第105話 クラウスと貴族〜クラウス視点〜
部屋は簡素だった。
机が一つ、椅子が二つ。窓からは、帝都の街並みが見える。
私──クラウスは、机の向こう側に座っている。これから、貴族たちが一人ずつ呼び出される。処遇を選ばせる役目だ。
中央官僚として働くか、名誉職への退任か。二択を迫る。簡単な仕事だ──表面上は。
ドアが開いた。最初の一人が入ってくる。
◆
入ってきたのは──見知った顔だった。
ブラント伯爵。父の代から付き合いのある家。子供の頃、何度か遊んだこともある。
「クラウス……お前がこの役か」
「……」
「……そうか」
彼は椅子に座った。視線が、私を射抜いている。
「我々は代々帝国に仕えてきたのに」
「ノルデンの連中と同じ扱いか」
「あの蛮族どもと机を並べろと?」
私は書類を差し出した。
「……選択を」
「……」
貴族は書類を見ようともしない。私を見つめたまま、話し続ける。
「お前の家も、同じだろう」
「領地を召し上げられて、官僚に転身した」
「それで満足か、クラウス」
「……」
「答えろ」
「……選択を」
彼の顔が歪んだ。
「そうやって逃げるのか」
「あの小娘の言いなりになって」
「恥ずかしくないのか」
私は──黙っていた。
この男の帳簿を見た。
年にこれだけ、領民から余分に取っていた。飢饉の年でさえ、徴税額を下げなかった。
「誇り」を語る資格があるのか。「代々仕えてきた」と言う資格が。
でも、口には出さない。
出す必要もない。数字は既に公開された。領民たちは知っている。
私が何を言っても、何も変わらない。言い返しても、彼は傷つくだけだ。そして私も──消耗するだけだ。
「……選択を」
三度目の言葉。貴族は──ようやく書類に手を伸ばした。
貴族は書類を読んでいた。表情が、少しずつ変わっていく。怒りから──諦めへ。
「……名誉職で」
「承知しました」
彼は署名し、立ち上がった。ドアに向かう──途中で、振り返る。
「クラウス」
「……」
「お前は──間違っている」
「……」
「いつか分かる日が来る」
彼は去った。部屋に、静寂が残る。
……間違っている、か。
そうかもしれない。でも──正しさだけで、国は動かない。
ドアが開く。次の一人が入ってくる。
何人目だろう。
顔ぶれが変わるだけで、内容は同じだった。
恨み節。言い訳。開き直り。そして──署名。
疲れる。言い返さないことが、こんなに疲れるとは。
何日目だろう。
顔ぶれは変わるが、言葉は似たようなものだった。
今日の相手は──若い貴族だった。私と同世代。面識はないが、名前は知っている。
「クラウス、これで満足か」
「……」
「お前はいいよな。勝ち馬に乗って」
私は黙っていた。いつもの台詞だ。
「あの小娘の犬になって、恥ずかしくないのか」
「貴族の誇りはないのか」
「……」
貴族は机に手をついた。身を乗り出してくる。
「お前だって分かってるだろう」
「これは不当だ。代々守ってきた領地を、奪われる。それを──お前が手伝っている」
私は彼の目を見た。怒りと──どこか、すがるような色。
「なぜだ、クラウス。なぜ、あの女に従う」
私は──
口を開いていた。
「……私も、最初は戸惑った」
「!」
言うつもりはなかった。でも、口が動いていた。
「私は内務大臣として、この廃藩置県を先導している。そして──私自身も領地を返還した一人だ」
貴族が目を見開いた。
「お前も……領地を……」
「ああ、当然だ。お前たちに領地を返還させて俺はそのまま、という道理は通らない。むしろ率先して返上した。他の貴族に示しがつかないからな」
「……」
「だからまあ。
──分かる。お前の気持ちは。先祖代々の土地を手放す──その重さは」
「……なら──」
「だが」
私は貴族の目を見つめた。
「だからこそ公正なんだ」
「……何?」
「敵も味方も関係ない」
「ノルデンだから切る、帝国だから残す。私だから残す──そういう贔屓がない」
「不正を働けば裁かれる。それだけだ」
貴族は黙った。何か言おうとして──言葉が出ない。
この男の帳簿も見た。不正の額は──大きくない。でも、ゼロではなかった。
私は続けた。
「お前の帳簿を見た」
「……」
「お前のだけじゃない。全部みた。全部知っているんだ、私は」
貴族の顔から、血の気が引いた。
「それでも、シャルロッテ様はお前たちに選択肢を残した──だからお前たちの言い訳は聞かない」
「選択を」
長い沈黙の後──貴族は署名した。
「……中央官僚で」
「──承知しました」
立ち上がり、ドアに向かう。振り返らない。
ドアが閉まった。私は──息を吐いた。
言い過ぎた、か。いや──言うべきだったのかもしれない。黙っているだけでは、伝わらないこともある。
◆
窓の外を見る。帝都の街並みが広がっている。
私は──何をしているんだろう。恨み節を聞くだけの役目だったはずだ。なのに、気がつけばシャルロッテ様の政策を語っている。
……布教、だな。シャルロッテ様の考えを、貴族たちに伝えている。
ドアが開いた。次の一人が入ってくる。
まあいい。どうせ聞かれるんだ。「なぜ従うのか」と。
なら──答えればいい。
「公正だから」と。
「敵も味方も関係ないから」と。
私は──書類を差し出した。
「……選択を」




