第9話:未知の脅威(痕跡)と焦燥
「……おお。すげえ、床から本当に熱が伝わってくるぞ」
「煙も完全に外へ抜けてる……。一酸化炭素の匂いもしない」
完成したばかりのオンドル住居の中で、東と真野が床の石にへばりつくようにして歓喜の声を上げた。
かまどで燃やされた炎の熱が、床下に張り巡らされた煙道を通って、分厚い石と泥の床をジンジンと暖め始めている。
外では容赦ない風が吹き荒れているが、この空間だけは別世界のように暖かかった。
「……完璧な熱効率だ。これなら凍死の心配はないな」
冴島も安堵の息を吐き、泥だらけの顔をほころばせた。
「だが、喜ぶのはここまでだ」
九条の冷徹な声が、その場を支配した。
「この吹雪がどれだけ続くかは未知数だ。オンドルは火を絶やせばただの冷たい石の塊になる。今の備蓄では、半日も持たない」
九条の視線の先には、かまどの脇に積まれたわずかな枯れ枝があった。
「吹雪が完全に視界を奪うホワイトアウトになるまで、あと30分もない。……鬼頭、郷田。外に出て、燃えそうなものを根こそぎかき集めてこい。限界までだ」
「……了解だ。行くぞ郷田」
「クソッ、休む暇もねえブラック現場だな!」
二人は獣の毛皮を深く被り直し、すでに横殴りの雪が舞い始めている極寒の森へと飛び出していった。
***
「郷田! 手当たり次第に折れ! 少し湿ってても、かまどの熱なら強引に燃やせる!」
「わかってる! だが風の音がデカすぎて、お前の声もろくに聞こえねえ!」
猛烈な吹雪が、視界を白く染め上げようとしていた。
鬼頭と郷田は、拠点から数十メートル離れた森の中で、倒木や立ち枯れた木々を乱暴にへし折り、抱え込めるだけの薪を回収していた。
『……風速およそ20メートル。気温は氷点下10度を下回っている。これ以上離れたら、拠点に戻れなくなるな』
鬼頭が周囲の地形を脳内のレーダーに刻み込みながら、太い枝を引き抜こうとした、その時だった。
『……ん?』
鬼頭の視線が、木の根元に積もりかけた雪と、腐葉土の僅かな隙間に釘付けになった。
「……なんだ、これ」
鬼頭は抱えていた薪をその場に落とし、しゃがみ込んだ。
「おい鬼頭! 何やってんだ、急がないと遭難するぞ!」
「郷田……ちょっとこっちに来て、これを見てくれ」
鬼頭の声には、先ほどの吹雪への警戒とは全く違う、鋭く張り詰めた色が混じっていた。
郷田が怪訝な顔で近づき、鬼頭が指差す地面を覗き込む。
そこには、うっすらと雪を被った「足跡」が残されていた。
獣のものではない。熊や狼のように爪や肉球の跡はない。
それは明らかに、「平らな底」を持った履物の跡だった。
「……靴の跡、か? だが、俺たちが履いてるような革靴やスニーカーのスレッドじゃない」
郷田が息を呑む。
「継ぎ目がない。一枚の皮で包み込んだような……モカシンのような足跡だ」
「それだけじゃない。上の枝を見てみろ」
鬼頭が視線を上げた先。
彼らの頭上にある木の枝が、不自然な角度で切り落とされていた。
獣が噛みちぎった跡でも、風で折れた跡でもない。
何か「鋭利な刃物」で、スパッと一刀両断されたかのような、滑らかな断面だった。
「俺たちが作った石器のナイフより、はるかに鋭い切れ味だ。しかも、足跡の向きは……」
鬼頭は、足跡が向いている方向を目線でなぞった。
その先には、微かに煙を上げる彼らの拠点――オンドルがあった。
「……俺たちの拠点を、遠くから『観察』していた奴がいるってことか」
郷田の顔から、血の気が引いた。
「間違いない。この森には、俺たち以外の『人間』がいる」
鬼頭は周囲の白い闇を鋭く睨みつけた。
「しかも、俺たちが得体の知れないよそ者である以上、友好的である可能性は極めて低い。……薪を拾ってすぐ戻るぞ! 早くしろ!」
***
「……先住民、か」
オンドルの暖かな室内。
猛烈な吹雪で完全に外が閉ざされる中、郷田と鬼頭が持ち帰った報告を聞き、九条が低く呟いた。
「冗談じゃねえぞ……。極寒のサバイバルだけでも手一杯なのに、未知の部族と戦争でもしろってのか!?」
東が頭を抱え、ガタガタと震えを再発させる。
「言葉が通じる保証なんてどこにもない。弓矢や槍で武装した連中が、俺たちの食糧や毛皮を狙って襲ってきたら……!」
「迎撃のしようがない。俺たちは今、丸腰に近い」
鬼頭が苦々しい顔で、石器のナイフを火の光に翳した。
「トラップを仕掛けるにも、この吹雪じゃ外での作業は不可能だ。もし今、このタイミングで襲撃を受ければ、間違いなく全滅する」
「……いや、それはない」
冴島が冷静な声で否定した。
「この猛吹雪の中では、いかに現地の人間であっても行動は制限されるはずだ。襲撃があるとしても、この大寒波が過ぎ去った後だろう」
「どちらにせよ、猶予がないことに変わりはない」
九条が炎の照り返しを受ける顔を上げ、冷たい視線で全員を見回した。
「自然というシステムは、物理法則をハックすれば対処できる。だが、意思を持った『人間』という不確定要素は、最悪のバグを引き起こす」
オンドルによってもたらされた、ようやくの温もりと安堵感。
しかし、その空気は完全に消え去っていた。
「外の吹雪が、我々を守る『天然の城壁』として機能している間に、次の手を考えるぞ」
九条の言葉に、誰もが沈黙で応えた。
外では、世界を白く塗り潰すような轟音を立てて吹雪が吹き荒れている。
その圧倒的な自然の猛威すら、今は「未知の敵」からの襲撃を遅らせるだけの、束の間の猶予でしかない。
得体の知れない脅威が忍び寄る焦燥感が、六人の天才たちの首に、冷たい刃を突き立てていた。




