第7話:寒波の予兆と「オンドル」の設計
異世界とも呼べるこの森に放り出されてから、四日が経過していた。
当初の絶望的な状況から比べれば、彼らはなんとか「生存のサイクル」を回し始めていた。
簡易的な風よけを作り、火を絶やさず、石器で小動物を仕留め、安全な野草を食う。
だが、極限状態による疲労と、何よりも「寒さ」が確実に彼らの肉体を蝕んでいた。
「……クソッ。いくら毛皮を被っても、背中から冷気が突き刺さってきやがる」
薄暗い早朝。
東が焚き火に身を寄せながら、ガチガチと歯を鳴らして悪態をついた。
「枝と葉っぱを立てかけただけの簡易シェルターじゃ、防風性も断熱性も皆無だからな。今の季節がいつかは知らんが、夜の冷え込みは異常だ」
冴島が青白い顔で、焚き火に薪をくべる。
「このままじゃ、いずれ誰かが風邪を引くか、疲労凍死する。……本格的な居住スペースの構築が急務だな」
九条が炎を見つめながら、冷静に現状を分析した。
「普通のログハウスや洞窟の横穴じゃダメだぞ」
郷田が分厚い胸板をさすりながら言った。
「密閉空間の中で、暖を取るために大きな焚き火をすれば、一酸化炭素中毒で全員死ぬ。かといって換気穴を大きくすれば、冷気が吹き込んで意味がない」
「つまり、熱源と居住空間を分離させつつ、熱だけを部屋に取り込む必要があるってことか」
真野が顎に手を当て、職人としての思考をフル回転させる。
『熱の伝導率。密閉された空間。……排気ガス(煙)を外に逃がしつつ、熱エネルギーだけを居住空間に留めるシステム……』
「……オンドルだ」
真野がふと、顔を上げた。
「オンドル?」
「韓国の伝統的な床暖房システムだ。あれの構造は熱力学的に極めて理にかなってる。……郷田、描くぞ」
真野が郷田から木の枝をひったくり、地面に簡略化した図面を描き始めた。
「まず、居住空間の床下に、何本も溝(煙道)を掘る。その上に、熱を蓄えやすい平らな石を敷き詰めて、泥で隙間を完全に塞いで『床』を作るんだ」
「なるほど……!」
図面を見た郷田の目が輝く。
「一段低い場所に『かまど』を作って火を焚けば、熱い煙が床下の溝を通って部屋全体を下から暖める。石が蓄熱材になるから、火が消えてもしばらくは暖かい。煙は部屋の中には入らず、反対側の『煙突』から外へ抜ける!」
「一酸化炭素中毒のリスクを排除し、輻射熱で部屋全体を暖める。……完璧な熱効率だ」
真野が不敵に笑う。
『……さすがだ。何もない環境で、手持ちの知識から最適解を導き出しやがった』
九条は内心で感嘆しつつ、冷ややかに全体を見渡した。
「計算は俺がやってやるよ」
東が面倒くさそうに、しかし理知的な光を宿した目で図面を覗き込んだ。
「熱い空気は上へ昇る。かまどから煙突までの高低差と、煙道の断面積の比率を間違えれば、煙が逆流するか、熱が留まらずに抜けちまうからな。……計算式は俺の頭の中にある」
「よし。構造と計算は固まった」
郷田が立ち上がり、自身の太い腕を叩いた。
「問題は建材だ。床に敷くための平らで大きな石と、隙間を埋める大量の粘土質の泥が必要になる。だが……」
郷田はニヤリと笑い、森の奥を指差した。
「水脈を探るついでに地質調査も済ませてある。あっちの斜面の地層なら、薄く割れやすい堆積岩が露出してるし、川岸には良質な粘土質の泥が腐るほどあるぞ」
機械工学、情報工学、そして土木工学。
現代の天才たちの叡智が、一本の線として繋がった瞬間だった。
「これより、我々の『第一拠点』の本格的な着工を開始する」
九条の号令とともに、泥まみれの過酷な建設作業が幕を開けた。
***
それから数時間が経過した、昼下がりのことだった。
「うおおおっ! 重い! クソッ、キーボードより重いものは持ちたくないってのに……!」
東が悪態をつきながら、泥を丸めた塊を必死に運んでいる。
「文句を言うな! 隙間風が入ったら全部台無しだ、しっかり泥を詰めろ!」
真野が石と石の間に泥を叩きつけながら怒鳴る。
順調に床下の煙道が形作られつつあったその時。
『……ん?』
周囲を警戒しながら作業していた鬼頭が、ふと手を止めた。
彼は怪訝な顔で、少し離れた場所にある自分たちの焚き火に目を向けた。
「おい、郷田。あの煙を見てみろ」
「ん? なんだ……」
鬼頭の視線の先。
先ほどまで空に向かって真っ直ぐに立ち上っていた焚き火の煙が、まるで何かに上から押さえつけられるように地を這い、低く広がっていた。
「……気圧が下がり始めてる。それに、風の匂いがさっきから変わった。湿気を孕んだ冷たい空気が北から入り込んでるぞ」
郷田が立ち上がり、空を見上げた。
太陽の周りに、薄いヴェールのような雲がかかり、うっすらと光の輪(暈)ができている。
「巻層雲……。それにあの風。……おいおい、冗談だろ」
世界中の過酷な自然環境で現場を指揮してきた郷田の顔色が変わった。
「かなりデカい低気圧が突っ込んでくる。ただの雪じゃない、命に関わる大吹雪になるぞ」
***
数分後。
作業の手が止められ、全員が深刻な顔で集まっていた。
「おい、冗談だろ!? 今の気温でも夜は地獄なんだぞ! 大吹雪なんて来たら……!」
東が頭を抱え、ガチガチと歯を鳴らす。
「この外の焚き火は確実に消える。風をしのげない簡易シェルターでは、我々は数時間で低体温症に陥り全滅する」
冴島が極めて冷静な、だが絶望的な事実を口にした。
重苦しい沈黙が落ちる中、九条が腕を組み、微塵も揺らがない声で問うた。
「到達までのタイムリミットは?」
「観天望気から読んで、およそ12時間から24時間後だ」
郷田が苦々しい顔で答える。
「遅くとも明日の夜。だが、風の変わり方からして、早ければ明日の『朝』には猛烈な吹雪が始まる」
「明日の朝か」
九条は口元に不敵な笑みを浮かべ、作りかけのオンドルの基礎を見下ろした。
「プロジェクトマネジメントの基本は、常に最悪のケース(ワーストシナリオ)にバッファを合わせることだ。……半日後に寒波が到達する可能性がある以上、タイムリミットは『明日の夜明け』とする。それまでにこの絶対安全地帯を完成させる」
「無茶言うな! 夜明けまでだぞ!? どんだけ泥をこねて石を運ぶと思ってる!」
真野が声を荒げる。
「やるしかねえんだよ! タイムリミット付きの突貫工事なんて、ゼネコン時代に嫌ってほどやらされたからな!」
郷田が雄叫びを上げて、自身の太い腕を叩いた。
「俺が工程を組む! 夜通し動けば、床の完成と簡易の屋根までなら絶対に間に合う!」
「文字通り、生き残るための死闘だ。……動け!」
九条が鋭い視線で全員を射抜く。
大寒波の襲来まで、残り半日。
ワーストシナリオに基づきタイムリミットが極限まで短縮されたことで、丸腰の天才たちによる「命がけの建設プロジェクト」は、常軌を逸した熱を帯びていった。




