第70話:新月の夜の奇襲とゲート突破
カンッ! カンッ! カンッ!!
夜の闇を切り裂くような非常用の銅鑼の音。そしてそれに続く、腹の底を揺らす青銅砲のすさまじい轟音。
九条の指示を受け、南ゲートの状況を確認するためにスラムの路地を音もなく進んでいたタタンカたちの小隊は、前方の異常事態に足を止めた。
「……タタンカ殿。前方のゲートで警鐘が鳴り始めました。それに今の凄まじい砲声……間違いなく南門の青銅砲が撃たれました!」
ココが、闇の中で静かに弓を構えながら囁く。
「ああ……九条殿の危惧が、最悪の形で当たったな」
タタンカは背中に負ったマスケット銃を手に取り、冷たく澄んだ目で前方を睨み据えた。
松明の光と共に、異様な戦化粧を施した見知らぬ部族の戦士たちが、血に飢えた獣のように路地の奥から湧き出してくる。青銅砲の直撃を受けてなお、彼らの強欲と暴力の勢いは止まっていない。
門が破られ、すでに外敵の侵入が始まっていたのだ。
彼らを先導するワバンは、ピジン言語で狂ったように号令をかけている。
「ヒャハハッ! ルカ・タイ! アワ・クシ、タイ・イン!(いいぞ、まずはこのスラムを抜け、その奥にある『光る街』を目指すんだ!)」
帝国の堅牢な防壁を、自らの手で無効化してやったのだ。これで自分は新しい族長となり、帝国の莫大な富を我が物にするのだと、ワバンはかつてないほどの高揚感に包まれていた。
先遣隊の戦士たちも「マタ!(殺せ)」「タイ!(宝だ)」と低く唸りながら、ワバンに続いてスラムの狭い路地を駆け抜けようとした。
だが、路地の角を曲がった瞬間。
ワバンの足が、ピタリと止まった。
「……そこまでだ、ワバン」
松明の光が届かない暗闇の奥。
そこには、氷のように冷たく澄んだ瞳でこちらを見据える、顔なじみの男が立っていた。
タタンカだ。彼の背後には、数名の偵察小隊が影のように立ち塞がっていた。
「タ、タンカ……!? なぜお前がここにいる!?」
「九条殿の危惧が、最悪の形で当たったというわけだ。……同郷の顔で守備兵を騙し討ちにしたか。システムの死角とは、よく言ったものだな」
タタンカの声には怒りすらなく、ただ冷徹な事実確認だけがあった。 彼は敵の規模が数十名であること、そして彼らが「見知らぬ部族(外敵)」であることを把握して、背後の部下へ鋭く声を飛ばした。
「マキ、ルカ! 最寄りの銅鑼を鳴らして警報を中継しろ! そのまま中央広場の鬼頭殿へ走り、『南ゲート突破、外敵数十の侵入あり』と至急報せろ!」
「はっ!」
小隊のうち2名が、踵を返して暗闇の帝都奥深くへと全速力で駆け出していく。
「に、逃がすか! そいつらから血祭りにあげろ!! マタ! マタ!(殺せ!)」
ワバンが咆哮し、数十人の先遣隊が一斉に雄叫びを上げて襲いかかってきた。
多勢に無勢。だが、タタンカと残された小隊の心は微塵も揺らがなかった。
『かつての俺なら、弓を番え、個人の武勇で散開して彼らと渡り合おうとしただろう。……だが、今は違う。九条殿たちが持ち込んだ「システム」は、個人の武勇などとうの昔に無価値にしている』
「小隊、路地を塞ぐように横隊陣形を組め! 距離を保ち、一斉射撃で足止めする!」
タタンカの鋭い号令とともに、部下たちが整然と横一列に並び、背中に背負っていた謎の「鉄の筒」を構えた。
「構え……撃てッ!!」
ドンッッ!!!
