第98話:安定化のロジック
建国6年の秋。
冷たい北風が吹き始める中、採掘港から数十キロ離れた内陸の地では、重機のエキゾーストノートが轟々と響き渡っていた。
『レアメタル採掘地』へと至る、土木部隊による決死の道整備。
郷田が設計し、真野が組み上げたデチューン重機たちは、大地の起伏を削り、泥濘を押し退け、見事にその役目を果たし切った。
原石を掘り出すための前哨基地となる『仮設拠点』の構築は、冬の到来を前に無事完了していた。
これで、極寒の雪に閉ざされても、駐留部隊は安全に越冬し、採掘作業への準備を進めることができる。
しかし、帝都近郊における「第一期・鉄道敷設」の現場では、巨大な岩盤という物理的な壁が立ちはだかっていた。
それを打ち砕くための「鍵」は、今まさに帝都のR&D施設で完成しようとしていた。
***
「……ふう。セリたちもようやく寝付いたね」
帝都の中心部、分厚いコンクリートと温水床暖房によって完璧に守られた冴島邸のリビング。
白衣を脱ぎ、ゆったりとした部屋着に着替えた冴島は、湯気を立てるポットから、丁寧に四つのカップへとお茶を注いでいた。
漂ってくるのは、彼が自らブレンドした天然ハーブの爽やかな香りだ。
「冴島先生、ありがとうございます。……でも、少しはお休みになってください。ここ数日、ずっと病院の衛生管理にかかりきりではありませんか」
長妻のシラが、ベビーベッドで眠る2歳の長女・セリの寝顔を愛おしそうに撫でた後、冴島へ心配そうな眼差しを向ける。
彼女たちは妊娠が発覚して以降、夫たちの「完全現場排除」の厳命により、病院や研究室での危険な業務から一切退いている。
現在は、安全な居住区での育児と、後進への座学指導にのみ専念していた。
「いや、僕の疲れなんて君たちに比べたら大したことないさ。いくら保育局のサポートがあるとはいえ、年子や乳飲み子の育児は、24時間体制の激務だからね。……さあ、このハーブティーは疲労回復と精神の安定に効果がある。冷めないうちに飲んでくれ」
冴島は微笑みながら、妻たちへとカップを手渡した。
「わあ、すっごくいい匂い! 冴島せんせーが淹れてくれるお茶、世界で一番おいしいです!」
今年、待望の第一子を出産したばかりのミファが、両手でカップを包み込むように持ち、満面の笑みを浮かべる。
「本当に、良い香りですね。……冴島先生、この抽出液のベースは、以前私が記録しておいたあの薬草ですか? 現場に出られなくても、私のデータが役に立っているなら嬉しいです」
1歳の長男・ハルを膝に抱いたルミが、探求心に満ちた目でカップの中の琥珀色の液体を見つめた。
「ああ、正解だよルミ。君の残してくれた緻密な記録のおかげで、完璧な配合比率が導き出せた。……本当に、君たちには感謝している」
三人の妻たちが、幸せそうにハーブティーを口に運ぶ。
その穏やかな光景を見つめながら、冴島はカップを傾け、内心で重い息を吐いた。
『……帝都の人口増加ペースは、完全に僕の予測を超えている』
温かなお茶で喉を潤しても、冴島の脳裏にこびりついている懸念は消えなかった。
難民や移民の流入により、帝都の外側にはスラムと呼ぶべき無秩序な居住区が形成されつつある。
『今はまだ、九条と郷田が敷いたゾーニングと上水道の保護によって、致命的な事態は避けられている。だが、下水道の処理能力はすぐに限界を迎える。……物理的な公衆衛生の破綻。それを防ぐための拡張計画を急がなければならない』
医者として、目の前の命を救うだけでは足りない。
国家という巨大な生命体の「システム」そのものを治療し、維持しなければ、いつか必ず致命的なバイオハザードが起こる。
「……先生? どうかされましたか?」
シラが、冴島の僅かな表情の翳りに気づき、首を傾げた。
「いや……少し考え事をしていただけさ。今後の衛生管理についてね」
冴島は心配をかけまいと、いつもの涼しげな笑みを作った。
「そういえば、鬼頭さんから頼まれていた『アレ』は、上手くいったのですか?」
ルミの問いかけに、冴島は目を細めた。
