第79話:ゴムと油圧ジャッキ、そして初の王者の誕生
建国4年、初夏。
帝都の平原に急造されたグラウンドは、割れんばかりの歓声と熱気に包まれていた。
「いけぇっ!! そのまま蹴り込め!」
「タタンカ、後ろだ! 敵が来てるぞ!」
記念すべき『第一回 蹴球大会』の決勝戦。
グラウンドを駆け回るタタンカ率いる防衛部隊チームと、屈強な男たちが揃った土木作業員チームの試合は、泥まみれの激戦となっていた。
周囲には急造の観客席が設けられ、約1,700人に膨れ上がった帝国市民(元先住民や移民たち)が詰めかけている。 ルルが仕切る宴会部隊が屋台を出し、香ばしく焼けた肉の匂いと、蒸留酒の甘い香りが風に乗って漂っていた。
「やれやれ……。原始的なルール一つで、人間はここまで熱狂できるものか」
グラウンドを見下ろす要塞のバルコニー。
九条蓮は、統治局の窓から見下ろすのと同じように、冷徹な目で熱狂する群衆を観察していた。
彼の隣では、身重の妻たちが安全な特別席で黄色い声援を送っている。
「きゃーっ! タタンカさん、かっこいいー!」
「あっ、ダメ! 取られちゃった!」
ティオやルル、アナヒータたちも、ルールを完全に理解し、戦士たちの激しいボールの奪い合いにすっかり魅了されていた。
極限の緊張感と出産の不安を抱えていた妻たちの顔に、純粋な笑顔が戻っている。
ピィィィーーーッ!!
グラウンドに、終了を知らせる甲高い笛の音が響き渡った。
「そこまで! 勝者、防衛部隊チーム!!」
審判役を務めていた東航平がメガホンで叫ぶと、グラウンドは地鳴りのような歓声に包まれた。泥だらけになったタタンカたちが抱き合って喜びを爆発させ、敗れた作業員チームも清々しい顔で握手を交わしている。
バルコニーから見下ろす九条が、満足げに頷いた。
グラウンドの端に急造された表彰台にタタンカたちが上ると、ルルの宴会部隊がうやうやしく「優勝賞品」を運び出す。
「約束通り、初代王者となったチームには『特製蒸留酒の樽』と『極上の塩漬け肉』を授与する! よく戦い抜いた!」
九条の宣言がグラウンドに響き渡ると、タタンカたちは樽を高く掲げて雄叫びを上げた。
その瞬間、観客席の熱狂は別の形へと変貌した。
「すげえ!! おい、俺たちも次こそは絶対に出るぞ!」
「農業部隊で最強のチームを作ってやる!」
「おい、エントリーはどこでできるんだ!? 次はいつなんだ!?」
賞品の豪華さと、闘争心をかき立てる未知の娯楽に完全に魅了された若者たちが、我先にと運営席に殺到し始めた。あっという間に数十チーム分の参加希望者が押し寄せ、暴動一歩手前の熱気を生み出している。
『……悪くない。見物人たちのガス抜きとしても、労働のインセンティブとしても完璧に機能している』
九条が内心で計算を弾いていると、隣で分厚い腕組みをしていた郷田剛が、ふぅと大きなため息をついた。
「どうした、郷田。お前もあの泥だらけのピッチに混ざりたいのか?」
「冗談じゃねえよ。俺が出たら、あいつら全員吹っ飛ばして大怪我させちまう」
郷田は鼻を鳴らしたが、その表情には隠しきれない焦燥感があった。
「なぁ、九条。見ろよあの熱狂ぶりを……。次回からは俺の部下の作業員どもも『土木第1班から第5班まで、それぞれの部署でチームを作って出場したい』って騒ぎ立ててる。良いガス抜きだし、モチベーションアップには最高だが……肝心の俺の仕事が、絶賛遅延中なんだよ」
「……『重機』の開発か」
「ああ。五大湖方面の鉱山開発や、これからの大規模な運河掘削。人海戦術じゃ限界がある。本来なら今頃、真野の工房に『巨大なパワーショベル』や『ブルドーザー』を作らせて、さらにそれを動かすための『直列6気筒の大型ディーゼルエンジン』の開発に着手しているはずだった」
郷田の言葉は事実だった。
油田プラントが本格稼働し、莫大な燃料と潤滑油が確保された今、重機を動かすためのエネルギー問題は完全にクリアされている。
「だが、真野の工房は今、俺の重機開発を完全にストップさせている。……まあ、理由は分かってるがな」
郷田は、視線をグラウンドから外し、遠く離れた工業区画……黒煙を上げ続ける真野の工房へと向けた。
九条もまた、冷たい瞳で工房を見つめる。
「産まれてくる子供たちを、確実に守り抜くための『防衛網(マキシム機関銃)』の完成が最優先だ。……重機や直6エンジンの開発は、その次だ。今は我慢しろ、郷田」
「分かってるよ。俺だって、あいつらの腹にいる赤ん坊の命には代えられねえからな」
熱狂する市民たちのお祭り騒ぎとは対照的に、父親となった男たちの目は、狂気にも似た「防衛への執念」で黒く濁っていた。
***
同日、深夜。
熱狂の冷めやらぬ地上の喧騒から切り離された、機械R&Dの本工房。
ガシャン……ッ!!
ズガァァァン……!!
