第8話:衝突する知性とマネジメント
夜の森は、すでに命を脅かすほどの冷気に包まれていた。
燃え盛る焚き火の明かりだけを頼りに、泥まみれの男たちが必死に土を掘り、石を運び、粘土質の泥をこね続けている。
「おい東! そこ、煙道の石の噛み合わせが甘いぞ! 泥の詰め方も雑だ、全部やり直せ!」
郷田の野太い怒号が、冷たい空気を震わせた。
「……ふざけんなよ! さっきから何回やり直しさせてんだ!」
極限の疲労と寒さで顔を土気色にした東が、手に持っていた泥の塊を地面に叩きつけた。
「俺はプログラマーであって、土方じゃねえんだぞ! これ以上無駄な体力を使わせるな!」
「無駄だと!? オンドルの煙道から煙が漏れれば、寝ている間に一酸化炭素中毒で全滅するんだぞ! 俺はゼネコンの現場監督だ、手抜き工事で人が死ぬのは死ぬほど見てきた。俺が管理する以上、絶対に妥協はしねえ!」
郷田が太い腕を振り上げ、東に詰め寄る。
「だからって、10年も20年も住むような強固な基礎を作ってる場合か! ソフトウェア開発で言う『アジャイル』を知らないのか!?」
東も負けじと、血走った目で郷田を睨み返した。
『こいつは物理的なモノづくりの常識に囚われすぎてる……! 今必要なのは、完璧な城じゃない。とりあえず動いて凍死を防ぐ「MVP(必要最小限のプロダクト)」だ!』
「寒波の到達まで時間がねえんだぞ! 煙が漏れなきゃいいなら、もっと薄い石と適当な泥で十分だ。無駄に深く掘って、分厚いスレートを精密に敷き詰めるなんて、リソースの無駄遣いにも程がある!」
東の反論に、今度は真野がキレた。
「おい、適当な泥でいいってのはどういう意味だ!? 俺がわざわざ石の形状に合わせて泥の粘度を調整してやってんのに、俺の仕事がムダだって言うのか!」
真野が血豆だらけの手で石器のハンマーを振り回す。
「大体お前ら、口ばっかり動かしてないで手を動かせ! 俺の削った石が足りなくなってきたじゃねえか!」
「うるせえ! 郷田がやり直せって言うから進まねえんだろうが!」
「なんだと!? 基礎の強度が命だって言ってんだろうが!」
疲労、空腹、そして迫り来る死の恐怖。
それらが限界に達した天才たちの間で、それぞれの「プロフェッショナルとしてのプライド」が最悪の形で衝突し、現場の作業は完全にストップしてしまった。
『マズいな……。このままじゃ、拠点ができる前に寒波が来る』
冴島が青ざめた顔で泥をこねながら、争う三人を見つめる。
***
「……くだらん言い争いだな」
暗闇から、氷のように冷たく、しかし絶対的な重さを持った声が響いた。
争っていた三人が、ビクッと肩を揺らして声の主を振り向く。
九条が腕を組み、冷ややかな目で彼らを見下ろしていた。
「郷田、お前の安全基準は正しい。だが、全体に適用すれば確実に夜明けに間に合わない」
九条はゆっくりと歩み寄り、作りかけのオンドルの基礎を指差した。
「東、お前の言う『アジャイル開発』も一理ある。だが、ハードウェアの欠陥は再起動では直らない。一度煙が漏れれば修正は不可能だ」
「じゃ、じゃあどうすんだよ! どっちにしろ時間が足りねえ!」
郷田が焦立ちを隠せずに叫ぶ。
「目的を履き違えるな」
九条の鋭い視線が、三人を順番に射抜く。
「我々の唯一のKPI(重要業績評価指標)は、『明日の朝、全員が生きてこの寒波をやり過ごすこと』だ。完璧な家を建てることでも、労力をゼロにすることでもない。……タスクを最適化するぞ」
九条は地面の設計図を足で少し書き換えると、明確な指示を出し始めた。
「郷田、真野。お前たちの高い技術力は、最も一酸化炭素が漏れやすい『燃焼室から煙道への入り口付近』の密閉だけに集中させろ。ここだけは妥協せず、お前たちの最高基準で仕上げろ」
「……なるほど。一番負荷がかかる根本だけを完璧に塞げば、末端の煙道へのリスクは激減するな。わかった、そこなら俺と真野で一時間で仕上げてやる」
郷田の顔に、プロの現場監督としての理知的な光が戻る。
「よし、任せろ。隙間一つない完璧な石のパズルを組んでやる」
真野もニヤリと笑い、石器を握り直した。
九条は次に、東へ向き直った。
「東、お前は無駄な労力を嫌う。ならば頭を使うな。郷田の指示を待つからイライラするんだ」
「なんだと?」
「お前と、俺、冴島、鬼頭の四人で、末端の煙道に泥を詰めて床を平らにする作業を『並列処理』で一気に行う。思考を止めろ。ただの関数になりきって、泥を運び、埋めるだけの単純作業を最速のアルゴリズムで回せ」
「……はっ。なるほどな」
東が泥まみれの顔で、自嘲気味に笑った。
『要するに、クリティカルパス(最重要工程)を郷田と真野の職人コンビに任せて、残りのマンパワーを単純な並列タスクに全振りするってわけか。……システム開発のデスマーチ(修羅場)と全く同じ采配じゃねえか』
「上等だ。脳味噌をスリープモードにして、ひたすら泥をぶち込んでやるよ!」
***
九条の冷徹かつ的確なマネジメントにより、現場の空気は一変した。
プロフェッショナル同士のプライドの衝突は解消され、それぞれの強みが最も活きる形でタスクが再分配された。
「郷田! こっちの石の角度、三ミリずれてる! 泥を足せ!」 「おう! ぴったり合わせてやる!」 燃焼室の構築に全神経を集中させ、目分量によって完璧に仕上げる郷田と真野。
「おい東、泥の供給が遅れてるぞ! ループが滞ってる!」
「うるせえ! 今冴島と鬼頭から配列(泥)を受け取ってんだよ!」
ひたすら単純作業を最速で回し続ける四人。
猛烈な冷たい風が森を吹き抜ける中、彼らの作業スピードは先ほどとは比べ物にならないほど劇的に跳ね上がっていた。
『……素晴らしい』
泥を運びながら、九条は内心で冷たく微笑んだ。
『どんなに優秀なパーツ(人材)でも、組み合わせを間違えればシステムは機能不全を起こす。だが、適切なディレクションを与えれば、これほどの爆発力を生む』
空が白み始め、風が刺すような痛みを伴う本物の「大吹雪」へと変わろうとしていたその時。
「……できたぞッ!!」
郷田の雄叫びが、雪の舞い始めた空に響き渡った。
彼らの目の前には、石と泥で完全に覆われた平らな床と、燃焼室となる一段低いかまど、そして排煙のための煙突を備えた、立派な「オンドル住居」の基礎が完成していた。
「さあ、火を入れろ! 寒波が来るぞ!」
鬼頭が叫び、完成したばかりのかまどへ、熾火と薪を放り込んだ。