夜の静寂を切り裂く、腹の底に響くような轟音と眩い閃光。
横一列に並んだ銃口から一斉に火が噴き、暗闇に「鉛の弾丸の壁」が出現した。
「ガ、アァァッ!?」
「グギャッ!」
銃口から吹き出した硝煙の奥で、松明を掲げて突っ込んできた先頭の大男たちの胸や頭に、目にも止まらぬ速さで弾丸が深々と突き刺さった。
彼らは理解する間もなく、背中から血飛沫を吹き出してドウッと倒れ込んだ。散開ではなく「面」で制圧する、戦列歩兵の教義に則った容赦のない一撃だ。
「なっ……!?」
ワバンの足が再び止まった。
彼の知るタタンカの武器は、正確無比な弓矢のはずだった。だが、今放たれた「轟音を伴う何か」は、弓などとは次元の違う破壊力を持っていた。
「ひるむな! あんなすさまじい魔法が、弓のように次々と放てるはずがない! 次の魔法の準備をする前に殺せ!」
ワバンは未知の武器の威力を前に、己の常識と願望にすがりつくように叫んだ。
しかし、彼の認識は帝国の技術進化の速度を全く理解していなかった。
タタンカの手にあるのは、真野が量産を完了させた『ペーパーカートリッジ(紙製薬莢)式』のマスケット銃だ。
火薬と弾丸が一つにパッケージされた包みを歯で噛みちぎり、銃身に流し込んで突き固める。そのリロード速度は、ワバンの想像を絶するほどに短縮されていた。
タタンカと小隊は後退しながら、機械のように無駄のない動作で次弾を装填する。 遅滞戦闘――敵の進軍を遅らせながら安全な場所へ後退する、東から叩き込まれた戦術だ。
「ココ、牽制だ!」
「はい!」
タタンカの指示を受け、並走していたココが懐から、竹筒に黒色火薬を詰めた『急造の手投げ弾』を取り出す。
火打石で素早く導火線に着火すると、彼女はそれを、密集して足を止めている敵の足元へ向かって力いっぱいに投擲した。
シュルシュルと火花を散らしながら転がった竹筒が、敵の足元で炸裂した。
ドパァァン!!
「ギャアアアッ!」
足元から吹き上がる石のつぶてと爆風に、先遣隊の戦士たちが次々と悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
『なんだ……なんだこれは!? 俺たちの知っている戦いじゃない!』
ワバンの心に、底知れぬ恐怖と劣等感が再び湧き上がる。帝国の「システム」は、個人の武勇など鼻で笑うように、ただ冷徹に面を制圧していく。
タタンカは2発目の装填を終え、再び銃を構えた。 その統制された暴力の前に、数十人いた先遣隊は完全に足を止め、ワバンも物陰に隠れて震えることしかできなかった。
「……先遣隊の動きが止まりました。タタンカ殿、撃退成功です」
ココが暗闇の中で静かに報告する。
「ああ。これ以上深追いはしない。小隊は直ちに後退を……」
タタンカが銃を下ろしかけた、その時だった。
ズズン……ズズン……。
南の空が、異様な赤色に染まっていた。
開け放たれたゲートの向こうからではない。すでにゲートを突破し、南ゲート付近のスラムを飲み込みながら、地鳴りのような足音がこちらへ向かってきているのだ。
ボウッ、ボウッ……!
夜の闇を焼き尽くすように、無数の松明の火がスラムの家々を燃やし、まるで巨大な炎の蛇のようにうねりながら押し寄せてくる。
「……タタンカ殿」
ココの声が、初めて微かに震えた。
炎に照らし出されたのは、数十人などという規模ではない。
顔を黒や赤の染料で塗りつぶし、飢えた狼のような目をした屈強な戦士たち。 その数、数百人。 すでに青銅砲の反撃すらも踏み潰し、ズガが率いる独立部族の精鋭部隊『本隊』が、完全にスラムへと雪崩れ込んでいたのだ。
「ルカ、マカ! アワ・クシ、タイ・タイ! マタ、マタ、マタ!(見ろ! あの壁の中が宝の山だ! 殺せ、殺せ、殺し尽くせ!)」
巨漢の族長ズガが、炎の向こう側で狂気に満ちた略奪の号令を下す。
「ウオオオォォォッ!!」
数百人の戦士たちが、一斉に野蛮な雄叫びを上げて突進を加速させた。
いくらマスケット銃や手投げ弾があろうとも、少数の遅滞戦闘で止められる数ではない。彼らは銃の恐怖など知らず、ただ「目の前にある莫大な富」に目が眩んだ、純粋な暴力の塊だった。
「……全隊、撤退しろ! これ以上の遅滞戦闘は無意味だ!」
タタンカは血を吐くような声で叫ぶと、マスケット銃を背に負い、部下たちへと鋭く指示を飛ばした。
「中央広場へ走れ! 鬼頭殿の本隊と合流し、そこで防衛線を構築する!!」
櫓の上から打ち鳴らされる非常事態を告げる鋭い銅鑼の音が、夜の帝都に絶え間なく鳴り響いている。
タタンカたちは全速力でスラムの路地を駆け抜け、中央の市街地へと後退していった。
だが、彼らのすぐ背後では、ズガの本隊が無防備なスラムを飲み込み、火を放ちながら、居住区のある市街地へと一気に雪崩れ込もうとしていた。
完璧だったはずの鋼の都市が、今、純粋な暴力と狂気に蹂躙されようとしていた。




