第84話:仮拠点の構築と、欲望の徹夜ダッシュ
帝都の川沿いに確保された広大な区画では、耳をつんざくような重機の騒音に代わり、規則正しい土方作業の掛け声が響いていた。
「2番の型枠、もっと補強しろ! 東さんが設計したダイナモの振動はこんなもんじゃねえぞ! コンクリートを流し込んだ時にパンクすっぞ!」
「了解! 筋交い追加します!」
親方である郷田が不在の中、彼に鍛え上げられた若き土木部隊の作業員たちが、泥まみれになりながら巨大な基礎工事を進めている。
現場を指揮しているのは、地質と測量のプロフェッショナルであるカヤだった。彼はトランシットと設計図を交互に睨みながら、冷静かつ的確に指示を飛ばしていく。
『……郷田さんが北の森を切り開いている間に、僕たちはこの帝都で「未来の心臓」を造り上げる』
これから据え付けられるのは、真野が工場の総力を挙げて建造中の「直流・交流ハイブリッド発電機」だ。その莫大な重量と回転振動に耐えるため、基礎のコンクリートは通常の数倍の厚さで打設される計画になっていた。
「カヤさん! 砕石の転圧、完了しました!」
「よし、ただちにコンクリートの打設を開始してくれ。……日が暮れる前に一段目を終わらせるぞ。身重の奥様たちが、この冬を暖かく、明るく過ごせるようにね」
「おうっ!!」
妊婦の現場立ち入りが完全に禁止され、エルワやカシャといった「神業を持つ妻たち」が抜けた穴は決して小さくない。
しかし、建国メンバーたちが構築した「システム」は、特定の個人のスキルに依存しないよう設計されていた。明確なマニュアルと、徹底した安全管理、そして「家族を守る」という絶対的なモチベーション。
それらが完全に噛み合い、帝都は彼らがいなくとも、自律して成長する巨大な生き物へと変貌しつつあった。
***
同刻。北の原生林。
ズロロロロロロロロォォォッ!!!
数週間に及ぶ過酷な伐採と抜根の末、ついに鈍重なデチューン重機が最後の木立をなぎ倒した。
視界が一気に開け、晩秋の冷たい風が吹き込んでくる。
目の前に広がっていたのは、広大な湖(エリー湖)へと注ぎ込む豊かな水系——カヤホガ川の岸辺だった。
「……着いたぞ! カヤホガ川だ! 予定通り、完全直線でぶち抜いてやったぜ!」
ブルドーザーの運転席から飛び降りた郷田が、黒煙の匂いが染み付いた顔を拭い、豪快に笑い声を上げた。
後ろには、切り開かれたばかりの荒々しい一直線の「道」が続いている。
「お疲れ様です、郷田様。私の計算と、あなたの重機が完全にシンクロしましたね」
トラックの助手席から降りてきたヨキが、安堵の息を吐きながらバインダーを閉じた。
「ガハハ! これで水系が繋がった! ここが未来の巨大な『造船港』になるってわけだ。……だが、本格的な開発は春からだ! 総員、越冬用の仮拠点を構築しろ! トラックのウインチをフル活用して、切り倒した丸太で防壁と小屋を組むんだ!」
郷田の怒号が飛び交い、コンボイから降り立った土木部隊が即座に動き出す。
伐採したばかりの太い丸太が次々とワイヤーで引き寄せられ、瞬く間に強固な防壁と仮設の宿舎が組み上がっていく。圧倒的な機械力と熟練の土木技術による、魔法のような拠点構築だった。
その光景を、森の奥から無数の目が見つめていた。
この周辺地域を支配する、巨大部族同盟の戦士たちだ。
「ここからは私の仕事ですね。郷田様」
ヨキは衣服の土埃を払い、分厚いトランクを提げて歩み出た。 彼の背後には、狙撃部隊と土木部隊たちが、ライフルやショットガンを構えて無言の圧力を放っている。
「任せたぜ、ヨキ。俺たちはこの間に、氷上車両の組み立てと、帰還の準備を進めておく」
ヨキは、事前に雇い入れていた通訳のガイドと共に、森の境界線で警戒を解かない部族の戦士たちへと歩み寄った。
「キ、テイコク・レニ? キ、ワト・パコ?(お前が帝国の人間か? ここで何を望む?)」
戦士たちの中心から、筋骨隆々の族長が進み出た。
彼の首には、おびただしい数の獣の牙と、くすんだ『緑色の石(自然銅)』がじゃらじゃらと装飾品としてぶら下がっている。
彼らはすでに、帝国の恐るべき力(銃と重機)の噂を聞き及んでいた。しかし、巨大部族の長としてのプライドから、あくまで対等な立場で交渉に臨もうとしていた。
『……なるほど。これが九条様が仰っていた、彼らの死蔵資産ですか』
ヨキは内心で冷徹に計算しながら、愛想の良い笑みを浮かべ、この水系全域で通じる広域共通語(ピジン語)で答えた。
「ニ、キ、タイ・レニ(俺とお前は良い関係だ)。ニ、マカ、タイ・パコ(俺は宝のやり取りに来た)。ニ、タイ・タイ、イン(良い物を持っている)」
ヨキは族長の目の前で、重厚なトランクをゆっくりと開いた。
「——!!」
族長と戦士たちが、一斉に息を呑んだ。
トランクの中に敷き詰められた黒いベルベットの布の上で、晩秋の陽光を反射してキラキラと輝くもの。
