第104話 廃藩置県〜各貴族目線〜
とある領地──不正を働いていなかった貴族の屋敷。
彼の名前は、あの放送で呼ばれなかった。
「俺は何も悪いことをしていない」
彼は窓の外を見ながら、そう言ったという。
「複式簿記の報告も、正直に出した。領民からの税も、規定通りにしか取らなかった。飢饉の年は、蔵を開いて民に分け与えた。借金をしてまで」
窓の外を見る。領民たちの視線が、変わった気がする。
「同情されている、のか。あるいは──『あいつはマシだった』と」
従者が黙っている。
「……それは、慰めにならない」
帝国の官僚が訪れた。書類を差し出される。
『〇〇伯爵家の領地は、国に召し上げられます。
つきましては、今後の処遇をお選びください。
中央官僚としての登用か、名誉職への退任か』
彼は書類を見つめていた。
俺は何も悪いことをしていない。なのに、俺の土地じゃなくなる。先祖代々、守ってきた土地が。
「……理由を聞いても?」
「国営化です。全領地が対象となります」
「不正を働いた者も、そうでない者も?」
「はい。制度の問題であり、個人の責任ではありません」
「……皮肉だな」
「は?」
「個人の責任ではない──だから、個人の功績も関係ない。そういうことだろう」
官僚は答えなかった。
一人になって、彼は考えた。
頭では分かっている。財政は苦しかった。飢饉の年に作った借金が、まだ残っている。後継ぎは病弱で、いつまで生きられるか分からない。
国が引き取ってくれるなら──楽になる。借金も国が引き継ぐ。後継者問題も消える。
でも。
でも──受け入れられ難い。
窓の外には、領地が広がっている。春には麦が青く波打ち、秋には黄金色に染まる土地。
俺の土地だった。俺の祖父の土地で、曾祖父の土地で。何世代もかけて守ってきた。
それが──国のものになる。「制度変更」の一言で。
反乱を起こす気はない。勝てないと分かっている。でも──納得もしていない。
俺は、静かに飲み込むしかないのか。この苦さを。
◆
別の領地──こちらは不正を働いた貴族の屋敷。
「俺だけじゃない」
彼はそう言った。
「みんなやっていた。昔からこういうものだったんだ」
「父も、祖父も、そのまた父も──同じようにやってきた」
家臣が黙って聞いている。
「急にルールを変えられて──これは不公平だ。俺たちは被害者だ」
でも、声に力がない。自分でも分かっているのだ。言い訳にしかならないと。
「旦那様……帝国の官僚が、お見えです」
「……」
官僚が書類を差し出した。同じ内容──領地の召し上げ、処遇の選択。
「……中央官僚か、名誉職か」
「はい」
「俺に──選ぶ資格があるのか」
「規定通りの処遇です。不正の有無に関わらず、処遇は同じです」
貴族は書類を見つめた。
数字という証拠がある。否定できない。弁明もできない。
……いや、弁明したところで何になる。領民たちは、もう知ってしまった。
彼は──署名した。
「名誉職で」
「承知しました」
中央官僚として働く気力は、もうなかった。領民の前に顔を出せない。帝都で働けば、かつての領民と顔を合わせることになる。
それだけは──耐えられない。
◆
また別の領地──借金に苦しんでいた貴族の屋敷。
「……つまり、借金も国が引き継ぐのか」
「はい。領地に付随する債務は、すべて国庫が負担いたします」
官僚の言葉に、貴族は目を丸くした。
「……本当か」
「はい」
彼は──笑い出した。
「ははっ……ははははっ……」
「旦那様?」
「いや……すまん。おかしくなったわけじゃない」
彼は額を押さえた。
「三代前の当主が作った借金だ。利子が利子を生んで、もう返せる見込みがなかった。毎年、利払いのために領民から税を絞っていた。それでも足りなくて──
……俺は、あと何年で破産するか、いつも計算していた」
官僚は黙って聞いている。
「それが──チャラになる」
「はい。国が引き継ぎます」
貴族は窓の外を見た。
「領地を失う。それは──悲しいことだ。先祖代々の土地だから。でも……
──正直に言えば肩の荷が降りた」
従者が驚いた顔をしている。
「お前たちには悪いが、俺は……ずっと苦しかったんだ。領主として、領民を守らなければならない。でも金がない。借金は膨らむ一方。飢饉が来れば、民が死ぬ。でも蔵には何もない。何もしてやれない。
