第3話 千紗の完璧なデート計画は、予定どおりにいかない
朝八時五十分。
祖父母の家の居間では、千紗がスマホの画面とにらめっこしていた。テーブルには小さな三脚と日傘まで用意されている。
「おはよう。ずいぶん気合い入ってるな」
「おはよう、悠真。準備できた?」
「ああ。でも、まだ十分前だぞ」
「遅れるよりいいでしょ」
千紗はスマホを伏せ、何事もなかったように立ち上がった。
「昨日からずっと調べてたもんねー」
背後から夏帆が顔を出す。
「お姉ちゃん! 余計なこと言わないで」
「ねえ、悠真。千紗ってば予定表まで作ってたんだよ。どこで手をつなぐかも決めてたりして!」
「そんなことまで決めてない!」
千紗が勢いよく言い返すと、夏帆は楽しそうに笑った。
「ま、今日は千紗の番だし。楽しんできなよ」
そう言いながらも、夏帆は少し名残惜しそうに俺を見た。昨日はあんなに得意げだったのに、今日は送り出す側なのだから仕方ない。
「うん。お姉ちゃんには負けないから」
千紗が笑顔で応じる。
どうやら今日も、ただのデートでは済まなそうだ。
◇
千紗が選んだのは、町外れを流れる川の遊歩道だった。
住宅街を抜けると視界が開け、日差しを受けた川面がきらきら光っている。対岸には低い山並みが続き、川沿いには木陰のある道も整備されていた。
「へえ、いい場所だな」
「でしょ? 夏祭りの写真を撮るなら、この辺りがいいと思って」
千紗は嬉しそうにスマホを取り出した。撮影場所だけでなく、光の向きや休憩できる場所まで調べてあるらしい。
「そこまで準備してくれたのか」
「だって、悠真と二人で出かけるんだから……」
千紗は言いかけて、慌てて画面に視線を戻した。
「それに、お姉ちゃんに負けたくないし!」
橋の近くに着くと、早速撮影が始まった。俺は言われるまま欄干の前に立ち、千紗がスマホを構える。
「もう少し右。……ううん、半歩左かな」
「どっちだよ」
「そこで笑って」
「こうか?」
笑顔を作ってみせると、千紗は難しい顔をした。
「……なんか違う」
「注文が多いな!」
「だって、いつもの悠真はもっと楽しそうに笑うもん」
そんな無茶な注文があるか。
思わず吹き出すと、千紗が慌ててシャッターを切った。
「あっ、今の! そういう顔が撮りたかったの!」
画面を見せてもらうと、確かにさっきの作り笑いより自然だった。感心していると、千紗はもう一枚撮ろうとスマホを構え直す。
そこで俺は、思いきり変顔をしてやった。
「ちょっと、悠真!」
抗議する千紗も、笑いをこらえきれていない。せっかく考えてきた構図なのに、俺がふざけるたび撮影が中断する。
「もう! これじゃ全然予定どおりに進まない!」
「じゃあ、次は俺が撮る番だな」
「え?」
俺が手を差し出すと、千紗は不思議そうに首をかしげた。
「さっきから俺ばっかり写ってるだろ。千紗の写真も撮ろうぜ」
「私は撮る側だから……」
「せっかく二人で来たんだしさ」
少し迷ったあと、千紗はスマホを渡してくれた。
今日の彼女は淡い黄色のブラウスに白いスカート。髪もいつもより丁寧に整えている。木陰に立ってもらうと、千紗は少し緊張した様子で背筋を伸ばした。
「そんなにかしこまるなって。さっき俺に言っただろ、自然に笑えって」
「それが難しいんだよ」
千紗は困ったように笑った。
ちょうど木漏れ日が彼女の頬に落ちたので、俺はその瞬間にシャッターを切った。
「ほら、いい感じ」
隣に来た千紗が画面を覗き込む。写っている自分を見て、少し驚いたようだった。
「……こんな顔してたんだ、私」
「かわいいじゃん」
何気なく言った途端、千紗がこちらを見上げた。
「……かわいい?」
「ああ。今日の服も似合ってるし」
千紗は口元を押さえ、慌てて写真へ目を戻した。
「もう……。そういうの、撮る前に言ってよ」
「撮る前だったらどうするんだ?」
「もっと緊張して、変な顔になってた」
本人があまりに真面目に答えるので、二人で笑ってしまった。
◇
「そうだ。今度は二人で撮ろうぜ」
俺が言うと、千紗はスマホを操作していた手を止めた。
「……二人で?」
「恋人写真の練習だろ? 俺だけ写ってても意味ないじゃん」
千紗はしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「……うん。撮ろう」
持ってきた三脚を遊歩道の端に置き、スマホを固定する。千紗は背景や角度を何度も確かめていたが、いざ隣に並ぶと、なぜか俺との間に妙な隙間ができた。
「千紗、もう少し寄らないと画面に入らないぞ」
「分かってる」
千紗が半歩近づく。
それでもまだ少し遠い。俺が位置を確かめようとすると、千紗がそっと袖をつまんだ。
「……これなら、入る?」
「ああ。たぶん」
肩が触れそうな距離だった。千紗はスマホの画面を見ているふりをしているが、袖をつまんだ指は離れない。
「悠真は……平気なの?」
「何が?」
「こんなに近くても」
そう聞かれて、改めて千紗を見た。
