第6話:毒見の科学と原始の炎
「クソッ、テレビのサバイバル番組みたいに簡単にいくわけねえよな……!」
真野が血豆の潰れた手を痛そうに振りながら、悪態をついた。
薄暗くなり始めた森の中。
全裸のまま寒さに震える男たちは、生き残るための最大の課題である「火」の確保に挑んでいた。
鬼頭と郷田が周囲の警戒と、先ほど仕掛けた罠の確認に向かっている間、残されたメンバーで着火作業を進めているのだ。
真野が拾い集めた乾燥した木の板(火床)に窪みを作り、そこに硬い木の棒を垂直に立てて、両手で激しく揉み込むように回転させる。
いわゆる、キリモミ式の摩擦発火法だ。
しかし、真野や交代した九条がいくら棒を回転させても、木が焦げる匂いすらせず、ただ体力が削られていくだけだった。
「押し付ける力が弱すぎるのか? それとも木の湿気が抜けてないのか……」
冴島が青白い顔で呟く。
「どっちもだよ。いや、根本的にアプローチが間違ってる」
岩陰で震えていた東が、膝を抱えながら気怠げに口を開いた。
「摩擦熱で発火点である約250度まで温度を上げるには、単位面積あたりの圧力と、回転速度の維持が必要だ。お前らみたいに力任せに回してちゃ、軸がブレて熱が逃げるばっかりだぞ」
「じゃあどうしろってんだよ、お前がやってみろ!」
真野が苛立ちをぶつける。
「俺は疲れることはやらない主義だ。……だが、効率化の計算はしてやる」
東は地面の土を指でなぞりながら、頭の中の数式を形にした。
『ドリルと火床の接点にかかる荷重。回転による仕事量。木材の熱伝導率。……手で揉む限界速度を考慮すれば、摩擦係数を意図的に上げるしかないな』
「おい真野。さっき郷田が浄水フィルターで使った乾いた砂の余りを、ドリルと火床の接点に少しだけ噛ませろ。研磨剤代わりにして、摩擦係数を強制的に引き上げるんだ」
「なるほど、滑り止めってわけか!」
「お前は軸を絶対にブレさせるな。一番上から体重をかけて、一定の圧力を保ったまま下まで一気に回すんだ。速度より安定性を優先しろ。熱を逃がすな」
「……わかった。やってみる」
真野は言われた通りに砂をひとつまみ窪みに入れ、木の棒を垂直に立てた。
職人としての意地が、彼の表情を引き締める。
『東の言う通りだ。切削加工のドリルと同じ。軸のブレはエネルギーのロス。……俺の体そのものを、精密なボール盤の軸にするんだ』
真野は上体から体重をかけ、一定のリズムと凄まじい集中力で棒を揉み下ろした。
シュルルルルッ、という規則正しい音が響く。
数十秒後。
先ほどまでとは明らかに違う、焦げた木の匂いが漂い始めた。
「……煙が出たぞ!!」
冴島が身を乗り出す。
火床の窪みから、一筋の白い煙が細く立ち上っていた。
「止めるな! そこからが一気に温度が上がるポイントだ!」
東が珍しく大声を出した。
真野は歯を食いしばり、顔を真っ赤にして最後の回転を加える。
窪みの中に、黒く焦げた木の粉が溜まり、その奥底で微かな赤い光が明滅した。
「火種だ! 受け皿!」
冴島が素早く、ほぐした枯れ草や樹皮の繊維を火種に被せる。
真野がそっと息を吹きかけると、赤い光は周囲の繊維へと広がり、ついに小さな炎の舌がパッと燃え上がった。
「やった……! ついたぞ!!」
「マジかよ、すげえ!」
燃え広がる炎を小枝に移し、あらかじめ組んであった薪の下に入れると、パチパチという音と共に、力強い焚き火が完成した。
「……計算通りだ。バグは修正したぜ」
東がフッと鼻で笑い、火の温もりに顔をほころばせた。
***
「おい、こっちも大収穫だぞ!」
炎が安定した直後、茂みを掻き分けて鬼頭と郷田が戻ってきた。
二人の手には、丸々と太った数匹の「野ウサギ」に似た小動物がぶら下がっている。
「おおっ! さっき獣道に仕掛けた罠か!」
真野が目を輝かせる。
「ああ。あいつらが沢へ水を飲みに来る動線を完璧に読んだからな。狙い通り、見事に輪っかに首を突っ込んで宙吊りになってたぜ」
鬼頭が満足げに笑い、獲物を地面に置いた。
