第72話:要塞での救護と、本丸防衛の決意
分厚いコンクリートと鋼鉄の門で守られた、帝都の中心にして最後の砦――「本丸(居住区要塞)」。
その内部は今、鬼頭の部隊によって誘導されてきた避難民たちでごった返していた。
「道を開けろォッ!!」
怒号と共に、返り血を浴び、巨大なパイプレンチを握りしめた真野と工員たちが本丸のゲートに駆け込んできた。
「真野殿! ご無事で!」
本丸の守備を任されていた予備兵の隊長が駆け寄るが、真野の目は血走っており、周囲の喧騒など一切耳に入っていなかった。
「エルワは!? うちの嫁はどこやッ!!」
「奥の救護室です! 冴島先生の医療チームが……!」
隊長の言葉を最後まで聞く前に、真野は血まみれの重工具を放り出し、救護室へと全力で駆け出した。
***
「……脈拍安定。少し貧血気味だけど、もう大丈夫よ。ゆっくり休んで」
救護室では、冴島の妻であるベテラン看護師長のシラが、ベッドに横たわる青白い顔の女性たちにテキパキと指示を出していた。
極度の緊張と恐怖から、避難してきた女性の中には倒れ込む者が続出していたのだ。
「エルワッ!!」
真野が扉を乱暴に開け放つと、部屋の奥のベッドで休んでいたエルワが、ビクッと肩を揺らした。
「ま、真野さん……! よかった、ご無事で……っ!」
「アホか! それはこっちのセリフや!!」
真野はベッドにすがりつき、エルワの無事な姿を確認して、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
「ほんまに……ほんまによかった。お前にもしものことがあったら、俺は……」
「真野さん……泣かないでください。私は平気です。ただ、少し熱っぽくて、お腹のあたりが張るような感じがして……」
エルワが優しく真野の頭を撫でた、その時だった。
「……真野」
背後から、ひどく低く、そして冷たい声がした。
振り返ると、血圧計や聴診器を手にした冴島が、白衣のポケットに両手を突っ込んで立っていた。普段の飄々とした態度は微塵もなく、その目は異常なほどに座っている。
「冴島……? なんやその顔。エルワは、ただの風邪やろ……?」
「……違う。風邪じゃない」
冴島は、ベッドに横たわるエルワ、そして同じように体調不良を訴えて運ばれてきた数名の妻たちをゆっくりと見回した。
その中には、少し離れた油田プラントにいるはずの郷田の妻以外の、彼らの妻たちの姿があった。
「基礎体温の上昇、特有の貧血、そして腹部の張り。……エルワだけじゃない。さっき診察したゼナも、マヤもだ」
冴島は深く息を吐き出し、地を這うような声で告げた。
「妊娠(初期から中期)だ。……俺たちは、無意識のうちに、自分の子供を最前線(現場)で働かせ、挙句の果てに、こんな死の危険に晒していたんだ」
「……は?」
真野の思考が、完全に停止した。
妊娠。
自分とエルワの子供が、今、この腹の中にいる。
そして今、その壁のすぐ外側では、狂気に満ちた蛮族が、この命を奪おうと刃を振り回しているのだ。
真野の中で、何かがブツリと音を立ててちぎれた。
それは、現代人としての理性が完全に焼き切れ、絶対的な「庇護者(父親)」としての本能が覚醒した瞬間だった。
「……シラ。ルミ、ミファ」
冴島が、背後に控える3人の妻(医療チーム)に声をかけた。
「絶対に、この部屋から誰も出すな。何があってもだ」
「……ええ。わかっているわ」
シラが力強く頷くのを確認すると、冴島は白衣を脱ぎ捨てた。
「真野。行くぞ。……一匹たりとも、この要塞には近づかせない」
「当たり前や。……あいつら、全員ミンチにしたる」
底知れぬ殺意を瞳に宿した二人の男は、救護室を後にした。
***
本丸ゲート前。
真野と冴島は、武器庫からペーパーカートリッジ式のマスケット銃と、大量の「急造手投げ弾」、そして化学プラントから持ち出された劇薬(催涙ガス)を、チャパたち約三十名の工員に持たせ、重武装で姿を現した。
ゲート前では、本丸の守備隊長が、血相を変えて本丸へと駆け込んでくる「非番の兵士たち」を慌ただしく整列させていた。
「真野殿! 冴島殿! 現在の戦況報告です!」
隊長が敬礼と共に、九条の管制による現在の部隊配置を迅速に読み上げる。
「中央広場では、鬼頭殿の本隊二十名に加え、右翼にタラック殿の二十名、そしてスラムから後退してきたタタンカ殿が左翼に二十名を展開! 三方向から敵本隊(三百〜四百)を食い止めています! さらに九条殿の指示により、各十五名ずつの部隊を東西および北の路地へ展開させ、市民の避難誘導と討ち漏らしの迎撃に当たらせています!」
常備軍約百五十名のうち、奇襲に即応できた約百名が、すでに市街地の防衛に極限状態で張り付いているのだ。
「しかし敵の数が多すぎます! 遅れて招集された非番の兵士たちを、順次十五名ずつの小隊に編成し、激戦区である中央の鬼頭殿への増援として送り込んでいる状況です!」
隊長の報告に、真野は冷徹な視線を向けた。
帝国の軍事リソースは、完全に限界に達している。
「遅れてきた兵士は、一人残らず中央(鬼頭)へ送れ。この本丸に兵は要らん」
「し、しかし! 本丸にも敵が向かってくる可能性が……!」
「ここは俺たち工員三十名で死守する。一秒でも早く、鬼頭のところへ増援を走らせろッ!」
真野の怒号に、隊長はビクッと体を震わせ、「は、はいッ!! 増援小隊、直ちに出撃!!」と兵士たちを中央へと向かわせた。
兵士たちが去り、残されたのは真野と冴島、そして三十名の工員たちのみ。
だが、真野の顔に焦りはなかった。
「本丸のゲートに張り付いてちゃダメだ。防衛線を外側へ押し広げて『二重』にするぞ」
真野はマスケット銃の撃鉄を起こし、工員たちに無慈悲な指示を飛ばす。
「第一防衛線は、ゲートから五十メートル前進して横隊を組め。第二防衛線はゲート直前。……絶対に、外壁に敵の血の一滴すら飛ばさせるな。前線を押し上げて、近づく前に面で削り殺せ」
「了解!!」
真野の指示通り、三十名の工員たちはゲートから前進し、厚みのある二重の防衛陣形(縦深陣地)を構築した。
「……来るぞ」
冴島が銃を構えた。
鬼頭の強固な防衛網の端を巧みにすり抜け、あるいは建物の影を迂回して、最大の富を求めて本丸へと殺到してきた数十の強欲な一団――「討ち漏らし」の敵だ。
「ヒャハハハッ! 一番デカい建物だ! あの壁の向こうが宝の山だァァッ!!」
中央での死闘を避け、楽な獲物を求めてきた血に飢えた戦士たちが、武器を振り上げて第一防衛線へと突撃してくる。
「……撃てッ!!」
「身重の妻を守る男」へと変貌した真野の冷徹な号令が、夜空に響き渡った。




