第2話 夏帆とデート、昔とは違う手の温度
夏休み初日。祖父母の家で朝食を終えるなり、夏帆が俺の腕を取った。
「悠真、デート行くよ!」
「分かったから引っ張るな。で、どこへ?」
「歩けば何か見つかるって!」
麦茶を飲んでいた千紗が、呆れた顔を上げる。
「お姉ちゃん、何も決めてないんでしょ」
「無計画じゃなくて、自由なの!」
「はいはい。悠真、明日は私の番だからね」
千紗は笑顔で俺を見送ったが、夏帆が靴を履かせる勢いで急かすと、少しだけ眉を寄せた。
◇
連れてこられたのは、祖父母の家から歩いて十五分ほどの商店街だった。古い時計屋も、軒先を花で埋めた店も、子供の頃と変わらない。夏帆は店先を一つずつ覗きながら歩き、やがて小さなアイスクリーム屋の前で立ち止まった。
「ここ、まだあった! 悠真はチョコでしょ?」
「今日は抹茶」
「えっ、いつの間に裏切ったの!?」
「アイスに義理立てする必要あるか?」
夏帆は大げさに嘆いたわりに、自分は迷わずチョコを買った。店先のベンチに腰掛けると、俺のカップを覗き込んでくる。
「抹茶、そんなにおいしい?」
「食べてみるか?」
俺が使っていたスプーンにひと口分すくって差し出すと、夏帆はためらわず食べた。
「おいしい! でも私はチョコの勝ちかな。悠真も食べてみてよ」
夏帆が自分のスプーンを俺の口元に運びかけ、ぴたりと止まる。その目が俺のスプーンと自分のスプーンを行き来した。俺も、彼女がさっき何を使って食べたのか、今さら気づいた。
「……新しいスプーン、もらってこようか?」
「……お願い」
替えのスプーンをもらって戻ると、夏帆は何事もなかったようにチョコを差し出した。ただ、一口食べたあとも、俺たちはしばらくアイスから目を上げられなかった。
◇
商店街を抜けると、昔よく遊んだ神社が見えてきた。夏帆は石段を見上げるなり、いたずらっぽく笑う。
「ねえ、グリコ覚えてる? 久しぶりに勝負しようよ」
「高校生にもなって?」
「負けるのが怖いんだ?」
「言ったな。受けて立つ」
じゃんけんに勝った手で段数が決まる、あの遊びだ。俺たちは石段の下で向かい合い、本気で拳を振った。
「じゃんけん、ぽん! やった、チ・ヨ・コ・レ・イ・ト!」
「六段はずるい!」
「文句は勝ってから!」
俺は二度続けて負け、ようやく勝ったときには三段進んだだけで歓声を上げた。通りかかった親子が振り返ったが、夏帆は構わず笑っている。最後の一段を先に上ったのも夏帆だった。
「私の勝ち!」
「くそ、もう一回!」
「やる気じゃん!」
二度目は俺が勝った。夏帆が三度目を要求したところで、二人とも汗だくになっているのに気づき、木陰のベンチへ逃げ込んだ。
「千紗がいたら、勝負の記録までつけてそうだな」
「あはは、絶対やる! 今度は三人で来ようよ」
夏帆はそう言って笑ったあと、当然のように「次も私が勝つけどね」と付け加えた。
◇
冷えたお茶を飲みながら息を整える。葉の隙間から落ちる日差しが、石段にまだらな模様を作っていた。隣の夏帆は額の汗を拭い、しばらく空を見上げていたが、ふっと笑った。
「今日って、デートだったんだよね。アイス食べてグリコして……小学生の頃と一緒じゃん」
「楽しかっただろ?」
「うん。すっごく。でも、せっかく二人きりなのにさ」
夏帆はペットボトルを膝に置き、つま先で地面の小石を転がした。さっきまで誰より大声で笑っていたのに、今は俺の顔を見ようとしない。
「俺は、今日みたいなデートが好きだぞ。夏帆といると、つい本気になるし」
振り向いた夏帆と目が合う。俺は続けるつもりだった言葉を飲み込んだ。変わらない笑顔を見て安心していたのに、こうして黙っている彼女は、知らない女の子みたいに見えた。
「……そっか」
夏帆はペットボトルを鞄にしまうと、勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、最後くらいデートっぽくしよ!」
「例えば?」
「手、つなぐとか」
差し出した手とは裏腹に、夏帆の声は少し小さかった。俺が立ってその手を握ると、彼女は目を丸くする。
「えっ、ほんとに?」
「夏帆が言ったんだろ」
「言ったけど……!」
じゃんけんでは何度も向かい合わせた手だ。握ると、指の細さも温かさも妙にはっきり伝わってきた。俺だって平気なわけじゃない。けれど、今さら離すほうが気まずかった。
石段を下り始めると、夏帆は歩幅を合わせてくれた。さっきの勝負なら一段でも先を争ったくせに、今は急がない。手をつないだまま鳥居をくぐり、商店街へ戻る頃になって、ようやく夏帆が口を開いた。
「……今日は私の勝ちかな」
「何の?」
「悠真と手、つないだから」
「俺もつないだんだから、引き分けだろ」
「もう! そこは勝たせてよ!」
夏帆が笑って俺の手を揺らした。俺も軽く握り返すと、彼女は横を向いたまま黙ってしまった。
◇
商店街の掲示板に、『夏祭りフォトコンテスト テーマ・夏の最高の思い出』というポスターが貼られていた。夏帆は俺の手を離して駆け寄り、応募要項を見上げる。
「これ出ようよ! 浴衣で花火を背景に、悠真と恋人写真を撮るの!」
「大賞を取る気満々だな」
「千紗にも負けないし。それに……悠真との写真、欲しいし」
最後だけ小さく付け加えて、夏帆は先に歩き出した。追いつくと、何事もなかったように俺の隣に戻ってくる。俺はもう一度手を差し出そうか迷ったが、彼女がポスターの話を始めたので、結局そのまま並んで歩いた。
◇
祖父母の家に戻ると、千紗が居間で麦茶を飲んでいた。
「おかえり。どうだった?」
「最高! 悠真と手もつないじゃった!」
夏帆の報告を聞いて、千紗の指がグラスの縁で止まった。俺が頷くと、氷がからんと鳴る。
「……ぐぬぬ」
「千紗、今ぐぬぬって言った?」
「言ってない」
夏帆は得意げだったが、千紗もその顔を見ると、口元を緩めた。
「……まあ、楽しかったならよかったね。明日は私の番だけど」
「千紗も何か考えてるのか?」
「もちろん」
千紗はスマホを取り上げ、画面を俺から隠しながら予定を確かめた。俺がフォトコンテストの話をすると、その指が一度止まる。
「お姉ちゃん、悠真との写真で大賞を狙うんだ?」
「そう! 負けないから!」
「私も応募する。写真なら準備がものを言うからね」
千紗は澄ました顔で言い、夏帆は「勝負だ!」と拳を握る。さっきまで悔しそうだった千紗も、姉と同じくらい楽しそうだった。
「悠真。明日は九時に出ようね」
「了解。どこに行くんだ?」
「秘密。お姉ちゃんにも、悠真にも」
夏帆が横から覗こうとすると、千紗は素早くスマホを伏せた。
「ちょっとくらい教えてよ!」
「だーめ。明日になったら分かるから」
千紗はスマホを胸元に抱え、俺に向かって小さく笑った。
「楽しみにしててね、悠真」




