第10話:異常な体力と「若返り」の自覚
外では、世界を終わらせるかのような轟音を立てて猛吹雪が吹き荒れていた。
しかし、オンドルの内部は別世界だった。
かまどで燃やされた熱が床下の石を温め、室内は春のように心地よい温度に保たれている。
未知の脅威への警戒はあるものの、分厚い壁と極寒の吹雪が彼らを物理的に守っている間は、つかの間の休息を取ることができた。
「……ふう。とりあえず、凍死のカウントダウンだけは完全に停止したな」
東が土の床に大の字に寝転がり、大きく息を吐き出した。
徹夜で泥を運び、石を積み上げるという、普段キーボードしか触らない彼にとっては地獄のような重労働だった。
「あー、全身バキバキだ……ん?」
東は寝転がったまま、ふと自分の腕や脚をさすり、首を傾げた。
『おかしい。……筋肉痛が、ほとんどない?』
「おい郷田。お前、普段現場で肉体労働してるからわかるだろ。徹夜であんな突貫工事やったら、俺みたいなモヤシは普通、腰が砕けて立ち上がれなくなるよな?」
「ん? ああ、そうだな。素人が急に無茶したら、筋繊維がズタズタになって三日は動けなくなるのが普通だ」
郷田が焚き火の火力を調整しながら答える。
「だよな。……でも俺、どこも痛くねえんだ。それどころか、あんなに泥を運んだのに、ちょっと寝転がっただけでスタミナが底を打ってない感覚がある」
東の言葉に、真野もハッとしたように身を起こした。
「……言われてみれば、俺もだ。石を削りまくって血豆ができた手首の関節も、全然張ってない。それに、息切れもしてねえ」
その会話を聞いていた冴島が、ふと険しい顔になり、東の腕を掴んだ。
「東、ちょっと手首を貸せ。……脈を診る」
冴島は東の橈骨動脈に指を当て、呼吸のペースと共にじっと時間を測った。
やがて、信じられないものを見たように目を丸くした。
「……異常だ。激しい労働の直後にも関わらず、心拍数の戻りが早すぎる。それに、呼吸が平常に戻るペースも、28歳の成人男性のそれじゃない。まるで……」
冴島はそこで言葉を区切り、自分の目元に指をやった。
眼鏡がないことに気づいた、あの転移初日の違和感が脳裏をよぎる。
「……初日に気づいていたんだが、俺は爆発で眼鏡を失った。ドクターストップがかかるレベルの極度の近視だ。だが今は、お前たちの顔の毛穴までハッキリと見える。……視力が、完全に回復しているんだ」
「視力が回復? レーシックでもしたのかよ」
真野が鼻で笑うが、冴島の表情は大真面目だった。
「いいや。眼球のピント調節機能が『若い頃の状態』に戻っているとしか思えない。……おい東、そこに汲んである飲み水の器を覗き込んでみろ。自分の顔をよく見るんだ」
冴島のただならぬ様子に、東は起き上がり、郷田が作ってくれた樹皮の器になみなみと注がれた澄んだ水面を覗き込んだ。
炎の光に照らされ、揺れる水面に映った自分の顔。
それを見た瞬間、東は息を呑んだ。
「……なんだこれ」
徹夜のシステム開発で常に目の下に張り付いていた、濃いクマがない。
不摂生で荒れていた肌は、異常なほどツヤと張りに満ちている。
何より、輪郭の肉付きが、明らかに28歳の今の自分のものではなかった。
「……高校、いや、高専時代の俺の顔だ」
東が震える声で呟く。
「なんだと?」
郷田や真野も慌てて水面を覗き込む。
そして、互いの顔を、明るい炎の光の下で改めてまじまじと見つめ合った。
「……マジだ。おい真野、お前、最近気にしてた生え際の薄毛が完全にフサフサに戻ってんぞ!」
「うるせえ! お前だって、ビール腹が完全に引っ込んで割れてんじゃねえか!」
「……待て、顔や腹だけじゃないぞ」
郷田が自身の裸の胸元を見下ろし、戸惑うように分厚い手で撫でた。
「俺は高専時代から柔道やってたから元々ガタイは良かったが……ゼネコンの現場で10年かけてこびりついた、左右非対称な筋肉の癖や古傷が綺麗に消えてやがる。一番バランスの良かった頃の、均整の取れた体に戻ってるんだ」
「確かに……。俺も社会人になってからジムでバルクアップさせた無駄な筋肉が少し落ちて……その代わり、異常に体が軽く、バネのようにしなやかだ」
鬼頭も自身の腕をさすりながら呟いた。
「なるほどな。後天的に身につけた不摂生な脂肪も、過度な労働で歪んだ筋肉の癖も、丸ごと一番状態の良かった時期にリセットされているのか。……理由は全く不明だ。だが、結果だけ見れば医学の常識を根底から覆す現象が起きている」
冴島が青ざめながらも、観察事実を冷静にまとめる。
極限状態でのサバイバルに必死で、互いの顔や体をじっくり見る余裕などなかった。
だが今、改めて見つめ合う彼らの肉体は、明らかに現代日本で鬱屈とした日々を送っていた28歳のものではなかった。
それは、人生で最も細胞が活性化し、無尽蔵のスタミナと回復力を誇っていた「17〜18歳の頃の全盛期の肉体」だった。
「なぜこんなことが起きたのかはわからん。だが、これは我々にとって最大の『バグ』であり、最強の『チート』だ」
九条が、深く静かな笑みを浮かべた。
「お前たちの頭脳には、現代社会でトッププロとして培ってきた28歳までの『最高峰の知識と経験』が詰まっている。そこに、無限の体力と回復力を持つ10代の『全盛期の肉体』が組み合わさった」
九条の言葉が、オンドルの暖かな空気に熱を帯びさせる。
「我々は今、考え得る限り『最高の器』で生きているということだ。これなら、いかに過酷な重労働であろうと、未知の敵との戦争であろうと、十分に渡り合える」
「……はっ。なるほどな」
東が、自嘲気味だったこれまでの笑みとは違う、野心に満ちた笑みを浮かべた。
「俺の脳みそとこの無尽蔵の体力があれば、どんな巨大なシステムでも一人で組み上げてみせるぜ」
「おうよ! 現場の経験とこの若さのしなやかな体力があれば、最強だ! 現代の重機がなくても山を切り拓ける気がしてきたぜ!」
郷田が、相応に分厚い自身の胸板をドンッと叩く。
外では未知の先住民の痕跡が発見され、猛吹雪が吹き荒れている。
しかし、オンドルの中にいる六人の天才たちの目には、もはや最初の絶望や恐怖は微塵も残っていなかった。
「最高の知識」と「最強の肉体」を手に入れた自覚。
それが彼らの精神を完全にプロフェッショナルな状態へと引き上げ、この未開の大地を支配するための、圧倒的な自信と活力をもたらしていた。




