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3 谷一家の怪 1

前世紀も末が見えてくる頃の時代が舞台。

 ――1989年4月某日――



 その日も天理(てんり)貞次(ていじ)はいつも通り職場に出勤した。

 京都でも特に由緒正しき博物館に勤めて20年近く。遅刻した事は一度も無い。世間はバブル景気に浮かれ、若い物達はフリーターとなり派手に遊ぶ日々を謳歌しているようだが、彼はほとんど正反対の生き方が性に合っている。


 ただその日は少しそわそわして落ち着かなかった。

 それを表には出さないが。


 そして午後になると受付の職員が呼びに来た。


「貞次(ていじ)さん、あなたに会いたいというお客さんが……」

「ああ、知り合いに博物館の案内を頼まれてね」


 そう答えて客を出迎えに行く。

 彼には一人の文通相手がいた。彼の著書を読み、出版社を通じて手紙を送ってくれた人が。

 数年前に大学時代のツテを使い、職場の知識を活用して貞次(ていじ)は一冊の本を出版した。陰陽道の歴史に関しての本で、起源や変遷に焦点をあてた本。堅苦しい内容でたいして売れなかったが、そんな本の作者に連絡を試みてくれた読者が一人だけいたのだ。

 その人と何度か個人的なやりとりを繰り返し、今では文通相手になっていた。


 その文通相手が、この博物館を訪問したいと手紙に書いていたのである。

 もちろん貞次(ていじ)は歓迎し、相手が来る日を尋ねた。それが今日なのである。



(女性の筈だが、さて、どんな人なのか)


 そう思いながら貞次(ていじ)は受付へ向かった。そして相手に会い、驚いた。


「初めまして。谷一(たにいち)恋璃(れんり)です」


 そう言って頭を下げたのは、まだ十代であろう少女だったのだ。

 半袖のTシャツに無地のスカートという飾り気の無い格好で、髪は左右に三つ編みのおさげ。色白で大人しそうな、日本人形を思わせる容姿だが、化粧っけは全く無い。

 今までの手紙から田舎に住んでいる事はわかっていたが、今時の若者らしさは全く無かった。


 彼女からの手紙は古代の宗教についての興味や知識に満ちた物で、丁寧な文章だった事もあり、己と大差ない年齢だろうと貞次(ていじ)は考えていた。

 それが自分の子供みたいな年齢の娘さんだとは。


(いや、しかし、その方がいいだろう……)


 貞次(ていじ)には妻も子もいる。妙齢の女性と親しくしていると妙な勘繰りをされる恐れも有り得る。

 このぐらい歳が離れている方が誤解を招かなくて良い。


「では、どこから案内しましょうか」


 気を取り直して貞次(ていじ)が訊くと、恋璃(れんり)は静かに告げた。


「本に載っていた、用途不明の渾天儀(こんてんぎ)が見たいのです」



 ――博物館の一画――



「ここに有るのは、由来や目的などがわからない物でね」


 恋璃(れんり)を案内しながら貞次(ていじ)は説明する。

 博物館の片隅、ほとんど人が来ない所に展示されている数点の品々……説明文がいちいち「わかっていません」「研究中です」ばかりなので、話題にされ難いし訪問者の興味もひき難い物ばかり。そんなコーナーだ。

 今も先客は一人しかいない。


 その客も渾天儀(こんてんぎ)を思い悩むように見つめていた。

 薄褐色の肌……顔立ちは中東風にも思える。外国人の血が混ざっているらしい。ちょっと吊り気味の目がネコを連想させる可愛らしい容姿で、歳は10代の中頃か、それより少し上だろうか。薄いランニングシャツと短パンだけのラフな格好をしている。


(こんな物に、若い女の子達が興味をもつなんて……珍しい日だな)


 貞次(ていじ)は驚いた。

 渾天儀(こんてんぎ)とは、複数の輪を組み合わせて造った天球の模型である。星の運行を表した物で、平安時代の陰陽師達も占星術に用いた。

 しかしここにある物は名の知られていない星が多く、どういう者達が何を調べていたのか不明なのである。


 恋璃(れんり)は渾天儀(こんてんぎ)に近づき、もう一人の少女の対面で熱心に眺め始めた。

 先客の少女は恋璃(れんり)が気になるらしく、ちらちらと窺っている。

 少し迷ったが、貞次(ていじ)は黙って見守る事にした。余計な事を喋りかけると邪魔かもしれないからだ。


 だが出し抜けに、恋璃(れんり)が渾天儀(こんてんぎ)を眺めながら言い出す。


「貞次(ていじ)さん。これをお借りする事はできないでしょうか?」


 仰天する貞次(ていじ)。展示品を一個人に貸し出すなどできるわけがない。

 そう言おうとした時、部屋の隅から声がかかった。


「それは無理だな」


 いつの間にだろうか、青年が一人そこにいた。

 歳は20歳前後だろうか。整ってはいるが、モデルや俳優的な線の細い美男子というより、ハンサムと呼ばれるような男っぽさのある容貌だ。

 黒いジャケットを羽織り、黒い長ズボンを履き、黒いテンガロンハット。マゼンダ色のインナー以外は全て黒。古い探偵物の人物みたいだった。


 恋璃(れんり)は青年を見つめる。次に先にいた少女へ視線を移した。


「あなた達のお名前を聞いてもいいでしょうか」

「俺は位高(いたか)憐(れん)。そっちのはラヴェ=ケラフだ」

「人の名前を勝手に……」


 青年が答え、先にいた少女がふくれる。

 名前を聞いた恋璃(れんり)は軽く頭を下げた。


「谷一(たにいち)恋璃(れんり)です」


 名前を教え合い、三人は無言になって互いを覗う。

 側で見ていた貞次(ていじ)は……なぜだろうか、不吉な予感を覚えた。

御覧いただきありがとうございます。

何かしら反応がいただければ嬉しい限りです。


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