3 谷一家の怪 6
登場人物
位高 憐:創作物の探偵みたいな恰好の青年。
ラヴェ:十代半ばにしか見えない、得体の知れない少女。
天理 貞次:博物館に勤める中年職員。
谷一 恋璃:謎と秘密を抱えた少女。
「恋璃さんだったな? 君の母親は、旧き支配者の精で孕んだのか……?」
憐のその問いに、恋璃は小さく、しかしはっきりと頷いた。
そして逆に問い返す。
「あなたはあの渾天儀を奪わなかった。さっきは成功する恰好のチャンスだったのに。あなたの目的は旧き支配者への戸を開く事ではないの? この世界に降臨させて全てを変えてしまう事ではないの?」
「逆だ。俺はあいつらが深淵の底からこっちへ出て来ないようにしている」
そう言いきった憐の目はますます鋭く、厳しくなっていた。明確な敵意がある。その奥には薄っすらと憎しみが窺える。
それを見た恋璃は、どうも戸惑っているようだった。
「そうなの。不思議……人間の側にいるなんて、まるで人間みたい」
憐が僅かに俯き、片手で帽子をかぶり直す。
すぐに顔を上げたが、表に見える激情は薄れていた。
再び恋璃を覗うように見つめる。
「俺に言わせれば、なんで深淵の側に行きたいのかがわからんね」
「でも旧き支配者や従属種族の血統には、あちら側への回帰願望や衝動が出てくるものだそうよ。本能として。あなたは違うの?」
恋璃は明らかに疑っていたが、憐は向けられた問いをつっぱねる。
「違うね。絶対に違う。俺の気にいらん本能がわいてきたら、そこの川にブン投げて流すだけだ」
言われた恋璃は夜の川面を眺めた。
街の灯りに照らされ、川は静かに流れている。
「でも……体は変わってゆくわ。今は人間そっくりでも、いずれ、だんだんと」
恋璃が断言したのは、数々の前例あっての事だ。
旧き支配者や従属種族には、たまに人間と混血する物がいる。
生まれた子は一見、ただの人間だが……遅かれ早かれ、いずれ肉体と精神が変化を始める。外見が人でない方の親にどんどん近づいて行き、それに引っ張られるように精神も人から離れてゆく。
己の血統を知らず、変化に恐怖して自害した例もある。
だが受け入れた者達はやがて心身ともに種族が変わり、人の暮らす地から去ってゆくのだ。
それは憐も既に知っている。
だが彼は「ふん」と鼻を鳴らした。
「俺の体には俺からよく言いきかせているんでね」
冗談めいた言い分。だが顔は笑っていない。
しかし恋璃の方が「ふふ」と微笑んだ。
どこか嬉しそうに、微かに喜びながら。
それを察し、憐は……僅かに戸惑ってから、彼もまた微笑みを浮かべた。
「いい笑顔だ。なんならそこのバーガーショップにでも行くか? 人間、腹が減ってるとロクな事を考えなくなる。なら逆もまた然りだ」
駅の向かい、信号を渡った角に一軒のハンバーガー屋がある。
しかし恋璃の顔が沈んだ。
「余分なお金、無いから」
己のポケットをポンと叩く憐。
「俺の奢りだよ」
「そっか。ならご馳走になろうかな」
恋璃が顔を上げると笑顔が戻っていた……初めて、茶目っ気を混ぜて。
――ハンバーガー屋の店内――
客の少ない店内の隅の席。そこに二人はチーズバーガーとオレンジジュースをトレイに乗せて座った。
小さなテーブルで、対面で。
たった1個のチーズバーガーだ。憐はすぐに食べ終える。
しかし恋璃はゆっくりと、よく噛んで、少しずつ時間をかけて食べていた。
「おいしい……」
途中でもらしたその声に憐が笑う。
「ジャンクフードだぜ……おっと」
店員に聞かれなかったかと慌てて周囲を覗う憐。
幸い、客も含めて周囲の誰も聞かなかったようだ。二人に注意を払っている者などいない。
ほどなく恋璃もチーズバーガーを食べ終えて「ほっ」と人心地ついた。
「初めて食べた」
満足した恋璃に憐は驚く。
「マジか。説教臭い事言うが、狭い世界しか知らないのに大げさな事を考えるのはチグハグじゃないか?」
そしてジュースを一口。
同じくジュースを飲む恋璃に、憐は窓の外を……夜の町を眺めながら話しかける。
「世界だのその変化だのなんて話、身近な世間に足を延ばしてからでいいだろ。この街のどこかに引っ越しでもしてみればどうだ?」
恋璃は……何も答えない。ただ黙って聞いている。
憐は改めて笑った。
「手伝える事が俺にあるなら、手の一本や二本は貸すしな」
恋璃がストローから口を離し、小さく、こくんと頷いた。
「ちょっとだけ、考えたくなったかも」
「考えまくれよ。時間はあるだろ。普通の人より」
憐のその勧めを聞いて、恋璃は微笑んだ。
嬉しそうに。
しかしどこか寂しそうに。
「ありがとう。ごちそうさま」
二人は席を立ち、店の外に出る。
駅へ向かう恋璃に憐は声をかけた。
「まだもうちょっと博物館を見張るつもりだ。相談したくなったら来てくれ」
「うん。覚えておく」
肩越しに、そう答えて……恋璃は去って行った。
――貴郷村、谷一家――
「ただいま」
真っ暗な玄関から声をかけ、恋璃は家に入る。
最奥の、最も広い部屋へ向かった。
部屋の中央には祖父があぐらをかいて座り、忌々し気に唸っている。
「戻らぬ所を見ると、邪魔が入ったか……」
召喚した黒い悪魔どもの事だ。それで頭がいっぱいで、祖父の白造は恋璃に話かけようともしない。
一方、恋璃も祖父に何か言うどころではなかった。
母の白華が倒れたまま動かなくなっていたのだ。薄笑いを浮かべたまま、既に冷たくなって。
「お母さん……」
呆然と呟く恋璃。
そこでようやく白造が立ち上がった。
「この程度の召喚術で生命力を使い果たしたとは。まぁお前達を産めたというだけで、十分な役目は果たしていたがな」
娘の亡骸を見る目には一片の情も無い。
しかし恋璃にはにこやかに話しかける。
「気を落とすな。恋璃や、お前は大丈夫だ。お前は違う。ワシや白華とは違う。お前の命は永遠だ。お前の父は空虚にして全て……それがこの星にやってくれば、お前は一新された世界で永遠を享受できるのだ」
「お爺ちゃんは、どうなるの?」
孫に問われ、白造の枯れかけた瞳に熱がこもった。
「究極の存在を呼び出す事こそ究極の術法。それを実践する事こそ、我が一族こそが究極に至った事の証明であり悲願だ。後の事は究極の存在に任せれば良い。究極に至った我らに、きっと相応の報いをお恵みくださるだろう」
うわごとのような白造の声。
世界の片隅の島国の、誰にも顧みられず寂れてゆく片隅で、時代に忘れられた村の古い家の一室……そこで老人は人を超越した存在の夢を見ていた。
何世紀ぶんもの、己と同じような先祖達からの妄執を受け継いで。
恋璃は項垂れた。
(我ら、なんて……もう、この家にしか残っていないのに)
さっきまでいた街の灯りが、とても、とても遠く感じた。
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