第5話 最高の一枚と、もう一回
花火の音を追いかけるように、俺たちは神社の広場へ向かった。
右には夏帆、左には千紗。二人はまだ俺の手を離そうとせず、指を絡めたまま人混みを歩いている。さっき仕掛けた恋人繋ぎは、どうやら思った以上に気に入ってもらえたらしい。
「あっ、いた! おじいちゃーん!」
夏帆が声を上げた先には、カメラを構えた祖父の姿があった。
広場の奥、大きな木のそばだ。そこだけ少し地面が高くなっていて、花火を見るには絶好の場所らしい。祖父は俺たちに気づくと、カメラを下ろして手を振った。
「おお、来たか。三人とも、ずいぶん仲がいいな」
「えへへ、いいでしょ!」
夏帆が得意げにつないだ手を持ち上げる。千紗は少し恥ずかしそうに笑ったが、俺の手を離そうとはしなかった。
「じいちゃん、三人で写真を撮ってくれないか?」
「もちろん。そのつもりで待ってたんだ」
祖父は嬉しそうに目を細めた。
「結婚式のときも三人で撮ったな。あのときは、なかなかまともに並んでくれなくて苦労したよ」
「あれは夏帆が変なポーズするからだろ」
「悠真だって一緒にやってたじゃん!」
「私は二人を止めたんだけどね」
千紗まで口を挟むと、祖父は声を立てて笑った。
あの結婚式から、まだそれほど経っていない。それなのに、あの日の写真を思い出すと、ずいぶん昔のことのような気がした。
◇
祖父に案内されたのは、広場の端にある開けた場所だった。背後には花火の上がる夜空が広がり、近くの木々が観客の列をほどよく遮っている。
「悠真が真ん中ね!」
夏帆が俺の右側に立ち、千紗も左側へ回った。二人は浴衣の袖を整えてから、俺の腕にそれぞれ手を添える。
祖父は何枚か試し撮りをし、カメラの画面を確認した。
「もう少し三人で寄ってくれ。悠真、お前だけちょっと前に出てるぞ」
「えっ、そう?」
俺が足元を見ると、確かに二人より半歩ほど前に立っていた。
花火の音が響く中、祖父はカメラを構え直している。夏帆と千紗も俺との隙間を詰めようと、それぞれ身体を内側へ傾けた。
「悠真、こっち!」
「もう少し下がって!」
二人に同時に呼ばれ、俺は顔を上げながら一歩下がった。
その瞬間だった。
右の頬に、何か柔らかいものが触れた。
ほとんど同時に、左の頬にも。
「……え?」
「きゃっ!」
「ご、ごめん!」
夏帆と千紗が、弾かれたように俺から離れた。
どうやら二人とも、俺に声をかけようと顔を向けたまま近づいていたらしい。そこへ俺が下がったものだから、頬に唇が触れてしまったのだ。
夏帆は自分の口元を押さえ、千紗は両手で頬を覆っている。二人とも、提灯の明かりだけでは説明できないほど顔が赤かった。
「ち、違うからね! 今のは事故だから!」
夏帆が慌てて言う。
「分かってるって。俺も下がったし」
「私も、あんなに近くにいると思わなくて……」
千紗はそこで言葉を切り、俺と目が合うと、ますます顔を赤くした。
俺だって平気なわけがない。さっきまで何度も手をつないでいたのに、頬への一瞬の接触だけで、心臓が妙に落ち着かなくなっている。
「……あのさ、悠真」
夏帆がおそるおそる俺を見た。
「何だよ」
「顔、真っ赤だよ?」
「お前に言われたくない!」
思わず言い返すと、夏帆は一瞬きょとんとしてから吹き出した。
「あははっ! そりゃそうだ!」
「お姉ちゃん、笑いすぎ!」
「だって千紗だって真っ赤なんだもん!」
千紗が恥ずかしそうに姉の袖を引っ張る。夏帆はまだ笑っていたが、その耳も赤いままだ。
俺も二人の顔を見比べているうちに、とうとう笑ってしまった。
「お前ら、ほんと勘弁してくれよ……」
「悠真だって、急に下がってくるんだもん!」
「じいちゃんに言われたからだろ!」
祖父はそんな俺たちを、カメラを下ろしたまま楽しそうに眺めていた。
「いやあ、若いっていいなあ」
「じいちゃんまで!」
祖父が声を立てて笑うと、また一つ、大きな花火が頭上に開いた。
◇
「さて、そろそろ撮り直すか。花火が終わってしまうぞ」
祖父に促され、俺たちは元の位置に並び直した。
