第78話:黒色火薬の限界と「無煙火薬」の精製
建国4年、初夏。
帝都の一角にある、分厚いコンクリートと土塁で囲まれた射撃実験場。
そこには、重苦しい沈黙と、鼻をつく硝煙の臭いが立ち込めていた。
「……あかん。これ以上は物理的に無理や」
真野巧は、煤で真っ黒に汚れた真鍮の部品を机に叩きつけた。
彼の目の前には、複雑なカムとスプリングで構成された『機関銃』のプロトタイプが置かれている。
「機構自体は完璧やねん。発射の反動を利用して、次の弾を自動で装填するシステムは完全に組み上がっとる。せやけど……」
真野は、苛立ちを隠せない手つきで、銃の機関部を開いて見せた。
内部には、黒くドロドロとした燃えカスがびっしりとこびりついている。
「『黒色火薬』の燃えカスや。こいつが弾を撃つたびに機関部に溜まりよる。たった数十発撃っただけで、ギアがカスを噛んで完全に動作が止まる。おまけに……」
「これだろ」
鬼頭陣が、忌々しそうに射撃場の空間を指さした。
実験場の空域には、先ほどの試射で発生した真っ白な煙が、分厚い雲のように滞留していた。
「黒色火薬は、燃焼した質量の半分以上が『固形物(煤)』として残る。だから煙も出るし、カスも詰まる。……一発撃つごとに砲身を掃除できる大砲ならともかく、密閉空間で連続爆発を起こす自動火器には、致命的なバグだ」
九条蓮は、煙で視界の悪くなった実験場を見渡しながら、冷徹に事実を定義した。
「つまり、真野の作ったハードウェアの限界ではなく、燃料である『火薬』というソフトウェアが時代遅れだということか」
九条の言葉に、鬼頭が重々しく頷く。
「ああ。連続射撃を実現するには、燃焼した後に一切の固形物を残さず、100パーセント気体に変わる魔法の火薬……『無煙火薬』を開発するしかねえ」
「……出来るのか? 鬼頭」
九条の鋭い視線が射抜く。
鬼頭は、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、拳を鳴らした。
「誰に聞いてんだ。……とはいえ、俺の最高の火薬庫番が、今は長期休暇中だからな。少しばかり骨が折れるぜ」
鬼頭の脳裏に、現在コンクリートの安全圏(要塞)の中で大きくなった腹を抱えている妻、ゼナの顔が浮かぶ。
これまでの火薬の品質管理は、彼女の真面目で幾帳面な作業に大きく依存していた。
『……俺のガキを守るためだ。ゼナの分まで、俺が意地でも創り上げてやる』
鬼頭の瞳に、父親としての狂気にも似た執念が宿った。
***
それから数日後。
帝都の空気は、これまでとは全く違う熱を帯びていた。
農地の隣に確保された広大な平原では、来る「蹴球大会」に向けた準備が急ピッチで進められている。
「おい! ローラーをもっとしっかり掛けろ! 地面がデコボコだと球が変な方向に転がっちまうぞ!」
郷田の土木部隊に所属する若者たちが、道路工事用の巨大なローラーを転がし、グラウンドの土を徹底的に平らに踏み固めていた。
「よし、こっちは終わったぞ! 白線を引くぞ!」
別の組が、建築で余った消石灰(白粉)を使い、幾何学的に正確な長方形のラインを大地に描いていく。
グラウンドの両端には、真野の工房から提供された頑丈な木材を組み上げた巨大な「ゴール」が設置され、妻たちが麻糸で編み上げた手作りのネットが張られていた。
「いけぇっ!!」
「止めろ止めろ!!」
完成しつつあるピッチの脇では、仕事の休憩時間を利用して、すでに数チームが土埃を上げてボールを追いかけている。
手を使わず、足だけで球を扱うという未知のルール。最初は戸惑っていた若者たちだが、狩猟で培った動体視力と身体能力で瞬く間に順応し、泥だらけになって笑い合っていた。
バルコニーから見下ろす妻たちも、その活気ある光景に手を叩いて声援を送っている。
太陽の下、帝都は「娯楽」という新しい文明の光に包まれていた。
だが、その陽光の届かない地下深く。
分厚い防爆扉の向こう側では、一歩間違えればすべてが吹き飛ぶ、死と隣り合わせの狂気の実験が始まろうとしていた。
***
化学プラントの隔離実験室。
油田プラントの本格稼働と、ハーバー・ボッシュ法の副産物により、帝都の化学プラントには「硫酸」や「硝酸」といった劇薬が潤沢に供給されるようになっていた。
「うぇぇ……鬼頭、マジで鼻がもげそうなんだけど……」
