1 魔の犬 6
登場人物
位高 憐:創作物の探偵みたいな恰好の青年。
瀬戸 洋:オカルトマニアの男子高校生。
座間 晴香:洋のご近所さんな女子高生。
「その猟犬とお前さんを追いかけている魔犬は全く別物だよ。勘違いしてごっちゃにしやがって……半端な知識で危ない物に手を出すと事故しかないんだ」
窓の外に夕焼けが広がる、3人しかいない教室の中。
ひときわ大きな溜息をつく憐。
「お前さんを追いかけてる魔犬は臭いを覚えてどこまでも追ってくる。魔除けを持つ奴が優先されるが、後回しにされてもいつかは同じ事だ」
「え? それなら魔除けを拾った時点で、今の事態になる事はもうどうしようもなかったという事なんですか!?」
恐怖の中に僅かな憤りを混ぜ、非難するような声を洋があげた。
それに対し、憐は……
ただ頷いただけだった。
「それ、酷くないですか?」
思わず晴香は口を挟んでしまった。
憐は肩をすくめる。
「ああ、酷いさ。酷く無いなんて誰かが保証してくれたのか?」
「じゃあ……僕にはどうしようもなかったという事なんですか!?」
洋は泣きそうになっていた。
それにも憐は頷く。
「強いて言えば、魔除けを見つけるより先に魔導書を正しく読み進めていれば、危険な物だとわかって触れずにいられたかもな」
その魔導書は100年以上前に英語で書かれた専門書であり、翻訳ソフトに数年間頼っても洋には半分も読めていない。
「そんな難しいこと……」
洋が呻く。
そんな彼へ、憐の口調は言い聞かせるようだった。
「人間はすぐに勘違いするけどな。世の中は人間のために造られたんじゃないんだ。人間にとって都合が悪くて酷い事なんていくらでもある。人間じゃ及びもつかず、出くわした時にはもうどうしようも無い事だって有る。人間の部屋に入ってきた虫が叩き潰される時、虫は全てを理解して何か対処する方法を見つけられたと思うか? 虫にとっての人間ぐらい、人間から見て途方もない物が、この世の中に存在しないと……誰が何を根拠に断言できるんだ?」
「僕に、もっと詳しく読めと言ったのは……助かる方法があるからじゃないんですか?」
納得できずに洋はなおも食ってかかるが、憐は頭をふる。
否定する。
「いいや。知識があれば対処方法を考え着くかもしれないからだ。誰かが正しい答えをいつもどこかに用意してくれているなんて考えているなら、それがそもそも間違っているという事だ」
恐る恐る、晴香は訊いた。
「どうしようも、ないんですか?」
「かもな」
あっさり頷く憐。
半ば放心したように洋は訊いた。
「僕……ここで死ぬんですか? 僕はただ、悪意に反撃しただけなのに」
「それだけだろうが、そこは問題じゃない。よく知らずに危険な手段を選んだからお前さんも危険に晒されている……それが今のこの状況だ」
憐の口調は言い聞かせるようで、目は洋を真っすぐ見ていた。
洋の復讐を、憐は否定していない。咎めてはいない。そもそもそんな事に興味は無い。
知識不足で自滅しかけている事を、本人に教えているだけだ。善悪や道徳など全く挟まずに、ただの現状を。
犬の遠吠えが聞こえた。
「来るぞ」
憐の一言に洋と晴香はびくりと身を震わせる。
憐が見ているのは――廊下の反対側、窓の外。
夕焼けの空に黒い大きな影が浮かび、見る間に近づいてくる。洋と晴香が逃げようとするが、2人がろくに動かないうちに影が窓ガラスを突き破って飛び込んできた。
ガラスの割れる耳障りな音が響く。しかしガラス片は巨体に傷一つつける事はできない。
全身が黒い剛毛に覆われた巨体。一対の大きな翼を広げ、獰猛な爪と牙を剥く。目に輝くのは殺意だけだ。生臭い獣臭が満ちる。
魔犬と呼ばれるが、犬ではなかった。人が知る物の中で一番近い形が、強いて言うなら犬だというだけだ。こんな獣がこの世にいる筈がない。
この世にいないのだから、目撃者などいないのも当然だった。
目撃者は被害者だけであり、次の被害者は――
絶叫があがった。
言葉にならない悲鳴をあげて、洋が教室から逃げ出そうとした。
だが恐怖で錯乱し、まともに走る事もできず、椅子や机にひっかかって転んでしまう。受け身もとれずに床に叩きつけられる洋。
しかし痛む体を悶えさせながら、それでも出入口へ向かって、涙と悲鳴を漏らしながら床を這った。
晴香は硬直し、ただ立ちすくんでいた。
そして憐は――懐に手を突っ込むと、拳銃を取り出したのだ。
左右の手を交互に素早く突っ込み、両手に二丁。古めかしいベレッタとグロックを1つずつ。
「深淵から出てきた物は、深淵に帰ってもらおうか」
窓の外に夕焼けが広がる教室に、銃声と獣声が響いた……!
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