重々しい金属の衝突音が、絶え間なく鳴り響いていた。
「アカン……また破れた! 次や、次持ってこい!!」
真野巧は、油と汗でドロドロになった顔を歪めながら、引きちぎれた真鍮の破片を床に叩きつけた。
「はいっ! 次のロット、セットします!」
弟子のチャパが、真っ赤に熱された真円の真鍮板を、巨大な機械の土台に素早くセットする。
彼らの目の前にあるのは、天井に届くほど巨大な『油圧プレス機』。
冴島が抽出した天然ゴムを「Oリング(パッキン)」として使用し、油圧ジャッキの原理を応用して極限の圧力を生み出す、帝国初の大型プレス機械だ。
「ええか、チャパ! 連続で弾を撃ち出す機関銃には、燃えカスを残さない無煙火薬と……この『金属薬莢』が絶対に必要なんや!」
真野は、血走った目でプレス機のレバーを握りしめた。
「紙の薬莢じゃ、火薬のパワーと熱に耐えきれず、すぐに薬室の中で千切れて弾詰まり(ジャム)を起こす。無煙火薬の莫大な圧力を完全に密閉し、撃ち終わった瞬間に薬室からツルリと抜け落ちる『完璧に均一な厚みの真鍮の筒』……それを作らなアカン!」
ガコンッ!!
真野がレバーを引き、油圧シリンダーが真鍮の板にゆっくりと、しかし数トンもの圧倒的な力で押し込まれていく。
「……これまでは、こういうミリ単位の微細な金属加工は、全部エルワの『神の指先』に頼っとった」
真野の脳裏に、今は安全なコンクリートの部屋で大きなお腹を抱えている妻の顔が浮かぶ。
彼女の指先があれば、真鍮を叩いて伸ばし、ミクロン単位の精度で筒を作り上げることも可能だったかもしれない。
「せやけど、アイツはもう現場には絶対入れへん。俺の子供を産んでもらうためや。……やから、俺たちは『機械の力』だけで、この金属を破らずに円筒形に引き延ばす『深絞り(ふかしぼり)加工』を成功させなアカンねん!!」
ミリミリミリ……と、真鍮が悲鳴を上げて円筒形に伸びていく。
だが、その瞬間。
バキンッ!!
金属が限界を超え、筒の側面が醜く裂けた。
「……クソがぁっ!! またや! 圧をかけるスピードが早すぎるんか!? それとも金型のクリアランスが狂っとるんか!?」
真野が頭を抱え、作業台を殴りつける。
工房の床には、すでに数百個もの「失敗した薬莢の残骸」が山のように積み上げられていた。
「真野さん……金型の温度をもう少し上げて、真鍮を柔らかくしてみてはどうでしょう? それと、油圧のレバーを引く速度を、あと半拍だけ遅く……」
徹夜続きでフラフラのチャパが、数式を書いた黒板を見ながら提案する。
「……やってみよか。おい、お前ら! 炉の温度を上げろ! 金型を交換や!」
真野の怒声に応え、追加で動員された数十人の弟子たちが、無言で一斉に動き出す。
エルワという「天才一人」の穴を、彼らは「機械の力」と「五十人の人海戦術(泥臭い試行錯誤)」で強引に埋めようとしていた。
ガシャン……ッ!
ミリミリミリ……。
温度を変え、圧力を変え、金型の隙間をミクロン単位で調整し、何度も何度もプレスを繰り返す。
何日徹夜したか分からない。指先の感覚はとうに麻痺し、目からは油と汗が混じった涙が流れている。
そして――明け方。
シュゴォォォ……。
油圧シリンダーが静かに引き上げられた。
金型の中に残っていたのは。
破れることもなく、歪むこともなく、黄金色の輝きを放つ、完璧な円筒形の『金属薬莢』だった。
「……チャパ」
「はい……真野さん」
真野は、震える手でその薬莢を拾い上げた。
火傷しそうなほど熱い金属の感触が、確かに手のひらに伝わってくる。
定規とマイクロメーターで計測する。……どこを測っても、厚みは完全に均一。薬室に完璧にフィットする、究極の規格品だ。
「……出来た。出来よったぞ……!!」
真野の絞り出すような声に、チャパと弟子たちが一斉に崩れ落ち、歓喜の雄叫びを上げた。
「チャパ!! 今の炉の温度、油圧の力、レバーを引いた秒数! すべて黒板に書き残せ! 1ミリも違えずに記録するんや!」
真野が血走った目で叫ぶと、チャパは慌ててチョークを走らせた。
「はいっ! パラメータの特定、完了しました!」
「……これや。エルワの『手先の感覚』やない。機械が導き出した『絶対的な数値』や」
真野は、黄金色の薬莢を高く掲げ、朝焼けの差し込む工房の窓を見つめた。
「この条件通りに金型をセットして機械を動かせば、俺だろうがお前だろうが、誰がレバーを引いても『完璧な薬莢』が無限に作れる! ……俺たちはついに、手作業の限界を超えたんや!!」
「無煙火薬、金属薬莢、そして連発機構。……これで、すべてのピースが揃った」
「待っとれ、エルワ。もうすぐや。……俺たちの子供を完璧に守り抜く、最強の盾(機関銃)が完成するで……!!」
属人的な技術から、機械による「量産化」へのブレイクスルー。
機械技術と化学技術が交差する工業区画の奥深くで、世界の戦争の概念を根底から覆す「悪魔の兵器」が、ついに産声を上げようとしていた。




