第85話:氷上の支配者と、初期発電所の準備、そして帝国の傘下拡大
灰色の雲が低く垂れ込め、カヤホガ川(造船港)の仮拠点に身を切るような冷たい風が吹き付けていた。
チラホラと、空から白いものが舞い落ちてくる。
本格的な冬の到来を告げる、初雪だった。
「急げ! 雪が本格的に積もる前に出発するぞ! トラックの足が取られたら一貫の終わりだ!」
郷田の太い声が、冷たい空気を震わせた。
作業員たちが、昨晩の狂騒の末に集められた「緑の石」——すなわち、自然銅の塊を次々とトラックの荷台へ積み込んでいく。 その総量は、当初の目標としていた1トンを優に超えていた。
***
「郷田さん、積載重量のチェック完了しました。……ただ、重機はどうします?」
防寒具に身を包んだ部下が尋ねると、郷田は鼻息を荒くして笑った。
「アホか、あんなクソ重たいデチューン重機を、わざわざ帝都へ持ち帰る意味はねえ。春になれば、どうせここを本格的な『造船所』として拡張するんだ」
郷田は拠点の一角に並べられた重機群を顎でしゃくった。
「オイルと冷却水をしっかり抜いて、ブルーシートで厳重に覆って、春までこの仮拠点に保管しとけ。鉄の塊だ、それだけで冬は越せる」
「了解しました!」
郷田がトラックのボンネットをバンバンと叩いていると、分厚い毛皮のコートを着込んだヨキが歩み寄ってきた。
彼の手には、詳細な数字がビッシリと書き込まれた植物紙の束が握られている。
「おう、ヨキ。俺たちは銅を積んだら、予定通り帝都に帰るぞ。『連水港』に残る連中にも声をかけていくからな」
「ええ、郷田さん。道中、お気をつけて。最初からの作戦通り、私の越冬と資源回収の準備も万全です」
ヨキが背後を振り返る。 仮拠点の倉庫には、水運で大量に運び込まれた越冬用の保存食や燃料の樽が、文字通り山のように積まれている。 それは最初から、彼らがここで長期滞在することを前提とした、潤沢すぎる物資だった。
そして、その潤沢な物資とヨキを守るための「護衛体制」もまた強固だった。
拠点内では、銃身下部に管状弾倉を備えた『ポンプアクション式ショットガン』を構える10名の土木部隊員たちが交代で鋭い視線を巡らせている。 さらに、鬼頭から借り受けた狙撃部隊の4名が、交代で見張り塔の上から狙撃銃のスコープ越しに周囲の森の僅かな動きをも監視し続けていた。 さらに、高給(ガラス玉など)で雇い入れた、ピジン語と現地のイロコイ系言語を流暢に操る通訳の青年も控えている。 ヨキを含めて、造船港の仮拠点には計16名の駐留部隊が残ることになっていた。 いかなる猛獣の群れや野盗の襲撃があろうとも、アウトレンジから一方的に粉砕できる「小さな要塞」がそこには完成していた。
郷田は拠点の一角に置かれている異形の乗り物へ視線を向けた。
巨大なプロペラとディーゼルエンジンを、防水ピッチで真っ黒にコーティングされた『平底の小舟』に搭載した——『水氷両用・滑空舟』である。
万が一、薄氷を踏み抜いて凍っていない川の水面に落ちても絶対に沈まないよう、真野がボート構造を採用した代物だ。
「冬の間、そいつで凍結した湖や川を駆け回って、春までにレアメタルを搔き集めるんだったな。……無茶だけはすんなよ」
「ご心配なく」
ヨキは淡く微笑んだ。
「昨日、彼らと取引をして確信しました。透明なガラス玉一つが、彼らにとっては部族の歴史を揺るがすほどの価値を持つ。……圧倒的な経済格差とは、最も効率的で、安全な『交渉の武器』ですよ。春に本隊が来るまでに、この湖一帯の経済を完全に帝国の支配下に置いてみせます」
『力でねじ伏せれば反発を生む。だが、互いに利益のある交易(欲望)で支配すれば、彼らは自ら進んで帝国の経済圏に取り込まれる』
全権大使として交渉に当たったヨキは、この数日で「富」という武器の恐ろしさを痛感すると同時に、経済で世界を塗り替えることの快感に酔いしれていた。
