第103話 そろそろやりましょうか〜アルブレヒト視点〜
シャルロッテは窓の外を見ていた。エマが傍に控えている。
「そろそろやりましょうか」
シャルロッテが言った。
「何をですか?」
エマが問い返す。
「ほら、数年前に言ってたじゃない。不正な貴族を〜ってやつ」
「あぁ、遂に……」
俺には何の話か分からない。でも、エマの顔色が変わった。何か大きなことが起きる──そういう空気だった。
「準備はできてる?」
「はい。各都市の広場にスピーカーの設置が完了しております」
「じゃあ、始めましょう」
◆
帝都の広場に立っていた。
広場の中央に、装置が据えられている。街中に張り巡らされた電線──あれが何のためか、今日ようやく分かる。
広場には民衆が集められていた。何が始まるのか、誰も分かっていない。
クラウスが隣に立った。
「何が始まるんです?」
「……まあ見ていろ」
装置が──鳴った。
シャルロッテの声が響いた。
『帝国臣民に告ぐ。本日、重大な発表を行う』
民衆がざわめいている。何が起きるのか、誰も分からない。
『これに伴い、各領の徴税記録を公開する』
俺は──あの声を知っている。ノルデン併合を宣言した、あの声だ。
『ヴァルター領、過去5年間の超過徴税額、銀貨3万枚』
『シュミット領、帳簿改竄、実際の収穫量との差異、18パーセント』
『ブラウン領、徴発記録と実際の支出の乖離、銀貨1万2千枚』
数字が、淡々と読み上げられていく。
……何だ、これは。
領主たちの不正が──全部、暴かれている。
『──続いて、旧ノルデン領』
俺は耳を疑った。
『旧ノルデン北部州、フィッシャー伯爵家、過去10年間の超過徴税額──』
いつの間に調べた。併合からまだ──
いや。複式簿記の導入は、併合直後から始まっていた。俺が視察で各地を回っている間に、帝国の官僚たちは帳簿を精査していたのだ。
俺が「民の声を聞く」と歩き回っている間に、この化け物は──ノルデンの貴族たちの首根っこを押さえていた。
最初、民衆は何が起きているか分からなかった。
やがて──理解が広がる。
「待て……うちの領主様の名前が……」
「超過徴税……? 俺たち、余分に取られてたのか……?」
「だから、あんなに苦しかったのか……」
ざわめきが、怒号に変わっていく。
「知らなかった……何も知らなかった……」
「あの野郎……俺たちを騙してたのか……!」
シャルロッテの声は、淡々と続いている。感情を込めず、ただ数字を読み上げる。それが──余計に残酷だった。
◆
俺は、立ち尽くしていた。
いつの間にか、エマが隣にいた。
「……何が起きてるんですか、これは」
「帝国では四年以上前に複式簿記を導入しました」
エマが静かに言った。
「帳簿を二重につけることで、不正がわかりやすくなったのです」
「それで……この不正が発覚した、と」
「はい。ですが──お嬢様は、問題を起こしていた貴族を当時罰しませんでした」
「……なぜ」
「不正がわかりやすくなった帳簿を、あえて放置したのです。『不正の記録』を積み上げるために」
背筋が凍る。
四年以上。四年以上、泳がせていた。証拠を積み上げて、技術が整うのを待って──一網打尽にするために。
「……四年以上前から、この瞬間を計画していた」
「はい」
エマの声は、淡々としていた。
この女は──何年も前から、この日のために準備していた。貴族たちは、知らないまま泳がされていた。そして今──逃げ場を塞がれた状態で、全てを暴かれている。
スピーカーからの放送は、まだ続いている。
淡々と、数字が読み上げられていく。帝国各地で、同じ声が響いているのだろう。
「俺の親父は……飢饉の年に死んだ」
隣にいた男が、絞り出すように言った。
「あの年、領主は『蓄えがない』と言った」
「──嘘だったのか」
怒りと、悲しみと、虚しさが混ざり合っている。
その時──スピーカーから、新たな声が響いた。
『──以上が、各領の徴税記録である』
シャルロッテの声が、一呼吸置いた。