今度は俺が最初から二人と同じ位置に立ち、夏帆と千紗も腕が触れる程度の距離を保っている。
「もう、今度こそ普通に撮ろうね」
千紗がそう言うと、夏帆も大きく頷いた。
「そうそう! ちゃんとした記念写真!」
「お前ら、絶対に変な動きするなよ」
「悠真こそ!」
祖父がカメラを構えるまで、俺たちは小声でそんなやり取りを続けていた。
広場の向こうで、次の花火を待つ観客のざわめきが広がっている。夏帆は一度乱れた髪を直し、千紗も浴衣の襟元を確かめていた。
「ねえ、悠真」
準備を終えた夏帆が、俺の顔を覗き込んだ。
「ん?」
「さっきの、そんなにびっくりした?」
「当たり前だろ。心臓が止まるかと思ったぞ」
「……ふうん」
夏帆は妙に楽しそうな顔になった。
その視線が、俺の向こう側へ動く。千紗も姉を見返し、二人は何かを確かめるように目を合わせた。
さっき恋人繋ぎを仕掛けたときにも、似たような顔をしていた気がする。
「……おい。何か企んでないか?」
「別にー?」
「悠真、前を向いて。おじいちゃんが撮れないでしょ」
千紗まで何食わぬ顔をしている。
怪しい。ものすごく怪しい。
けれど、祖父はすでにカメラを構えていたし、花火も次々と上がっている。俺は仕方なく正面を向いた。
「よし、三人ともそのまま。次の花火が上がったら撮るぞ」
祖父の声に合わせ、俺は背筋を伸ばした。
打ち上げの音が聞こえる。
夜空を見上げそうになった、そのとき。
左右から、二人が同時に身体を寄せてきた。
右の頬に、ちゅっと柔らかな感触。
左の頬にも、同じように。
「――っ!?」
今度は、事故じゃない。
夏帆も千紗も、俺の驚いた顔をしっかり見届けてから離れたのだ。
背後で花火が開き、祖父のカメラから連続してシャッター音が響く。
「やったーっ!」
「大成功!」
夏帆と千紗が俺の前で向かい合い、ぱんっと勢いよくハイタッチした。
俺は口を開いたまま、二人を見ていた。
何か言わなければと思うのに、言葉がまるで出てこない。そんな俺を見て、二人はますます嬉しそうに笑っている。
「どう、悠真? びっくりした?」
夏帆が得意げに胸を張る。その隣で、千紗までいたずらっぽく笑っていた。
「この前のお返しだよ」
「……お返し?」
「恋人繋ぎ。悠真、私たちが油断してるところを狙ったでしょ?」
そう言われて、ようやく二人の顔を交互に見た。
さっきの目配せは、そういうことだったのか。
「……お前ら、二対一はずるいだろ」
「えへへ、いいじゃん!」
夏帆は悪びれもせず、千紗の肩を抱き寄せた。千紗も姉に寄り添い、勝ち誇ったように俺を見上げている。
「悠真、顔赤いよ?」
「お姉ちゃん、そこまで言ったらかわいそう」
「千紗だって笑ってるだろ!」
俺が抗議すると、千紗はとうとうこらえきれなくなったらしい。姉の肩に顔を伏せて笑い始め、夏帆もつられて声を上げた。
俺も何か言い返してやろうとした。
けれど、夏帆は千紗にしがみつくほど笑っているし、千紗も浴衣の袖で目元を押さえながら、まだ笑いをこらえきれていない。
そんな二人を見ているうちに、俺までおかしくなってきた。
「……くそっ。今回は完敗だ!」
「あははっ! やっと認めた!」
夏帆が俺の肩を叩く。千紗も笑いながら反対側へ回り、俺の腕を取った。
その拍子に、三人の顔がまた近づく。
「お、おい! 今度は何だよ!」
「何もしないって!」
「悠真、警戒しすぎだよ」
「お前らのせいだろ!」
夏帆がまた吹き出した。
頭上では色とりどりの花火が開き、腹に響く音が広場を揺らしている。祖父はいつの間にか俺たちのやり取りを撮るのに夢中になっていて、俺が抗議すると、今度はカメラ越しに笑われてしまった。
まったく、どいつもこいつも。
それでも、二人に挟まれて笑っていると、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。
◇
花火が終わり、広場に拍手が広がった。
祖父はカメラの画面を確認していたが、やがて満足そうに頷いた。
「いやあ、いいものを撮らせてもらったよ」