「……ガハハ! まったく、どいつもこいつも狂ってやがる! じゃあな、春にはとびきりの大船団と重機を引き連れて戻ってきてやる!」
郷田の号令と共に、ディーゼルエンジンが黒煙を吹き上げる。 V字に切り開かれた直線陸路を、トラックの車列が雪を蹴立てて帝都へと走り去っていった。
ヨキはその無骨な後ろ姿を、冷徹な計算の混じった目で見送っていた。
***
郷田たちが去ってから、約一ヶ月が経過した。
建国4年の本格的な冬。
エリー湖畔は完全に結氷し、見渡す限りの銀世界へと変貌していた。
「オトコン! サテクワ……!?(おい相棒! バケモノだ……!)」
「セトワ・カナ……!?(なんだ……あれは!?)」
氷上の穴でワカサギ釣りをしていた二人の先住民の漁師が、釣り糸から手を離して立ち上がった。
地平線の彼方から、凄まじい轟音と共に「何か」が猛スピードで接近してくるのだ。
「サテクワ、ソ・トコン! (逃げろ、早く隠れろ……!)」
一人の漁師が相棒の腕を引っ張り、後ずさる。
轟音の正体は、ヨキたちが乗る『水氷両用・滑空舟』だった。
凍っていないカヤホガ川の水面を猛スピードで下ってきたそれは、ソリのように反り返った船首を河口付近の分厚い氷の縁へ叩きつけた。ガリガリと、鋼鉄で補強された船底が氷を削る強烈な音が響き渡る。
しかし、巨大なプロペラが生み出す圧倒的な推力がその摩擦抵抗を強引にねじ伏せ、滑空舟はそのまま減速することなく広大なエリー湖の氷上へと躍り出た。
背後に搭載された巨大なプロペラが空気を切り裂き、その推力だけで平滑な氷の上を時速60キロ以上の猛スピードで滑走していく。
犬ぞりとは次元の違う、水と氷の境界を無視した機動力だ。
滑空舟が漁師たちの前で急旋回して停止し、猛烈な雪煙が舞い上がる。
エンジン音がアイドリング状態に落ち着くと、ゴーグルを外したヨキと、ショットガンを構えた2人の護衛、そして通訳の青年が降り立った。
二人の漁師は未知の乗り物に腰を抜かし、警戒するように持っていた手槍を構えた。
ヨキはショットガンを構える護衛を手で制し、通訳の青年へピジン語(部族間共通語)で指示を出す。
「アワ、ナパ・ノア。ニ、マカ・タイ(彼らに怯えるなと伝えろ。俺たちは宝を持ってきたと)」
通訳の青年が頷き、一歩前に出て、彼らの母語で漁師たちに語りかける。
「サセン・ハエン。オンクワ・ハウィ・イオヤンレ(怯えるな。我々は良き宝を持ってきた)」
言葉が通じたことに安堵したのか、漁師の一人が恐る恐る槍の切っ先を下げた。
「イ、イオヤンレ……? オ・ナホテン・ネト?(た、宝……? それはなんだというのだ?)」
漁師の問いかけを聞き、通訳の青年はすぐさまヨキへ振り返り、ピジン語で報告する。
「ヨキ。アワ、マカ・パ、ミ・タイ?(ヨキ。彼らは、その宝とは何かと聞いています)」
「ルカ、マカ・パ(見ろ、と伝えろ)」
ヨキがピジン語で短く命じると、通訳が現地の言葉で漁師たちへ促した。
「サク・ネト(これを見よ)」
護衛の一人が荷台から木箱を下ろし、中から透明な「ガラス玉」と、太陽の光を反射して輝く「鋼鉄のナイフ」、そして純白の「精製塩」を取り出して見せた。
木箱の中身を見た二人の漁師は、息を呑んで後ずさった。
「アワッ……!? オネニャ・オワト!(うわッ……!? 神聖な石だ……!)」
冬の飢餓と寒さに怯える彼らにとって、それは文字通り神の国から持ち込まれた奇跡の品々に他ならなかった。
通訳は彼らの驚愕の表情を確認すると、すぐにヨキへ向かってピジン語で伝える。
「ヨキ! アワ、マカ・タイ・ワト!(ヨキ! 彼らはこれを神聖な宝だと言って驚いています!)」
『よし、食いついた。あとは等価交換という名の、価値観の破壊だ』
ヨキは冷静に相手の反応を分析しながら、再び通訳へピジン語で命じる。