『これだけの不正が横行している現状を鑑み、我々は結論に至った』
広場が静まり返る。
『問題は、個々の貴族ではない。貴族領という仕組み自体にある』
俺は息を呑んだ。
『よって、我々は仕組みを変えることを決断した』
『──廃藩置県』
『すなわち、貴族領すべてを国領とする』
一瞬の沈黙。
そして──広場が爆発した。
「は?」
「今、何て言った──」
「廃藩……? 藩ってなんだ?」
「知らん。とにかく領地が無くなるってことだろう」
「領地を……全部……!?」
悲鳴と怒号が入り混じる。俺も、頭が真っ白になっていた。
「やった……!」
歓声を上げる者がいた。
「領主がいなくなる! あの野郎がいなくなる!」
「もう搾り取られなくて済む!」
喜ぶ民衆。だが──全員ではない。
「待て、待て待て……うちの領主様は不正なんてしてなかったぞ」
「そうだ、放送で名前が呼ばれなかった」
「なのに……領地を取り上げられるのか?」
困惑する声。不正を働いていない領主の領民たちだ。
「関係ねえよ! 貴族なんて全員クソだ!」
「そうだそうだ!」
「いや、うちの領主様は違う──」
民衆同士が言い争いを始めている。
広場の隅では、明らかに身なりの良い男が青ざめていた。貴族だ。たまたま広場にいたのだろう。
「おい、あいつ貴族じゃねえか」
「お前も不正してたんだろ!」
「ち、違う、俺は──」
男が逃げ出す。民衆の一部が追いかける。
「待て!」
「逃げるな!」
だが──広場に配備されていた兵士たちが、追いかける民衆を取り押さえた。
「落ち着け! 私刑は許さん!」
……兵士がいる。最初から配備されていたのか。
暴動を防ぐためだ。民衆の怒りは利用するが、暴走は許さない。そういうことか。
俺は動けなかった。これが──革命というものなのか。
革命とは、民衆が国に対して行うものだろう。歴史の本にはそう書いてあった。
でも、あの女は──国の側にいながら、革命を起こしている。
こんなの、ありなのか?
不正を暴くだけじゃなかった。そのまま──貴族制度そのものを解体する。
一度の放送で。一気に。
『詳細は追って通達する。以上』
スピーカーが沈黙した。
だが、広場の混乱は収まらない。
泣いている老婆がいた。
「やっと……やっと分かってもらえた……」
「お父さんは……領主のせいで死んだんだ……」
息子らしき男が、老婆の肩を抱いている。
一方で、呆然と立ち尽くす者もいた。
「これから……どうなるんだ」
「領主がいなくなったら、誰が治めるんだ」
「国が……直接?」
不安と期待が入り混じっている。誰も、この先のことが分からない。
──これが、あの化け物のやり方か。
民衆の怒りを煽り、貴族への恨みを爆発させ、その勢いで制度を変える。
反対する暇すら、与えない。
◆
とある貴族の屋敷では──後からクラウスに聞いた話だ。
「馬鹿な……どうしてあの帳簿が……」
「旦那様、どうされますか」
「どうするも何も……」
複式簿記の導入時──あの時、発覚していたのだ。なのに処罰されなかった。安心していた。見逃してもらえたのだと。
「……泳がされていた」
「ずっと、泳がされていた」
逃げ場はない。今さら否定しても、数字という証拠がある。民衆の耳に、もう届いてしまった。
「し、しかも……廃藩置県……」
「領地が、国のものに……」
「俺の……俺の土地が……」
貴族は椅子に崩れ落ちた。不正を暴かれた上に、領地まで失う。二重の打撃だった。
◆
また別の屋敷──こちらは不正を働いていなかった貴族だ。
「なぜだ……」
彼は窓の外を見ていた。
「俺は何も悪いことをしていない。放送で名前も呼ばれなかった」
「旦那様……」
「なのに……領地を取り上げられるのか?」
不正貴族と同じ処遇。真面目にやってきた者も、そうでない者も、等しく領地を失う。
「これが……公平なのか」
従者は答えられなかった。
「先祖代々……何百年も守ってきた土地だ」
「父から受け継ぎ、息子に渡すはずだった土地だ」