防毒マスク代わりの布を何重にも巻いたミカが、涙目で文句を垂れていた。
彼の異常に発達した嗅覚にとって、高濃度の酸が揮発する実験室は地獄そのものだった。
「泣き言を言うな、ミカ。お前のそのバケモノみたいな鼻と耳が、今の俺たちの『精密センサー』なんだよ」
鬼頭は、分厚いゴム手袋をはめ、ガラスの容器に慎重に液体を注ぎ込んでいた。
純粋な硝酸と硫酸を混合した『混酸』だ。
「いいか。植物の繊維をこの混酸に浸して『ニトロ化』させる。これが無煙火薬の基本だ。だが……」
鬼頭の視線の先には、ガラス管とアルコールで急造されたアナログ温度計が挿してある。
「ガラス管の温度計じゃ、この暴力的な化学反応の急激な温度変化に追いつけねえ。目盛りが上がったのを見てからじゃ遅いんだ」
鬼頭の額から、タラリと冷や汗が流れ落ちる。
「反応中に少しでも温度が上がりすぎれば、このプラントごと木端微塵に吹き飛ぶ。ゼナがいねえ今、暴走の兆候をミリ秒単位で感知できるのは、お前の感覚だけだ」
「……分かってるよ。ちょっと待って……」
ミカは目を閉じ、容器から発せられる微細な気泡の音と、ツンとくる匂いの変化に全神経を集中させた。
「……ストップ、鬼頭。匂いが少し『尖って』きた。液体の底の方で、チリチリって嫌な音が鳴り始めてる。温度が上がりすぎてるよ」
「チッ、冷却水を回せ!」
鬼頭が即座にバルブをひねり、容器の周囲に冷水を循環させる。
温度計の目盛りがピクリと動く前に、ミカの異常な感覚が暴走の兆候を寸前で感知していく。
『……コンプラ無視の綱渡りだぜ。だが、この暴力的な化学反応の先にしか、俺たちの求める答えはねえ』
数時間の極度の緊張を伴う反応工程を終え、混酸から取り出された繊維は、見た目には普通の綿と何も変わらなかった。
「よし、反応は終わった。……ここからの『洗浄』が一番重要だ」
鬼頭は、ニトロ化した綿を大量の純水の中へ放り込んだ。
「繊維の中にわずかでも酸が残っていれば、時間が経つと自然発火しちまう。俺のガキが寝てる帝都で、そんな不良品を暴発させるわけにはいかねえからな。……徹底的に洗うぞ」
ゼナが不在の分、鬼頭はこれまでの何倍もの執念と時間をかけ、何度も何度も中和と洗浄を繰り返した。
***
その日の深夜。
再び、コンクリートに囲まれた射撃実験場。
九条、真野、そして疲労困憊の鬼頭とミカが集まっていた。
机の上には、黒々とした従来の『黒色火薬』と、一見ただの白い綿に見える『無煙火薬』が、それぞれ少量ずつ置かれている。
「……行くぞ」
鬼頭が、長い導火線に火をつけた。
まずは、黒色火薬。
バツンッ!という破裂音と共に、もうもうと白い煙が立ち上り、机の上にはドロドロとした黒い燃えカスがこびりついた。
「これが今までだ。……次、本命だ」
鬼頭が、白い綿(無煙火薬)に火を近づけた。
――シュボッ!!!
一瞬だった。
爆音すらなく、ただ強烈な閃光だけが走り、白い綿は「跡形もなく」消滅した。
煙は一切出ず、机の上には、チリ一つ、黒い煤一つ残っていなかった。
「……!!」
真野が、息を呑んで机に駆け寄った。
燃えカスがない。指でなぞっても、一切の汚れがつかない。
「完全燃焼……質量のすべてが、完全に『気体』へと変換されよった……!!」
真野の目が、歓喜と狂気に大きく見開かれた。
「これや……! これさえあれば、煤で機関部が詰まることは絶対にない! 弾倉が続く限り、俺の機械は無限に弾丸を吐き出し続ける悪魔に変わるで!!」
興奮で叫ぶ真野の横で、鬼頭は深く息を吐き出し、満足げに笑った。
「ああ。火力も黒色火薬の3倍以上だ。……これで、銃器の概念が根底から覆る」
九条は、一切の煙がないクリアな視界のまま、虚空を見つめた。 地上の広場では市民たちが熱狂する平和な娯楽が、そして地下の実験場では、すべてを粉砕する殺戮兵器の心臓部が完成した瞬間だった。
「ハードウェアとソフトウェア、双方のボトルネックが完全に解消されたな。……急げ、真野。産まれてくる子供たちを完全な弾幕で守り抜くための『マキシム機関銃』。……完成の時は近いぞ」
「ああ、分かっとる。徹夜の連続や!」
父親たちの執念が結実した『悪魔の火薬』。
それは、帝国が「点」の武力から「面」の制圧力へと進化するための、決定的なブレイクスルーであった。




