第99話 見せてるのよ〜アルブレヒト視点〜
会議が終わり、シャルロッテは執務室に戻った。
俺もついていく。「まだ見届けることがある」と言われたからだ。断る選択肢はない。
執務室は、思ったより質素だった。大きな机。書類の山。窓からは、夏の陽が差し込んでいる。
シャルロッテが椅子に座った。足は床に届かない。だが、その存在感は──部屋を支配している。
エマが茶を淹れている。あのメイドだ。シャルロッテの側近。いや、ただのメイドではない。帝国の会議に同席し、大臣たちと対等に話す──異様なメイド。
エマの動きがどこかぎこちない。何か言いたいことがあるのだろう。
茶を置いた。そして──まっすぐシャルロッテを見た。
「お嬢様」
「何?」
「あの……今日の会議のことですが」
「通貨の話?」
「はい」
エマは、一瞬躊躇した。だが──口を開いた。
「なぜ、あそこまで良くしてあげるのですか?」
俺は息を止めた。
それは──俺も聞きたかったことだ。
エマは続けた。その声には、押し殺した感情がにじんでいた。
「ノルデンは……2度も我が国に攻めてきた敵です」
「……」
「1度目は、お嬢様がまだ6歳の時でした。2万の兵で攻め込んできた」
知っている。父上から聞いた。だが──結果は父上が捕まり、あの化け物に屈服させられて終わった。あの時からシャルロッテは「戦ってはならない相手」になったのだ。
「2度目は、今回です。5万の兵を率いて攻め込んできた」
エマの目が、一瞬だけ俺を見た。すぐに逸らされたが──その目には、怒りがあった。
「村が略奪されました。二度目は民は避難していましたし、死者は出ませんでしたが……家財を奪われ、畑を荒らされた農民がいるのです」
「……」
「なのに──通貨は公平に扱う? 貯蓄を守ってあげる?」
エマの声が、少しだけ震えた。
「もっと厳しい条件でも、誰も文句は言えないはずです。むしろ……そうすべきではないのですか?」
俺は、何も言えなかった。
その通りだ。俺たちは──敵だった。2度も攻め込んだ。帝国の民を殺した。
負けた。完膚なきまでに。
どんな条件を突きつけられても、受け入れるしかない。それが敗者の立場だ。復讐されても、搾取されても、文句は言えない。
なのに──良心的なレート。搾取しない統合。
エマの言う通りだ。なぜ、そこまでする。
俺ですら、不気味に思っている。敵であるエマが納得できないのは、当然だ。
シャルロッテは茶を一口飲んだ。
そして──
「良くしてるんじゃないわ」
「え?」
「見せてるのよ」
「見せ……?」
シャルロッテが立ち上がった。窓際に歩いていく。小さな背中が、逆光に浮かんでいる。
「エマ、ノルデンの向こうには何がある?」
「え……他の国、ですか」
「そう。メリディア商業連合、ヴェストリア公国、オストマルク辺境伯領、聖フィデリス教皇領、カニス王国、シミア王国、ソラーレ王国……帝国の周りには、いくつもの国がある」
シャルロッテは窓の外を見ている。その目は、遥か遠くを見ているようだった。
「彼らは今、息を潜めて見ているわ。帝国がノルデンをどう扱うか」
「……」
「搾取するのか。蹂躙するのか。それとも──まあ実際に対応する方は予想もしてないでしょうけどね」
俺は、息を呑んだ。
「次に帝国と対峙する国は、こう考えるわ」
シャルロッテの声は、淡々としていた。
「『ノルデンは5万の兵で攻め込んで、完膚なきまでに叩き潰された。だが、降伏した後は公平に扱われている。通貨も守られた。民も殺されていない』」
「……」
「『じゃあ、抵抗する意味があるのか?』」
次の国。
その言葉の意味が──ようやく分かった。俺は背筋が凍った。
「『抵抗したらあの火の雨。降伏したらこの条件』」
シャルロッテは小さく笑った。
「あなたならどちらを選ぶ?」
俺は、呆然と立ち尽くしていた。
……そういうことか。
優しさじゃない。これは──武器だ。
この女は、もうノルデンを見ていない。
俺たちへの処遇を決めながら、その先を見ている。次の国を。その次の国を。10年後、20年後の帝国の版図を。
ノルデンを優遇することで、次の国の戦意を削ぐ。降伏のハードルを下げる。抵抗する理由を奪う。
俺たちは──見本にされているのか。
「帝国に負けても、こんなに良くしてもらえますよ」という、生きた広告。
……化け物め。
エマも言葉を失っている。青ざめた顔で、シャルロッテを見つめている。
シャルロッテが振り返った。
「それに、搾取したら反乱が起きるでしょう?」
「……」
「反乱を鎮圧するコストと、最初から良心的にするコスト。どちらが安いと思う?」
「……後者、ですか」
「正解。私は損得で動いているだけよ」
損得。
そう言い切る9歳の化け物。
「……本当に、それだけですか?」
エマが、かすれた声で聞いた。
「それだけよ。善意じゃないわ」
シャルロッテの目が、俺を見た。冷たい目。底の見えない目。
「……アルブレヒト、何か言いたそうね」
「……いや」
言葉が出てこない。
「……理解した、とだけ」
「ふうん。それならいいわ」
シャルロッテは椅子に戻った。書類に目を落とす。俺たちのことなど、もう興味がないように。
執務室を出た。
廊下を歩きながら、俺は考え続けていた。
俺たちは見本だ。
「帝国に負けたらこうなりますよ」という、生きた広告だ。
悔しい。悔しいが──否定できない。
あの女は、俺たちの命すら道具にしている。殺す代わりに、生かして利用している。
どちらが残酷かは──分からない。
でも。
俺は、この仕組みを使う側に回ると決めた。
利用されながら、利用し返す。
ノルデンの民が、少しでもマシな暮らしをできるように。その「見本」を、逆に使ってやる。
……できるか?
分からない。
でも──やるしかない。
窓の外では、夕陽が沈みかけていた。帝都の街並みが、赤く染まっている。
俺は──ここで生きていく。
この化け物の国で。利用されながら。利用し返しながら。
それが──俺にできる唯一のことだ。