「ああ。鬼頭が作り出した悪魔のような爆薬を、安全に持ち運ぶための『安定化のロジック』さ。……まさか、医療の濾過材として目を付けていた素材が、あんな破壊兵器の完成に役立つとはね」
***
同日、帝都郊外の隔離されたテスト場。
「おい、鬼頭! 冴島! 本当にこれで大丈夫なんだろうな!?」
郷田の野太い声が、秋の空に響き渡った。
彼の視線の先には、木箱の中に並べられた、油紙に包まれた粘土のような奇妙な筒状の物体がある。
「ガハハ! ビビってんじゃねえぞ郷田。俺とミカで作った最強の爆薬だぜ」
鬼頭が腕を組み、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべていた。
その隣では、冴島が白衣のポケットに両手を突っ込み、静かに頷いている。
「ミカと俺で、油田の副産物から『ニトログリセリン』を生成するところまでは完璧だった。……だが、あの液体はクソッタレなほど過敏でな。少しでも衝撃を与えれば、工場ごと吹き飛ぶ最悪のシロモノだった」
鬼頭は、油紙に包まれた物体を指差した。
「そのままじゃ運搬はおろか、現場でセットすることすらできねえ。そこで、生物学と医療の専門家である冴島センセイに、化学的性質を変えずに液体を保持できる『スポンジ』の相談をしたってわけだ」
「……で? 冴島、お前、何を混ぜたんだ?」
郷田が訝しげに尋ねる。
「『珪藻土』だよ。太古の植物プランクトンの化石からなる、微細な孔を無数に持つ土だ。僕は本来、薬や水の濾過材として使うために目をつけていたんだがね」
冴島は、事もなげに説明を始めた。
「ニトログリセリンをそのまま運べば、僅かな揺れで爆発する。だが、この珪藻土に染み込ませると、毛細管現象によって液体が微細な孔の中に強力に保持される。結果として、ハンマーで叩こうが、火の中に放り込もうが、絶対に爆発しない『安全な粘土』に変化するんだ」
「……はあ? 火に入れても爆発しねえってのか?」
郷田が目を丸くする。
「ああ。起爆させるには、強い衝撃波を与える『雷管』が必須になる。……アルフレッド・ノーベルが発見した、爆薬をコントロールするための究極のロジックさ。化学の暴力と、生物学の素材が見事に融合した結果だ」
冴島の説明を聞き、鬼頭が満足げに鼻を鳴らす。
「そういうことだ。俺たちが雷管で命令を下さねえ限り、こいつは絶対に牙を剥かねえ。……さあ、テストを始めようぜ」
鬼頭の部下が、安全な距離を確保した岩山のくぼみに、その「安全な粘土」――ダイナマイトをセットする。
導火線が引かれ、雷管が取り付けられた。
全員が退避壕に入り、耳を塞ぐ。
「……点火!」
鬼頭の号令とともに、導火線に火が放たれた。
シュルシュルと火花が走り、数秒の静寂が訪れる。
『……さあ、見せてみろ。人類の地形書き換えツールを』
郷田が息を呑んで見つめる中――。
ドドドォォォォォォンッ!!!
大気が震え、内臓を揺さぶるような凄まじい轟音が響き渡った。
もうもうと立ち込める土煙。
パラパラと降り注ぐ小石の雨が収まった後、郷田たちが退避壕から身を乗り出す。
そこには、巨大な岩山の一部が、文字通り跡形もなく粉砕され、巨大なクレーターが穿たれていた。
表面を削るだけの黒色火薬とは次元が違う、岩の内部から組織を破壊し尽くす圧倒的な破壊力。
「……」
その威力を目の当たりにした郷田は、数秒間、言葉を失って呆然としていた。
やがて、彼の肩が震え始める。
「ガハハハハハハッ!!」
郷田は両腕を天に突き上げ、狂喜の雄叫びを上げた。
「これだ! これだよ!! こんな威力を見せられたら、あのクソ硬え岩盤も豆腐みたいなモンだ!!」
興奮で顔を紅潮させる郷田を見て、鬼頭も腹の底から笑い声を上げる。
「どうだ、郷田。これで鉄道のトンネル工事も一気に進むだろ」
「ああ! 上等だ! 今すぐ現場に持って行くぞ! ……これで、俺たちの鋼のレールを阻むものは何もねえ!!」
安全な運搬手段と、圧倒的な破壊力。
『ダイナマイト』という近代土木の象徴を手に入れた帝国は、自然の地形という物理的な制約すらも、力ずくでねじ伏せようとしていた。