「アワ・オニア、キ・オンヤ・ハワ、マカ・パ?(お前たちの村に、緑の石はあるか、と聞け)」
通訳がピジン語の指示を受け、現地の言葉に変換して漁師に問いかける。
「セノン・ニア、オンヤ・オヒア・イエン?(お前たちの村に、緑の石はあるか?)」
二人の漁師は顔を見合わせ、戸惑いながらも答えた。
「オ、オンヤ……? オンヤ・オヒア、オンクワ・カナタ・イエン……(石……? 緑の石なら、我々の村の神聖な洞窟にあるが……)」
漁師の返答を聞いた通訳の青年は、すぐさまヨキへ向かってピジン語で報告する。
「ヨキ。アワ・タイ、オンヤ、イン・カナタ(ヨキ。彼らは、村に緑の石があると言っています)」
ヨキは不敵な笑みを浮かべ、ピジン語で次の指示を飛ばす。
「マカ・ワン・ガラス・パ・アワ。マカ・チーフ・イン・カナタ。アワ・ワント・タイ、カナタ・タン・オンヤ(彼らにガラス玉を一つやれ。村の長に会わせろと伝えろ。この塩と鉄が欲しければ、村を挙げて取引に応じろ、とな)」
通訳がピジン語の指示を受け、現地の言葉で漁師に告げる。
「ネト・レオン、エサ・イエン(この小さな宝を、お前にやろう)。ラトカハス・カナタ・ワネン……(村の長に会わせろ……塩と鉄を、緑の石と交換しよう)」
二人の漁師は差し出された透明なガラス玉を、震える両手で受け取った。
手の中でキラキラと輝く未知の宝石。そして、木箱の中にある圧倒的な富。
神聖な石を他所者に渡すことへの躊躇いはあったが、この過酷な冬を生き抜くための宝が手に入るかもしれないという強烈な『欲望』が、未知の者への警戒心を完全に吹き飛ばしていた。
「エヘン! オワリ・サトカ! カナタ・ニヨンワ!(ああ! わかった! すぐに村の長のもとへ案内しよう!)」
二人の漁師は、案内するように湖畔の森を指差した。
『狙うのは、村単位の巨大なストックだ。……さあ、帝国の経済圏へようこそ』
ヨキは冷徹な笑みを浮かべると、漁師たちを滑空舟へ乗せ、彼らの村へ向かった。 冬の間、雪に閉ざされ孤立するはずの各部族の集落を、ヨキの乗る滑空舟は物理法則を無視して次々と踏破していく。 閉ざされた冬の湖畔は、強烈な欲望と互いの利益を取引するヨキの手によって、完全に『帝国の経済の庭』と化しつつあった。
***
エリー湖畔でヨキが各村から莫大な資源を買い集め始めていたのと同じ頃——。
帝都・本丸の奥深く。
「アホか! 絶縁のコーティングが甘いやろ! ここで漏電したら、一瞬で全部おジャンになるんやぞ!」
真野の怒声が、コンボイの工房内に響き渡っていた。 彼の目の前には、巨大な木製のボビンに巻き取られた大量の『銅線』が積まれている。 一ヶ月前に郷田たちが持ち帰ってきた一トンの自然銅は、真野と弟子たちの血を吐くような手作業により、すでに膨大な長さの『エナメル線』へと加工され終わっていた。
そして、その横には巨大な発電機のダイナモと、複雑に絡み合う配線盤が鎮座している。
現在は、その最終的な結線作業の真っ只中であった。
「す、すみません真野さん! すぐにコーティングし直します!」
弟子のチャパが、油と煤にまみれた顔を青くして走る。
真野は、充血した目で設計図と配線盤を交互に睨みつけていた。
『交流(AC)と直流(DC)のハイブリッド……。理屈は分かっとる。やけど、この原始的な設備で本当に安定した電圧が出せるんか?』
不安がないわけではない。
だが、彼には立ち止まる理由など一切なかった。
「真野さん……少し、お休みになっては……?」
工房の入り口の外から、妻のエルワが声を掛けてきた。
彼女は、夏に産まれた双子の赤ん坊を寝かしつけた後、夫を気遣って顔を出してくれたのだ。
「エルワ……」
真野は油まみれの手を布で拭い、妻を見つめた。
『俺の子供たちが……待ちに待った俺たちの家族が、ようやく産まれたんや』