真野が石器で解体したプラティゴヌス(古代イノシシ)の大量の肉に加え、罠で捕獲した数匹のウサギ肉。
全裸で放り出された遭難初日としては、あり得ないほど「潤沢な食糧」が彼らの目の前に揃ったのだ。
「よし、焚火により凍死は免れた。次はカロリーの摂取だ」
九条の合図で、獣の肉が石器のナイフで手際よく切り分けられ、串刺しにされて火に翳された。
脂が落ち、ジュージューという音と強烈に食欲をそそる匂いが周囲を満たす。
「うまそうだな……! 生焼けはマズい、完全に火を通せよ」
郷田がゴクリと喉を鳴らす。
「肉だけではダメだ。長期的な生存を考えれば、ビタミンCや食物繊維が不可欠になる」
冴島が、周囲で集めてきた数種類の野草や木の実を地面に並べた。
「だが、この森の植生は現代日本とは違う。見た目が似ていても、毒性を含んでいる可能性が極めて高い。迂闊に口にすれば、嘔吐や下痢による脱水で即死だ」
「毒見をするってことか? どうやって?」
真野が怪訝な顔をする。
「俺と冴島の出番だな」
鬼頭が野草を手に取り、冴島と視線を交わした。
「軍隊のサバイバルマニュアルにもある、植物の可食性テストプロトコルだ。まずは……皮膚刺激テスト」
鬼頭は、手にした野草の葉を指で潰し、その汁を自身の腕の内側、皮膚の柔らかい部分に擦りつけた。
「これで15分待つ。赤く腫れたり、痒みが出たらアウトだ」
***
「……よし、変化なしだ」
しばらくして、冴島が鬼頭の腕を確認して頷く。
「次は粘膜テストだ。唇の端に汁を少しだけつける」
冴島は別の植物の汁を唇に塗り、じっと時間を測った。
『……ピリピリとした刺激。アルカロイド系の毒素か。これは不合格だな』
冴島はすぐに水で口をゆすぎ、その植物を弾いた。
「こっちの実はどうだ?」
鬼頭が一つの赤い実を、舌の先にちょんと乗せる。
「……痺れはない。苦味や渋味も許容範囲だ」
「なら、次は少しだけ噛んでみる。絶対に飲み込むなよ」
冴島の指示に従い、鬼頭が実を前歯で少しだけ噛み潰す。
彼らは、化学物質への耐性を探るプラント技師と、人体への影響を熟知する医師として、冷静かつ論理的に「原始の毒見」を段階的に進めていった。
「……異常なし。飲み込んでみよう」
最後のテストをクリアし、数時間経過しても腹痛などの症状が出ないことを確認して、ようやくその植物は「安全な食材」として認定された。
「気の遠くなるような作業だが、これを怠れば全滅だ。……よし、この野草の群生と、赤い実は食えるぞ」
冴島の言葉に、全員から安堵の息が漏れた。
***
「……美味い」
「ああ、死ぬほど美味いな」
完全に火の通ったプラティゴヌスの分厚い肉と、丸焼きにされた野ウサギ、そして安全が確認された野草。
塩も何もない、ただ直火で焼いただけの食事だが、極限の空腹と疲労を経験した彼らの体には、どんな高級料理よりも滋味深く染み渡った。
食事を終え、彼らは獣の分厚い毛皮を石器で適当な大きさに切り分け、血や脂を沢の水で洗い流したものを、焚き火で乾かしてから羽織った。
完全な衣服とは程遠い、ただの毛皮のポンチョだが、焚き火の熱を逃がさず、冷たい風を防ぐには十分だった。
岩肌を背にし、焚き火を囲むようにして身を寄せる六人。
「……なんとか、一番危険な時間は越えられたな」
郷田が炎を見つめながら、ぽつりとこぼした。
水、安全、火、そして十分すぎるほどの食糧と最低限の衣。
丸腰で放り出された数時間前を思えば、奇跡のような生存確率の引き上げだった。
「ああ、お前たちの専門知識のおかげだ」
九条が毛皮を引き寄せながら、燃え盛る炎に視線を落とした。
「だが、油断はするな。我々は辛うじて『今日の命』を繋いだに過ぎない。この異常な寒さ、未知の生態系……。本格的なサバイバルは、明日からが本番だ」
九条の言葉に、全員の顔が引き締まる。
「まずは安定した拠点の確保だ。明日から、本格的にこの環境を我々のシステムでハック(攻略)するぞ」
燃える炎の向こう側。
原始の夜の闇を睨みつける九条の目には、冷徹な理性の光が宿っていた。




