2 コール・オブ・C…… 5
登場人物
位高 憐:創作物の探偵みたいな恰好の青年。
ラヴェ:十代半ばにしか見えない、得体の知れない少女。
佐須 道邦:遠洋漁船で働く中年漁師。
一行の中の一人が、扉に触れた。
すると扉が開いた。隙間が開き、内向きに、ゆっくりと。家屋より巨大な扉が、人の手に触れただけで。
ゆっくりと開いて、その向こうが露わになる。
闇だった。
真っ暗闇だ。本当に何も見えない。曇天とは言え日中なのに、扉から一歩先奥でさえ闇が覆い隠している。
開き続ける扉さえ闇の中へ入って見えなくなる。
(扉が闇の中に、落ちた……?)
道邦がそう感じたのは、あまりに濃い闇がまるで深い海の底への入口に思えたからだ。
この闇の奥に入る事、すなわち光の世界から落ちる事。
永遠に光の届かない深海が、この扉を境にすぐそこに有る……そう感じた。そんな馬鹿な、と理性が言おうと。
何も見えない闇から、微かに音だけは聞こえた。
水の音だ。
「あー……懐中電灯を持ってくればよかったな?」
そう言って漁師の一人が中へ首を突っ込もうとした。
道邦は咄嗟に彼の襟首を掴んで止める。
止められた漁師は声を荒げた。
「おい! 急に何するんだ!?」
「何って……」
反射的にやった事だ。道邦は言い淀んだ。
だが闇を見てすぐに言う。
「こんな所に誰もいねぇよ。人間がいるわけねぇだろう」
他の漁師達もハッと気づき、顔を見合わせた。
止められた漁師は道邦の手を払ったが、闇の方を見ると怒りは急速に萎えていった。
「……確かにそうだ。誰かいないか探しに来たんだった、他所へ行こうぜ」
彼がそう言い、道邦を含めて漁師達はみんな頷く。
一行はその場を去ろうとした。
ちらちらと後ろを、大きく口を開いた闇を気にしながらも。
ちらちらと、何度も気にしながら。
誰かが叫んだ。
「おい……あの中、何か動いたぞ?」
一行が足を止め、開いた入口へと振り向く。
おかしな話だ。何一つ見えない闇の中で何が動こうと、なぜそれが見えるというのか。
だが皆が足を止め、闇の中を凝視した。
動いた。
何か動く物がある。
その周囲の闇も揺らめいている。
(暗闇、じゃない? 光を呑み込む物が何か、充満しているのか……?)
道邦はそう思った。
ではそんな物の満ちる中にいる物が何なのか、とも。
遠くで蠢いていた筈のモノが、外へ出てきた。
遥か奥にいたのではないのか? だが出てきてしまえばそこにいるのだ。
それはとてつもなく大きな何か……
蛸と人と竜を混ぜ合わせたような奇怪な姿だった。
瞳無き6つの目、口の部分から髭のように伸びる無数の触腕、両手足の鈎爪とその間の水かき、コウモリのような翼、鱗と瘤に覆われたぬらぬらした体表……。
神経を逆撫でするくぐもった声が聞こえた。
粘土板に彫られた旧い怪物が出てきたのだ。
「みんな! 逃げようよ!」
ラヴェの叫び声に道邦も他の漁師達もハッと我を取り戻す。
皆がいっせいに走った。口々に悲鳴をあげながら。
皆に呼びかけたラヴェは先頭を走っていた。その隣で走るのは憐だ。
「ほらほら、急ごうぜ。こっちだ」
先頭の二人は悲鳴もあげず、錯乱する事もなく、皆を先導して走る。迷路のような都市のぐねぐねと入り組んだ道を迷う事なく。
他の者達はその背中を必死に追いかけた。
背後からは巨大な音が追いかけてくる。重々しい足音と、建造物が破壊される激しい音が、地震のような揺れとともに。
巨大な怪物が自分達を追っている。
その状況が狂わんばかりの恐怖で思考を停止させていた。それが幸いして余計な事を考えられず、ひたすらに先頭の憐とラヴェを追わせてもいた。
永遠なのか一瞬か。時間感覚が麻痺する中、道邦の視界が開けた。
海だ。広がる海と近くに待機する遠洋漁船。
ボートを停めてある波止場に着いたのだ。
一行は走り続ける。背後からの音と振動に追い立てられて。
ラヴェが真っ先にボートへ飛び乗り、身軽に着地すると係留しているロープをほどき始める。その間に他のメンバーも乗り込み、エンジンを始動させた。
一際大きな音とともに複数の建造物が瓦解する。
その向こうから怪物の頭がぬうっと覗いた。
すぐ近くだ。
ボートのエンジンはやっとかかったばかり。
(ダメか? 間に合わないのか?)
仲間達が狂ったような悲鳴をあげる中、道邦は呆然と立ち尽くしていた。
そしてその時に気づいた。
憐だけがボートに乗らず、波止場に残っている事に。
「やっちゃうの? やれんの?」
憐へラヴェがボートの中から訊いた。
それに頷く憐。
「あいつが本当に目覚める日はまだまだ先だ。本調子じゃない。やれるさ。そのための道具も借りてきてある」
そう言うと憐は呼んだ。
「カオスシーカー!」
バイクの走る音が響き、道邦は思わずそちらを見る。
瓦解する都市の海岸線を、1台のバイクが走っている。400ccサイズの、紫と緑のカラーで大きなカウルのバイクは、誰も乗っていないのに疾走し、怪物が迫る中を一早く憐の前に来た。
側で停まったバイク・カオスシーカーに憐は乗った。
「借りてきたデカブツの中へ飛べ」
憐が命じるとカオスシーカーが変化した。
手が生え、足が生え、コウモリのような翼が生え、カウルが虫とトカゲの混ざったような頭に変わる。
それは怪奇な神話において【バイアクヘー】と名付けられた、この世ならざる生物だった。
異形の正体を現し、カオスシーカーは翼を広げ、憐を乗せたまま高度を上げた。
ある程度浮かぶと――その姿が、一条の閃光を残して消えた。
何が起こっているのか道邦には全くわからない。
ただ、憐がどうやって海のド真ん中まで来たのかは薄々察した。
そうしているうちに、瓦解する建物を踏み越え、怪物が波止場に踏み出てきた。
ボートはようやく動き始めたばかり。岸から数メートルほどしか離れていない。
やられる……。
皆がそう思った。
だがその時。
怪物の前に、巨大な光が天空から突き刺さった。
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