以前なら、エルワのその「神の指先」に頼り、一緒に徹夜でミクロン単位の作業をしていただろう。
だが、今は絶対に彼女をこの危険な工房に入れるわけにはいかない。
粉塵、有害ガス、そして万が一の爆発事故。
建国メンバーの総意として、産後の妻たちの「完全現場排除」が厳命されていた。
「大丈夫や。俺は全然疲れとらん」
真野は、安心させるように笑いかけた。
「お前は、要塞の中で温まっとけ。……俺が、必ずこの帝都に『光』を灯したる。産まれたばかりの俺たちのガキが、夜の闇に怯えんで済むように、絶対安全な国を作ったるんや」
「……はい。信じています、あなた」
『嫁のサポートがねぇなら、俺の意地と執念でカバーするだけや。絶対にやり遂げたる』
真野は再び配線盤に向き直った。
その目には、職人としての狂気と、父親としての並々ならぬ覚悟が宿っていた。
「おいチャパ! 手を動かせ! 銅線の皮膜にムラがないか、徹底的に確認しろ! 今日中に配電盤の結線を終わらせるぞ!」
「はいっ!!」
***
同じ頃、帝都の統治局、最上階の執務室。
外は凍てつくような寒さだが、室内は上着が不要なほど暖かかった。 床下に張り巡らされた『オンドル式の床暖房』が、足元から部屋全体を春のような温度に保ち続けているのだ。 薪の煙や一酸化炭素は完全に外へ排気されるため、空気は澄み切り、完璧なクリーンルームとなっている。
「……また、北の部族から嘆願書か。呆れるほど来るな」
九条がデスクに向かい、一人で山積みの植物紙をめくりながら低く呟いた。
部屋の奥では、ふかふかの毛皮の毛布に包まれたアナヒータが、ソファに身を横たえて静かに眠っている。
その腕の中には、夏に産まれたばかりの長男・シオンが、すやすやと穏やかな寝息を立てていた。
有能な第一秘書である彼女だが、今は一切の決済業務から外され、この完璧に安全で暖かい部屋で「産後の体を休め、育児に専念すること」だけを厳命されていた。
彼女の代わりとなる秘書業務は、すでにシステム化され、ローマ字教育を受けた何人もの人員によって滞りなく回されている。
『圧倒的な富は、どんな強固な城壁よりも確実に人を惹きつける。……だが、同時にシステムを乱すエラー(不確定要素)も引き寄せる』
九条は書類をデスクに放り投げ、窓の外を見た。
ここ数週間で、北の五大湖周辺の部族だけでなく、油田プラントがある南方のオハイオ川流域の遠方部族からも、『帝国の傘下に入りたい』という嘆願が急増している。
ヨキが北でバラ撒いている経済的な利益と、滑空舟の機動力。そして、南で絶え間なく稼働する油田プラントの威容。
帝国の持つ圧倒的な「富」と「力」の噂は、冬の寒さに怯える先住民たちの間で、まるで神話のように語り継がれていた。
もはや、弓や槍で帝国に歯向かおうと考える愚か者はいない。
皆、安全なコンクリートの壁と、尽きることのない食糧を求めて、自ら膝を屈しに来ているのだ。
雪に覆われた帝都の街並み。
その中心では、真野たちが命を削って組み上げている初期発電所の巨大な建屋が、天を突くようにそびえ立っている。
「傘下に入る条件は、これまで通り『完全な服従と労働力の提供』だ。一人たりとも例外は認めない」
九条は立ち上がり、ソファで眠る妻子のもとへ静かに歩み寄った。
「……もうすぐ、真野の発電所が稼働する。そして、すでに実戦配備されている機関銃も、春にレアメタルが届けば『強化銃身』となって完成の域に達する」
そっと、眠るアナヒータの髪と、小さなシオンの頬を撫でる。
「この冬を越えれば、帝都は夜を克服し、誰も近づけない『絶対防衛網』が完成する。……俺たちの子供が産まれたこの国を、世界で一番安全な場所にしてやる」
外では、静かに雪が降り積もっている。
だが、帝都の内側では、次なる「動力革命」と「血の時代」へ向けた強烈な熱が、マグマのようにグツグツと煮えたぎっていた。