「じいちゃん、変な写真ばっかりじゃないだろうな?」
「どうかな。ちょっと見てみるか?」
差し出されたカメラを、三人で覗き込んだ。
花火を背に並んだ写真もあれば、驚いて顔を赤くした写真もある。祖父は俺たちが騒いでいる間、ずっと撮り続けていたらしい。
「ねえ、おじいちゃん。これ、私たちにも送って!」
夏帆が嬉しそうに言うと、千紗も頷いた。
「私も欲しい。全部残しておきたいな」
「もちろんだ。そうだ、一枚だけフォトコンテストに応募してもいいか?」
「おじいちゃんも出るの?」
「せっかくだから、わしも勝負に混ぜてくれ」
祖父はいたずらっぽく笑った。
どうやら、俺たちの勝負をずっと楽しそうに見ていたらしい。
「いいよ! でも、大賞は譲らないからね!」
「私だって負けないよ」
千紗もすぐに対抗する。二人は俺にも確認してきたので、もちろん構わないと答えた。
祖父は嬉しそうにカメラをしまったが、どの写真を応募するつもりなのかは教えてくれなかった。
祖父と別れたあと、俺たちは屋台の明かりが残る参道を歩いた。花火が終わったばかりの境内には、帰り支度をする家族連れの声が満ちている。
夏帆は少し前を歩いていたが、ふいに振り返った。
「ねえ、悠真。来年も三人で来ようよ!」
「いいな。また写真撮ろうぜ」
「じゃあ、来年こそ私が大賞を取るからね」
千紗がそう言うと、夏帆は笑って妹の肩を抱いた。
「千紗、それは私の台詞!」
「まだ今年の結果も出てないだろ!」
俺が言い返すと、二人は顔を見合わせて笑った。
しばらく歩いたところで、夏帆が突然立ち止まった。何かと思えば、神社の石段を指さしている。
「ねえ、最後にグリコやって帰ろうよ!」
「またかよ! 浴衣だぞ?」
「じゃんけんくらいできるでしょ!」
千紗は呆れたように笑っていたが、夏帆が勝負を挑むと、すぐに袖をまくる真似をして拳を出した。
俺も負けじと二人の前に立つ。
「よーし、じゃんけん、ぽん!」
最初に勝ったのは千紗だった。
「あっ、私の勝ち!」
「ずるい! もう一回!」
「お姉ちゃん、何がずるいの?」
「負けたままじゃ帰れないでしょ!」
夏帆が悔しそうに拳を突き出すと、千紗も楽しそうに構え直した。
俺は二人の間に割って入り、声を張り上げる。
「次は俺が勝つからな!」
三人の笑い声が、花火の終わった参道に響いた。
◇
それから、何十年もの月日が流れた。
穏やかな午後の光が、寝室の窓から差し込んでいる。
年老いた悠真はベッドに横たわり、枕元に座る妻の手を握っていた。呼吸は浅く、言葉を口にするにも少し時間がかかる。
窓際には、もう一人の従姉妹が、自分の夫と肩を並べて立っていた。
部屋の壁には、古い写真が一枚飾られている。
あの夏のフォトコンテストで、大賞に選ばれた写真だった。
花火を背にした少年が目を丸くし、その両頬に二人の少女がキスをしている。祖父が応募したのは、あの二度目の瞬間だった。
悠真は写真を眺め、ゆっくり妻に目を向けた。
「なあ、お前。楽しかったよな」
妻は握っていた手に、そっと力を込めた。
「ええ。本当に」
窓際から小さな笑い声が聞こえ、悠真もかすかに笑った。
妻が顔を寄せる。
「あちらでも、また三人で楽しみましょうね」
悠真はもう一度、壁の写真を見た。
あの夏の三人は、今も楽しそうに笑っている。
「……ああ。もう一回な」
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
夏帆、千紗、そして悠真。
三人の賑やかな恋の勝負を、一緒に楽しんでいただけたなら嬉しいです。
改めまして、作者の澄野 朔です。
義姉・義妹・義母など、少し特別な関係から始まる現代恋愛を中心に、全5話完結の物語を書いています。
よろしければ、シリーズ『5話で完結する、少し特別な恋愛物語』も覗いてみてください。
作品を気に入っていただけましたら、評価・感想・作者のお気に入り登録で応援していただけると、とても励みになります。
それでは、また別の物語でお会いしましょう!