「それが……『制度変更』の一言で……」
彼は拳を握りしめた。
だが──反乱を起こす気にはなれなかった。不正貴族への怒りで、民衆は沸き立っている。今、立ち上がれば──「不正貴族の味方」と見なされる。
「……飲み込むしかないのか。この苦さを」
◆
ある屋敷では、若い貴族が剣を握っていた。
「立ち上がるぞ」
「旦那様……」
「俺たちの土地を奪おうというのだ。黙って従えるか」
だが、古参の家臣が首を振った。
「お待ちください。ノルデン戦争を、ご覧になりましたでしょう」
「……」
「あの火の雨を、お忘れですか」
若い貴族の手が止まった。
戦争視察。あの時見た光景が、脳裏に蘇る。
炎に包まれる城。一瞬で崩れ落ちる城壁。逃げ惑う兵士たち。
「……勝てるわけが、ないか」
剣を置いた。
「ならば……どうすればいい」
「恭順するしかありません。そして、中央で働く機会を得るのです」
「……屈辱だ」
「生きていれば、いつか──」
「いつか、何だ」
家臣は答えなかった。答えられなかった。
◆
そして──即座に恭順を決めた貴族もいた。
「分かった。従おう」
「旦那様……よろしいのですか」
「よくはない。だが、合理的だ」
彼は書状を取り出した。
「どうせ財政は苦しかった。後継ぎの問題もあった。国が引き取ってくれるなら──」
「楽になる、と?」
「少なくとも、領民を飢えさせる心配はなくなる」
淡々と言った。だが、その目は──どこか寂しげだった。
「父上に申し訳が立たんがな」
「……」
「まあ、死んだ人間に恨まれても、どうしようもない」
彼は窓の外を見た。領地が広がっている。春には麦が青く波打ち、秋には黄金色に染まる土地。
「さらばだ」
呟いた。誰に向けてでもなく。
◆
帝都の官庁街で、俺はクラウスと共にいた。
報告が次々と届いている。各地の状況──貴族たちの反応、民衆の動き。
「大規模な反乱の兆候はありません」
官僚が報告した。
「だろうな」
クラウスが頷いた。
「しかし、なぜでしょうか」
「簡単だ」
クラウスは窓の外を見た。
「民の支持を失った状態で、誰が立ち上がる」
「……」
「兵を集めようにも、領民が従わない。仮に集めたところで──」
第二次ノルデン戦争の記憶が、まだ新しい。帝国軍の圧倒的な火力を、貴族たちは知っている。
──ああ、すべてが繋がった。
そのために、帝国とノルデンの戦争を貴族に、参観させていたのか。
あの時、帝国貴族たちが前線に招かれていた。「視察」という名目で。俺はただの示威行為だと思っていた。だが──これが目的だったのだ。
いつか来るこの日のために、逆らえば何が起きるか、その目で見せておくために。
「勝てるわけがない、と分かっている」
「……」
「だから大多数は合理的に屈服する」
◆
夕方、王宮に戻った。
シャルロッテは椅子に座り、報告を聞いていた。表情は変わらない。
「各地の状況です。混乱は起きておりますが、抑え込める見込みです」
エマが報告した。
「そう」
「貴族たちは……ほとんどが沈黙しております」
「でしょうね」
シャルロッテは立ち上がり、窓際に向かった。
「明日から、各領への通達を始めなさい」
「はい」
「使える者は登用、使えない者は名誉職。反乱する者は……まあ、いないでしょうけど」
その声は、淡々としていた。たった今、帝国の形を根底から変える発表をしたばかりなのに──感情の揺らぎは、見えない。
俺は壁際に立って、その光景を見ていた。
廃藩置県。
領地を召し上げる。貴族という身分は残るが、実質的な力を全て奪う。
不正を働いた者も、そうでない者も、等しく。
帝国は──変わる。
シャルロッテの思い描く形に。
俺は──その変化の中で、何ができる。
ノルデンの貴族たちも、同じ運命を辿るのだろう。俺が知っていた世界が、音を立てて崩れていく。
でも──立ち止まっている暇はない。
この流れの中で、ノルデンの民のために動く。それが、俺の役目だ。