それは、純度100%の「透明なガラス球(ビー玉)」と、帝都の織機で精緻に織り上げられた「鮮やかな真紅の布」だった。
「ミ、ミ・タイ……!? ワト・パコ……!(な、なんだこれは……!? 魔法か……!)」
族長の手が震え、恐る恐るガラス球に触れる。
彼らの技術レベルにおいて、「完全な真球」かつ「向こう側が透けて見えるほど透明な物質」など、神の御業以外の何物でもない。真紅の布もまた、手触り、発色、そのどれもが彼らの粗末な毛皮とは次元が違った。
『……彼らの価値観において、このガラス球一つは、毛皮数十枚、いや数百枚に匹敵する「超高級な宝」として機能する。圧倒的なテクノロジーの差は、そのまま圧倒的な富の差となる』
ヨキは、九条から叩き込まれた「経済による蹂躙」のロジックを、今まさに実行していた。
武力による威圧は必要ない。人間の根源的な「欲望」をハックすれば、彼らは自ら進んで全てを差し出す。
「キ、マカ、ミドリ・タイ。ニ、マカ、タイ・タイ(お前たちが持つ緑の宝を渡せば、俺がこの宝を与えよう)」
ヨキは族長の首に掛かっている自然銅のネックレスを指差した。
「ミドリ・タイ……? タイ・タイ! タイ・タイ! ニ、タイ・イン!(緑の宝か……? ああ! ああ! 俺はたくさん持っているぞ!)」
族長は狂喜し、首飾りを引きちぎらんばかりの勢いでヨキに差し出した。
しかし、ヨキは冷たく首を横に振った。
「マタ。タイ・タイ、クシ(いや。この宝は大きすぎる)。キ、マカ、イン・ミドリ・タイ(もっと、もっと大量の緑の宝が必要だ)。レニ・サン、パコ(明日の太陽が昇るまでが期限だ)」
ヨキはトランクをパチンと閉じた。
「レニ・サン、ニ、マカ。マハラ、マタ(日が昇れば、俺は帰る。取引は終わりだ)」
意図的な「供給の制限」と「タイムリミット」。
手に入りかけた神の宝が目の前で消えてしまうという強烈な喪失感と焦燥感が、族長の理性を完全に吹き飛ばした。
「マタ・マカ! ナパ! ニ、マカ・イン! キナ!(待ってくれ! 頼む! 俺が集めてくる! 全部だ!)」
族長は血走った目で戦士たちを振り返り、絶叫した。
「マカ!! キナ・クシ、マカ!! ミドリ・タイ、マカ!! パコ!!(走れ!! 全ての村へ行け!! 緑の宝を持ってこい!! 急げ!!)」
族長の怒号を受け、数十人の戦士たちが、蜘蛛の子を散らすように森の奥へ向かって全速力で駆け出していった。
彼らは近隣の集落を回り、長年受け継がれてきた装飾品から、神事用の供物に至るまで、ありとあらゆる「緑の石」を回収するだろう。たった一つのガラス球という、近代の安価な量産品を手に入れるために。
『……これが、資本主義の毒。圧倒的な富の格差による、無血の侵略』
戦士たちの背中を見送りながら、ヨキは背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
大自然の掟の中で生きてきた誇り高き戦士たちが、見たこともない宝の魔力に当てられ、目を血走らせて徹夜で走り回る。
銃弾を一発も撃つことなく、彼らの文化と経済圏は、帝国のシステムに完全に呑み込まれたのだ。
***
翌朝。
東の空が白み始めた頃、仮拠点の防壁の前に、ヨキと郷田は立っていた。
「……ハァ……ハァ……ハァ……」
息も絶え絶えになりながら、泥まみれの戦士たちが次々と森から帰還し、ヨキの足元に荷袋を投げ出していく。
中から転がり出たのは、大量のくすんだ緑色の石——純度の高い「自然銅」だった。
その量は、ヨキの足元に小さな山を築くほどになっていた。
「すげえな……。ざっと見積もっても、1トンは下らねえぞ」
郷田が信じられないといった顔で、銅の山を見下ろした。
もし自分たちで鉱脈を探し、採掘していれば、数ヶ月はかかるであろう量が、たった一晩で目の前に揃っているのだ。
「ええ。彼らが長年、部族間交易で蓄積してきた富を、根こそぎ吐き出させましたからね」
ヨキは冷静に頷き、トランクを開けて約束のガラス球と布を族長に手渡した。
「キ、タイ・レニ……! キ、タイ・レニ、テイコク……!(ありがとう……! 素晴らしい友だ、帝国……!)」
族長は泥だらけの顔に涙を流し、ガラス球を宝物のように抱きしめ、何度もヨキに頭を下げた。
全てを奪われたにもかかわらず、彼らは感謝の言葉を口にしている。
「ヨキ。お前の数学と経済学は、俺の重機よりよっぽどえげつねえな」
郷田が呆れたように笑うと、ヨキは淡々と答えた。
「郷田様。我々は、これから生まれてくる子供たちのために、世界を安全な『システム』に書き換えなければならないのです。……そのためなら、私は悪魔にでもなりますよ」
ヨキの冷徹な言葉とともに、初期目標である「1トンの銅」を積み込み始めた。 冬の足音が迫る中、彼らは次なる時代(電化)への強烈なエネルギー源を手に入れ、再び直線の道を帝都へと引き返していくのだった。