あの恐怖から──解放される」
彼は深く息を吐いた。
「中央官僚か……やってみるか。俺は、領地経営は下手だったが──数字を読むのは得意だ」
◆
さらに別の領地──若い当主の屋敷。
「父上が亡くなって、まだ半年だ」
若い貴族は、書類を見つめていた。
「やっと領主になれたと思ったのに──
領地が、なくなる」
官僚は淡々と説明した。
「中央官僚としての登用か、名誉職への退任か、お選びください」
「……中央官僚、というのは」
「帝都での勤務となります。能力に応じて昇進の機会もございます」
「名誉職は」
「年金が支給されます。公務はありません」
若い貴族は考えた。
俺は何も知らない。領地経営も、ろくに教わっていない。父上が急に亡くなったから。
これから何十年も、分からないことだらけで領地を治める──そう思うと、正直、気が重かった。
「……中央官僚で」
「承知しました」
従者が驚いた顔をしている。
「よろしいのですか、若様」
「いいんだ。俺には──領主の器がない。それは自分でも分かっている。帝都で働けば、優秀な人間がたくさんいるだろう。そこで学べる。領地を守るより──自分を磨く方が、俺には向いている」
若い貴族は、どこか晴れやかな顔をしていた。
◆
後日、帝都のとある酒場で。
偶然、二人は同じ酒場にいた。不正なき貴族と、不正貴族。
どちらも名誉職を選んだ者たちだ。
「……お前も、ここに来たか」
「……」
「俺たちは同じだ。どうせ領地を失った」
「……同じではない」
「何が違う」
不正なき貴族は、杯を握りしめた。
「俺は──後ろめたさがない」
不正貴族は、黙った。
「俺は民のために借金をした。飢饉の年に、蔵を開けた」
「お前は──民から搾り取った」
「……」
「同じ結果だ。同じように領地を失った。でも──過程が違う」
「俺は胸を張れる。お前は──」
不正貴族は、何も言えなかった。
「……それだけだ」
「それだけが、違う」
二人は無言で酒を飲んだ。
どちらも──幸せではなかった。
◆
別の酒場では、違う光景があった。
「いやー、楽になったわ」
借金を抱えていた元貴族が、上機嫌で酒を飲んでいる。
「お前、よくそんな顔ができるな」
「だって事実だろ。借金がチャラになったんだぞ」
「領地は失っただろう」
「領地なんて、とっくに担保に入ってたよ。実質的には債権者のものだった」
元貴族は杯を掲げた。
「これで俺は自由だ。借金取りに追われることもない。領民を飢えさせる心配もない」
「お前──」
「中央官僚として働くさ。給料は安いかもしれんが、借金の利払いよりはマシだ」
周囲の元貴族たちは、複雑な顔をしている。
「お前みたいに割り切れたら、楽だろうな」
「割り切るしかないだろ。終わったことは終わったんだ」
「……」
「どうせ同じ結果なら、笑って受け入れた方が得だ」
彼は──本当に、楽しそうだった。
◆
「──ということだ、アルブレヒト」
クラウスが報告を締めくくった。各地の貴族たちの反応──喜ぶ者、嘆く者、黙って従う者。様々だったという。
俺は考えていた。
シャルロッテは、ノルデンどころか自国にさえ容赦ない。元敵国領に対してだけじゃない。こんな乱暴なことを自国に対しても行うのだ。あの女は。
廃藩置県。領地を失う。
同じ出来事でも、受け止め方は人それぞれだった。
借金から解放された者は喜び、誇りを奪われた者は苦しみ、若い者は新しい道を見出し、不正を暴かれた者は沈黙する。
「客観的には助かった」けれど「主観的には受け入れられない」──不正なき貴族の苦さ。
「客観的には損した」けれど「主観的には楽になった」──借金貴族の安堵。
同じ制度変更が、人によって「救い」にも「地獄」にもなる。
悪人がいなくても悲劇は起きる。善人がいなくても救いは生まれる。
……世の中は、単純じゃない。
領地を失うことは、貴族にとって何を意味するのか。
俺は──分かる気がした。
ノルデンを失った時の、あの感覚。
自分の居場所が、消えていく感覚。
でも、それでも──俺たちは生きていく。
新しい形で。新しい場所で。
憎んでも、恨んでも、嘆いても──時間は進む。
なら──前を向くしかない。
それしか、ないのだから。




