第97話:立ちはだかる岩山と採掘港の光
建国6年、秋。
帝都から内陸の主力炭鉱へ向けて、荒野を一直線に切り裂くように伸びていた『第一期・鉄道敷設工事』は、炭鉱まで残り数キロという地点で巨大な壁に直面していた。
ドンッ……!!
くぐもった爆発音が響き、白煙が上がる。
しかし、煙が風に流されて姿を現した巨大な岩肌は、表面がわずかに黒く煤け、数センチの破片がパラパラと崩れ落ちただけだった。
「……ダメです、郷田さん。あらかじめ開けておいた穴に、黒色火薬を限界まで詰め込んで発破をかけたんですが、ほとんど効果がありません。この岩盤、とんでもなく硬いです」
現場監督の郷田の傍らで、土木助手の若者が顔をしかめながら報告した。
ルート上に立ち塞がる、巨大で極めて硬い一枚岩の山。
迂回すればルートが数キロ延び、鉄道の命取りである「急勾配」や「急カーブ」を余儀なくされる。全天候型の大動脈とするためには、この岩山を真っ直ぐにぶち抜いて『トンネル』を通すしかなかった。
「チッ……。やはり黒色火薬の『燃焼』によるガスの膨張圧力じゃ、この硬度の岩盤は砕けねえか」
郷田は忌々しげに舌打ちをし、岩山を睨みつけた。
黒色火薬は、弾丸を押し出したり、土を吹き飛ばしたりする「押し出す力」には優れているが、硬い岩そのものを粉砕する「叩き割る力(爆轟)」には欠けている。
「郷田さん、どうします? トラクターのブレードでも歯が立たず、労働者たちのハンマーでも火花が散るだけで手が痺れると根を上げています。工事を中断しますか?」
「バカ言え。労働力と時間を遊ばせておく余裕はねえ。……だが、無理に掘り進めるのも無駄だ」
郷田はヘルメットの鍔を上げ、広げた図面に鋭い視線を落とした。
「このトンネル掘削が難航することは、最初から想定済みだ。トンネルを抜くための『新しい爆薬』が届くまでの間、この岩山の手前までの区間で『複線の敷設』や、すれ違い設備の構築に取り掛かるぞ」
「複線、ですか?」
「そうだ。単線じゃ、行きと帰りの列車がすれ違えねえ。将来的な輸送量を考えれば、いずれ所々に待避線や複線区間が必要になる。万が一、この岩山がどうやっても抜けず迂回ルートを取ることになったとしても、手前までの線路が複線化されていれば、ロジスティクスのボトルネックは最小限に抑えられるからな」
土木狂いと呼ばれた男は、常に「最悪のケース」を想定し、無駄のないグランドデザインを描き出していた。
「了解しました! すぐに路床の拡張と、労働者の再配置を指示します!」
若手が走り去るのを見送りながら、郷田は再び硬い岩盤へと視線を戻した。
「あとは……化学R&Dの連中が、岩山を粉砕する『本当の爆薬』を作ってくれるのを待つしかねえ」
***
同じ頃。帝都から遠く離れた北の最前線。
五大湖のひとつ、スペリオル湖畔に築かれた『採掘港』。
秋の終わりを迎え、吹き付ける風はすでに刃のように冷たかった。将来の鉄鉱石やレアメタル採掘の巨大ハブとなるこの拠点において、越冬の準備は急務であった。
「燃料ポンプ、圧力正常! 冷却水、湖からの循環ライン異常なし!」
堅牢なコンクリートで覆われた発電所の建屋内部で、郷田の愛弟子である若きリーダー・カヤが、大声を張り上げた。 彼の目の前に鎮座しているのは、帝都から運ばれてきた『直列6気筒ディーゼルエンジン』と巨大な『発電機』だ。
「よし! メインスイッチ、入れろ!!」
カヤの号令とともに、作業員が巨大なナイフスイッチを押し込む。
ズドドドドォォォォォ……ッ!!
ディーゼルエンジンが重厚な咆哮を上げ、発電機が高速で回転し始める。
そして次の瞬間。
バチッ……バチバチバチッ……!!!
