背中を、俺は見つめていた。
あの男が。「帝国万歳」と叫んでいた男が。こんな風に──処理されていく。
ノルデンを滅ぼした時は、まだ分かった。敵だから。父上も、俺も、敵だったから。
でも……帝国の貴族たちは、代々仕えてきた家臣だろう。味方だったはずだろう。それを──あんな風に。
背筋が冷たくなった。
この君主は、味方すら容赦なく切り捨てる。敵だから切るんじゃない。不要なら切る。不正なら切る。
いつ自分も切られるか分からない。
一区切りついて、クラウスが立ち上がった。窓際に移動し、外を見ている。
俺は──声をかけた。
「ノルデンだけじゃなくて、自国内も冷酷に切るんですね」
「……」
「あなたは、どう思っているんですか」
クラウスは振り返らない。しばらく沈黙があった。
「……私も、最初は戸惑った」
「……」
「でも、だからこそ公正なんだ」
「敵も味方も関係ない。ノルデンだから切る、帝国だから残す──そういう贔屓がない」
「不正を働けば裁かれる。それだけだ」
俺は──言葉を噛み締めていた。
公正。敵も味方も関係ない。
ノルデンの俺たちは、敵として扱われた。帝国の貴族たちも、同じように扱われている──不正を働いた者は。
差別がない。贔屓がない。それを、「公正」と呼ぶのか。
ドアが開いた。次の貴族が入ってくる。
クラウスが席に戻った。俺は──また壁際に立った。
処遇は、まだ続いていた。
◆
今日の出来事を部屋に戻って、一人で考えている。
恐ろしい。でも──待てよ。
考えを整理する。
不正をしていない貴族も、領地を取られていた。放送で名前が呼ばれなかった者も、同じように処遇を受けていた。
法を守っていても──領地は持っていかれた。
椅子から立ち上がり、部屋を歩く。
でも──殺されなかった。選択肢があった。
中央官僚として働くか、名誉職に退くか。命と機会は、残されていた。
敵でも味方でも同じ基準。ノルデンだから切る、帝国だから残す──そういう贔屓がない。クラウスはそう言っていた。
逆に言えば。敗戦国の王子でも──誠実に働けば出世できる。領地はなくても、道はある。
足を止めた。
これが……法治国家か。
土地を持つことが貴族の証だった。でも──この国では違う。能力で評価される。実績で評価される。
厳しいけど──分かりやすい。
封建制から中央集権国家……とでも言うのだろうか。
領主が領民を治める──それが当たり前だった。父上の代も、祖父の代も、そのまた前も。それが──終わる。
一つにまとめることで、ルールの統一化ができる。不正を減らせる。大局的に見れば合理的で、誠実なのだ。
貴族目線で言えば不条理なだけで。
窓辺に立つ。遠くに、旧ノルデンの方角があるはずだ。
父上。あなたの選択は──正しかったのかもしれない。
この君主に逆らい続けたら、ノルデンは根こそぎ消えていた。民も、文化も、言葉も。テルミットとダイナマイトで、何も残らなかった。
降伏したから──まだ俺たちはここにいられる。ノルデンの民は、今も生きている。
目を閉じる。
悔しいけど。認めたくないけど。父上の判断は──間違っていなかった。
ベッドに腰を下ろす。クラウスの顔が浮かぶ。
俺は「される側」で戸惑っただけだ。領地を奪われ、処遇を受ける側。
でも──あの人は「する側」だ。しかも、自分の仲間に対して。かつての知己に向かって、「選択を」と言い続ける。
処遇の部屋で見た光景を思い出す。クラウスは淡々としていた。でも──本当に何も感じていないのか?
「私も、最初は戸惑った」
あの人は、そう言っていた。
ルールは明快でも、旧知の顔に向かってそれを告げるのは──それでも淡々とやり遂げた。迷いがなかったわけじゃないのに。
果たして俺にできるだろうか。
クラウスの、あの立場になったとき──淡々と職務を遂行できるだろうか。
かつての友人に向かって、「選択を」と言えるだろうか。恨み節を黙って聞いて、それでも折れずにいられるだろうか。
分からない。でも──クラウスはそれをやっている。
あの人は──強い。強いというか……芯がある。何を信じているのか、分かっているんだ。だから折れない。
「公正だから」
「敵も味方も関係ないから」
それが、あの人の芯なんだ。
いつの間にか、夜が明けようとしていた。窓の外が、少しずつ白んでいく。
俺は──どうする。このまま、ただ従うのか。それとも──
……いや。従うとか、従わないとか、そういう話じゃない。
ルールを守る。誠実に働く。それだけだ。
シンプルなはずだ。法治国家とは、そういうものだ。
立ち上がる。新しい一日が始まる。
クラウスのようになれるかは分からない。でも──目指してみてもいいかもしれない。あの人の背中を。




