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4 恐ろしく親切な老人 1

太平洋戦争末期の、日本の田舎町より。

 ――1944年8月某日――



 警察官・安藤(あんどう)理一(りいち)は大急ぎで自転車を走らせた。通報のあった店へと。

 やがて見慣れた呑み屋と見慣れた男が見える。そこへいつものように大声をあげた。


「こらー! またお前か! いい加減にせんかー!」


 怒鳴られた着流しの男が振り向き、人相の悪い顔を怒りと不満に歪める。その側には、2人の学生が殴られて痛む箇所を押さえて呻いていた。

 その側で自転車を停めて降りる安藤(あんどう)。


「前から陽が高いうちから呑んでは喧嘩ばかりしていたが、最近は呑まんでも喧嘩ばかりだな」

「酒もロクに無いからな。いつもうるせえオヤジだ」


 ドスの利いた声で不満を漏らすと、ガラの悪い男はガニ股の乱暴な足取りで去っていく。

 入れ替わるようにして向かいの蕎麦屋からくたびれた初老の店主が顔をだした。


「本当に迷惑だよ。茶音(ちゃね)さん所のヤクザ息子め、前科持ちで兵役にハネられただけある。町の若い者が減って、ますますつけ上がりよって……」


 溜息をつく店主。

 安藤(あんどう)は喧嘩相手の学生達の方へ振り向いた。するとさっぱりした身なりの老人が学生達のケガの具合を見ているではないか。


「折れてはおらんようだな。痛むなら後で私の診療所に来るといい」


 学生達が礼を言って頭を下げると、老人は温和な顔で頷(うなず)いて去っていった。

 蕎麦屋の店主がそれを見送って呟く。


「あの人も最近大人しいね。お巡りさんと揉める事もなくなった……」


 そう言って安藤(あんどう)をチラチラと見た。

 安藤(あんどう)も老人の背を見送りつつ頷(うなず)く。


「元々親切な老人だった。余計な事をしなければ、私から何も言う事はない」



「余計な事って?」

「あの爺さん、若い時から西欧に長いこと留学してた賢いお医者さんで、王城(おうじょう)さんていうんだがね。ちょっと前まで、戦争反対、日本は戦火を広げてはいけない、支那や南洋から今すぐ撤退すべき……と何かにつけては町中で声をあげてたのさ。で、お巡りさんにはよく怒られて……」


 そんな会話が聞こえ、安藤(あんどう)は振り向いた。

 見知らぬ若者が興味深そうに、蕎麦屋の主人と話し込んでいる。


 若者は20歳前後だろうか。

 無骨さは無いがそれなりに整った男前で、黒いジャケットを羽織り、黒い長ズボンを履き、黒いテンガロンハットを被っている。マゼンダ色のインナー以外は全て黒。

 まるで映画や小説に出てくる探偵のようだ。


 丼片手に蕎麦をすすっているので客なのだろう。

 だからといって店主の口の軽さは褒められた物ではない。安藤(あんどう)は二人の眼前に迫ってじろりと睨んだ。


「こんな時勢にお上への文句など触れ回られては示しがつかん。そもそも亜細亜(あじあ)へのさばったのは西欧が先。日本は矢面に立ってそれと戦い、八紘一宇の精神で南洋諸国を庇護下に置いているのだ。なのに引き上げてまた西欧人どもの勝手にさせれば、平和になるとでも思うか」


 そう言って青年へとまた一歩迫った。威圧するように。

 青年は……平気な顔で肩をすくめる。


「政治の事はわからないし、俺が何かできるわけでもないので何とも言いませんよ。世の中なんでも理屈どおりに行くもんでもありませんしね」


 どこか茶化したような物言いが安藤(あんどう)には気に入らなかった、が……捕まえるほどの悪さをしているわけではない。

 ただ少々の小言は口にしておいた。


「それで? 君はこんな昼間から暇なのか? 徴兵を免れるほど虚弱にも見えないが、仕事は? それにあのバイクは? 舶来品にしか見えないが?」


 蕎麦屋の前に停めてある、紫と緑のカラーでカウルも車体も妙に大きいバイク。こんな物を国産メーカーの品で見た事は無い。バイク自体が庶民にはおいそれと買えない物なのに、このご時世に輸入品に乗るとは。


 質問責めにされて若者は苦笑いする。

 ところがそこへ……


「お、憐(れん)! ついに逮捕されたか?」


 女の子の陽気な声がかかった。

 見れば10代中頃の女の子だ。薄褐色の肌……南洋人か、その血が混じっているのか。顔立ちにも外国の特徴があるように思える。ちょっと吊り気味の目がネコを連想させる可愛らしい容姿で、薄いランニングシャツと短パンだけのラフな格好をしていた。


 少女を見て青年――憐(れん)は溜息をついた。


「お前も来たのか、ラヴェ。邪魔はすんなよ」

「そんな約束するわけないじゃん」


 そう言って少女は陽気に笑いながら「ツーツーレロレロシャンランラン……」と流行歌を口ずさみつつ去っていった。


 憐(れん)は肩をすくめると安藤(あんどう)に訊く。


「俺も行っていいですかね?」


 止める理由は無い。安藤(あんどう)は面白くもなさそうな顔で頷(うなず)いた。

 憐(れん)は蕎麦屋の主人に丼と金を渡すと、バイクに乗って去っていく。


(兵役にもつかず働きもせず、このご時世にハイカラな格好で昼間からぶらぶらと……どこかの成金のボンボンという所か。同世代の若者が御国のために血を流しているというのに、あんなのらくらした若造もいるとは。嘆かわしい)


 安藤(あんどう)は内心、腹を立てていた。

 遊び歩く若者も、日本を悪者にしてお上の批判をしていた老人も、安藤(あんどう)はどうにも許せないのである。

 そこに個人的な感情がある事も、自分ではわかっていたが。


 両親も妻も亡くした安藤(あんどう)にとって、家族はもう息子一人だけ。だがその子は戦地に行かされ、便りも滞って久しい。最悪の場合をつい考えてしまい、その不安を心の奥に押し込める日も多い。

 なのに……今の日本を間違いだとしたり顔で言う者も、世間を尻目に軽佻浮薄(けいちょうふはく)な毎日を送る者も、認められるわけがなかった。

御覧いただきありがとうございます。

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