極寒の暗闇に包まれていた採掘港の防衛陣地、兵舎、そして波止場に張り巡らされたいくつもの巨大な照明——炭素棒の放電を利用した『アーク灯』が、一斉に強烈な純白の光を放った。
「う、うおおおおおおおおっ!!」
「すげえ……!! 目が痛てえくらいだ、本当に昼間みたいに明るいぞ!!」
駐留している兵士たちや、周辺部族から集まった労働者たちが、空を覆うほどの歓声を上げた。
彼らにとって、厳しい北の大地の冬の夜は、凍えと獣の恐怖に怯える時間でしかなかった。だが今、帝国の圧倒的な『文明の力』が、その恐怖を強烈な光と熱で完全に打ち払ったのだ。
「……郷田さん。見えますか。俺たちだけで、北の大地に光を灯しましたよ」
カヤは、寒空の下で真昼のように輝く拠点を見渡し、誇らしげに息を吐き出した。
帝国のインフラ網は、確実に次世代の手によって全土へと根を張り始めていた。
***
一方、帝都の化学プラント区画。
防爆壁に囲まれた、分厚い扉の奥の実験室。
室温が厳密に管理された静まり返った部屋の中で、ミカはいつもの飄々とした態度を完全に消し去り、額に脂汗を浮かべていた。
「……温度よし。20度をキープしています。これ以上上がったら、熱暴走で俺たちはこの部屋ごと木端微塵ですね」
「口を動かす暇があるなら手を動かせ。ちょっとでも反応温度が跳ね上がったら、俺が止める前に手元の氷水をぶちまけろよ」
ミカの背後で、分厚い防護服を着込んだ鬼頭陣が、腕を組みながら鋭い視線で監視の目を光らせていた。
「わかってますよ。……でも、なんで俺なんですか。いくら手先が器用だからって、こんな死と隣り合わせの作業させられるなんて聞いてないんですけど」
「バカ言え。俺のガサツな手でこんなミリ単位のスポイト作業をやったら、一滴こぼした瞬間に終わる。それに、反応の微細なガスの臭いや兆候を感じ取るには、お前のその異常な嗅覚が必要なんだよ」
ミカの目の前には、氷水で冷やされたガラス容器がある。
その中には、硝酸と硫酸を混ぜ合わせた強酸『混酸』が満たされていた。ミカは息を殺し、スポイトを使って、とろみのある透明な液体——石鹸の副産物である『グリセリン』を、一滴、また一滴と極めて慎重に滴下していく。
「いいかミカ、以前お前にも教えたはずだ。こいつはただの爆薬じゃねえ」
鬼頭が、ミカの手元を睨みつけながら低く唸る。
「郷田からの報告にあった『黒色火薬でもヒビすら入らねえ硬い岩盤』ってやつを粉砕するには、火薬の『燃焼』じゃなく、超音速で伝播する『爆轟』の力が必要なんだ。……今お前が作っているのは、史上最悪の悪魔の液体だ」
ぽちゃん、ぽちゃん。
酸とグリセリンが反応し、ガラス容器の温度計の針が微かに揺れる。
やがて、混酸の上に、黄色みがかった油のような液体が分離して浮き上がった。
「……反応、終了。分離した上澄みが『ニトログリセリン』ですか?」
ミカが深く息を吐き出し、極度の緊張から解放されてへたり込んだ。
彼はスポイトでその黄色い液体を慎重に吸い上げ、小さなガラスの小瓶に移す。
「ヒャハハハ! その通りだ!よくやったぜミカ! これが、黒色火薬の何倍もの破壊力を持つ悪魔の液体だ!」
「威力は最高なんでしょうけど……」
ミカは震える声で、机の上のガラス小瓶を見つめた。
「これ、どうやって現場まで運ぶんですか? ちょっとした温度変化、振動、落としただけの衝撃で大爆発を起こしますよ」
「……あぁ、当然だ。液体のままトラックに積んだら、石ころを踏んだ瞬間に荷台ごと消し飛びやがる」
鬼頭はニヤリと笑い、決してその瓶には触れようとせず、腕を組んだ。
彼はすでに、この液体が持つ最大の欠陥を誰よりも理解していた。
「威力は合格だが、このままじゃ実用化は不可能だ。現場で使えるようにするための『安定化』のロジックが必要になる。……そこから先は、冴島の領分だな」
『悪魔の力』は、確かに生み出された。
だがそれは、触れることすら許されない、あまりにも狂暴すぎる物理法則の結晶だった。




