第11話:静寂の後の遭遇
外の世界は、三日三晩にわたって白い狂気に包まれていた。
容赦なく吹き荒れる猛吹雪は、木々をへし折り、森の地形すら変えてしまうほどの猛威を振るっていた。
だが、その暴威も、オンドルの分厚い土と石の壁を越えることはできなかった。
「……信じられねえ。外は地獄なのに、ここは本当に春みたいだ」
東が土間の床で大の字になり、うっとりとした声で呟いた。
床下に張り巡らされた煙道が発する輻射熱は、室内を均一に暖め、冷え切っていた彼らの肉体を芯から解きほぐしていた。
外の轟音すら、分厚い壁に遮られて遠い子守唄のように聞こえる。
「ああ。熱効率の計算は完璧だったな。一酸化炭素中毒の兆候もない」
真野が自身の作った石の噛み合わせを自賛するように、壁をポンと叩いた。
「この三日間、泥のように眠れたおかげで体力の回復も完璧だ。……だが、いつまでもここに引きこもっているわけにはいかないぞ」
鬼頭が毛皮を羽織りながら、入り口の防風扉(編んだ枝と泥で作った簡易的な蓋)を見つめる。
その言葉に呼応するように、外から絶え間なく聞こえていた風の咆哮が、ふっと途絶えた。
『……止んだか』
九条が静かに立ち上がり、扉の隙間から外の様子を窺う。
「雪が上がった。……外に出るぞ。まずは周辺の安全確保と、拠点周りの雪かきだ」
***
扉を開け放つと、そこには全く別の世界が広がっていた。
見渡す限りの白銀。
刺すような冷気はあるものの、風はなく、雲の隙間から差し込む朝日が雪面を乱反射して眩しく輝いている。
「うおおおっ、すっげえ積もってんな! 膝まで埋まるぞ!」
郷田が雪を蹴り上げながら、拠点から数歩踏み出す。
「はしゃぐな。雪の下に何が埋まってるかわからん」
冴島が眩しそうに目を細めた。
「視力が戻ったおかげで雪目が怖いな。……おい鬼頭、前に仕掛けた罠の様子はどうだ? この積雪じゃ埋もれて機能していないかもしれないが」
「ああ、見てくる。郷田、念のため付き合え」
二人が深い雪をかき分けながら、罠を仕掛けた獣道の方へ向かっていく。
『……風がないのはありがたいが、音が吸収されて周囲の気配が読みにくい。それに、雪のせいで俺たちの足跡も丸見えだ』
鬼頭は脳内で警戒レベルを引き上げながら、周囲の木々の間へ鋭い視線を走らせる。
数十メートルほど歩き、以前獲物を仕留めたトラップの場所までたどり着いた。
「……ダメだな。雪の重みで若木の反発力が完全に死んでる。これじゃあ……ん?」
鬼頭の言葉が、途切れた。
「どうした、鬼頭?」
郷田が怪訝な顔で振り向く。
鬼頭の視線は、彼らが仕掛けた罠の「さらに奥」の雪面に釘付けになっていた。
そこには、新しく積もったばかりの真っ白な雪の上に、複数の『不自然な窪み』が続いていたのだ。
「……足跡だ」
鬼頭が低く、張り詰めた声で呟いた。
「足跡!? 獣の……いや、違う!」
郷田の顔色が変わる。
モカシンのような、継ぎ目のない平らな底の靴跡。
それが、四人、いや五人分。
足跡は森の奥から一直線に彼らの拠点の方角へと向かってきており、そして――「すぐ近く」の茂みで不自然に途切れていた。
『マズい……! 接近に気づかなかった!』
鬼頭が全身の筋肉をバネのように収縮させ、郷田の腕を強く引いて後退しようとした、その瞬間だった。
『ギシッ』
新雪を踏み締める、微かだが決定的な音が響いた。
「動くなッ!!」
鬼頭が郷田の前に飛び出し、周囲の白い空間を睨みつける。
静寂に包まれた雪の森。
その木々の陰から、彼らの存在が音もなく「滲み出る」ように姿を現した。
「……嘘だろ」
郷田が息を呑む。
獣の毛皮を分厚く身に纏い、顔には黒や赤の染料で幾何学的なペイントを施した男たち。
その手には、鋭く尖った石器の槍や、引き絞られた弓が握られている。
全員の瞳には、縄張りを侵した得体の知れない異物に対する、強烈な警戒と敵意が宿っていた。
「……先住民の戦士団か」
鬼頭が歯の間から息を吐き出す。
距離はわずか十メートル。
彼らの弓の射程圏内であり、雪で足場が悪いこの状況では、逃げ切ることは不可能だ。
「おい……どうする鬼頭。言葉なんて通じねえぞ!」
郷田が拳を握り締め、太い腕の筋肉を隆起させる。
戦士団のリーダーとおぼしき、一際体格の良い男が、鋭い槍の穂先を鬼頭の顔面に向け、何かを鋭く叫んだ。
『ハッケイ、マ・タワ!?』
喉の奥を鳴らすような、聞いたこともない未知の言語。
だが、その声のトーンから「お前たちは何者だ」「動けば殺す」という明確な意思がビシビシと伝わってくる。
「……刺激するな。今は絶対的に不利だ」
鬼頭は両手をゆっくりと頭の高さまで上げ、敵意がないことを示そうとした。
しかし、戦士たちの弓はギリギリと引き絞られたまま、少しの弛みもない。
彼らの目は、鬼頭や郷田の異質な肌の色、そして見たこともない造形の顔立ちに、得体の知れない恐怖を抱いているようだった。
恐怖は、最も簡単に殺意へと変換される。
一人が矢を放てば、瞬く間に全身を貫かれて終わりだ。
張り詰めた沈黙。
冷たい雪の森で、両者の時間が凍りついたかのように止まる。
『……くそっ、ここまでか』
鬼頭が最悪の事態(死)を覚悟し、一矢報いるために筋肉を限界まで緊張させた、その時だった。
「――そこまでだ」
静かだが、絶対的な重みを持つ声が、雪の森に響き渡った。
鬼頭と郷田の背後から、新雪をゆっくりと踏み締める音が近づいてくる。
「九条……! 来るな、下がれ!」
鬼頭が叫ぶが、九条蓮は立ち止まらなかった。
彼は分厚い毛皮のコート(自作)を羽織り、両手を下ろしたままの、完全に無防備な姿勢で前へと進み出た。
そして、引き絞られた弓と鋭い槍の矛先を一身に浴びながらも、その顔には恐怖の欠片もなく、極めて冷ややかで理知的な笑みを浮かべていた。
「俺が交渉する。……お前たちは黙って見ていろ」
絶対的リーダーが、ついに未知の文明との「第一次接触」の盤面に歩みを進めた。