すぐ隣にある横顔は、三年前の記憶よりずっと大人びている。いつもは冷静な千紗が、今は俺の返事を待って落ち着かなさそうにしていた。
「……平気じゃないぞ。結構緊張してる」
千紗が驚いたように顔を上げる。
「悠真も?」
「そりゃ、するだろ」
なぜか俺まで恥ずかしくなって、二人そろってスマホのほうを向いた。
セルフタイマーの数字が減っていく。
三、二、一。
シャッター音が響く直前、千紗が袖を引いてもう半歩近づいてきた。
「あっ」
小さく声を上げた千紗と、つられて振り向いた俺。
その瞬間に撮影が終わった。
「……失敗した?」
「どうだろうな」
スマホを確認すると、二人とも少し照れくさそうな顔をしていた。背景の川は斜めだし、考えていたような完璧な構図でもない。
けれど、肩を寄せ合っている千紗が、普段は見せない柔らかな表情で笑っていた。
「俺、この写真好きだな」
千紗は画面を見つめたまま、小さく頷いた。
「……私も」
その声があまりに嬉しそうだったので、俺はもう一度写真を見た。
「よかったな。ちゃんと二人で撮れて」
「うん。……悠真が言ってくれなかったら、たぶん私からは誘えなかった」
千紗は照れくさそうに笑い、写真を保存した。
もう一枚撮ろうかと聞いてみたが、千紗は首を横に振った。
「今日は、これがいい」
そう言ってスマホを大切そうに鞄へしまった。
◇
撮影が終わると、千紗は再び予定表を開いた。
「じゃあ、次は……」
画面を見ながら歩き出しかけたところで、俺は川の向こうへ続く遊歩道に気づいた。大きな木が並び、日陰の道が緩やかに曲がっている。
「なあ、千紗。あっちも歩いてみないか?」
「えっ。でも、そっちは予定に……」
千紗は言いかけて、俺の指さす方向を見た。
少し迷っているようだったので、俺は慌てて付け加える。
「嫌ならいいんだけどさ。せっかく二人で来たし、もう少し一緒にいたいなって」
千紗が顔を上げた。
「……もう少し?」
「ああ」
すると彼女は、スマホの画面を閉じた。
「じゃあ、あっちに行こう」
「いいのか?」
「うん。今日はもう、予定どおりじゃなくてもいいかな」
そう言って歩き出した千紗は、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。
木陰の道を並んで歩きながら、学校のことや最近好きになったものを話した。千紗は写真以外にも話したいことがたくさんあったらしく、話題が途切れることはなかった。
途中、彼女がスマホを開くたび、さっきのツーショットがちらりと見える。
「そんなに気に入った?」
「……うん」
千紗は少し照れながらも、今度は画面を隠さなかった。
「今日、一番の予定外だったから」
俺が笑うと、千紗も笑った。
「ねえ、悠真。もう少し先まで行ってみない?」
今度は千紗からの誘いだった。
「いいぞ。帰りが遅くなるって怒られても知らないからな」
「大丈夫。余裕を持って予定を組んであるから」
「結局、計画どおりなのかよ!」
千紗は声を立てて笑い、俺より先に歩き出した。
◇
祖父母の家に戻ると、夏帆が居間で待ち構えていた。
「おかえり! で、どうだった?」
「楽しかったよ」
千紗は何食わぬ顔で答えたが、夏帆はすぐにスマホへ目を向けた。
「写真撮ってきたんでしょ? 見せて!」
千紗が例のツーショットを表示すると、夏帆の笑顔がぴたりと止まった。
「……ちょっと待って。近くない?」
「写真だからね」
「いやいや、ほとんどくっついてるじゃん!」
夏帆は画面と俺の顔を交互に見た。千紗が少し得意げに胸を張る。
「悠真のほうから、一緒に撮ろうって言ってくれたんだよ」
「…………ぐぬぬ!」
昨日の千紗とそっくりの声が漏れた。
俺が吹き出すと、夏帆は抗議しようとしたが、もう一度写真を見て口を閉じた。
「……でも、いい写真じゃん。千紗、すっごく楽しそう」
「でしょ?」
千紗が嬉しそうに笑う。
夏帆はその顔を見て、ふっと笑い返した。けれど、すぐに拳を握る。
「よーし! 夏祭りでは絶対、もっとすごい写真を撮る!」
「私だって負けないからね」
二人は早速、それぞれの撮影作戦を考え始めた。夏帆は勢いよくスマホを操作し、千紗は隣から覗こうとして「秘密!」と追い払われている。
やがて夏帆が何かを思いついたらしく、にやりと笑った。
「ふふふ……悠真、夏祭りは覚悟しててね」
「何をする気だよ」
「それは当日のお楽しみ!」
千紗まで興味を持ったらしく、姉の画面を覗き込もうとする。
「お姉ちゃん、何を考えたの?」
「千紗にも秘密!」
「ずるい! 私だって準備してるのに!」
姉妹は互いのスマホを守りながら、楽しそうに言い争っている。
俺が呆れて笑っていると、夏帆が顔を上げた。
「悠真、笑ってられるのも今のうちだからね!」
「そうそう。夏祭りは私たちの本番だから」
二人がそろってこちらを見る。
「「絶対、負けないから!」」
……おいおい。
どうやら夏祭りでは、写真を撮るだけでは済まなそうだった。




