第69話:諜報の遅れと予期せぬ交戦
深夜の帝都。
静まり返る統治局の最上階で、東の執務室のドアが乱暴に開かれた。
「……九条、起きているか」
「ああ。どうした、顔色が悪いぞ」
書類の山から顔を上げた九条は、東のただならぬ気配に即座にペンを置いた。
東の手には、何枚もの羊皮紙と木簡が握りしめられている。
「俺のシステムにバグが出た。……南のスラム周辺に配置している監視網からの『定期報告』が、たった今、完全に途絶えた」
東の声は低く、しかし確かな焦燥を孕んでいた。
「数時間前までは正常だった。だが、深夜の報告だけがピタリと止まった。それだけじゃない。ほぼ同時刻に、北の森で大規模な焚き火と足跡が見つかったという報告が、別のルートから上がってきた」
「……情報途絶と、別の場所での目立つ痕跡か」
九条の目が、冷徹な捕食者のように細められた。
「わかりやすい陽動だ。間違いなく何かが起きる。そして本命は、情報が消えた『南』だ」
「ああ、俺もそう思う。だが、情報が完全に遮断されている以上、南で『スラムの内部反乱』が起きようとしているのか、それとも『外から何者かが来ている』のかが確定できない。……南へ正規の増援を送るか?」
九条は壁に掛けられた巨大な帝都の地図の前に立ち、素早く思考を巡らせた。
「いや、情報が未確定の段階で、特定の門に兵力を固定するのは下策だ。万が一北が本命だった場合、中央がガラ空きになる」
九条の指が、地図の中心部をトントンと叩く。
「まず、鬼頭を叩き起こし、主力部隊を『中央広場』に集結させろ。どのゲートが襲撃されても即座に最短距離で援軍に向かえる『遊撃軍』として待機させるんだ」
「なら、南はどうする? 放置はできないぞ」
東の問いに対し、九条は冷徹に言い切った。
「あの堅牢な南のゲートは、外からの物理攻撃なら数時間は持ちこたえる。内部からの手引き……内通者の可能性もゼロではないが、今の豊かな生活を自ら捨ててまで、外の蛮族を招き入れるような非合理な人間はいないはずだ」
「……確かに、論理的に考えればあり得ないな」
「ああ。だが、万が一の内部の暴動を警戒し、状況を確定させる『目』は必要だ。タタンカとココの小隊を密かに南のスラムへ潜入させろ。彼らに偵察させ、必要なら遅滞戦闘で時間を稼がせる。それが実質的な増援だ」
「わかった。南の守備隊にはどう伝える?」
「『外の監視と、非常用の銅鑼にいつでも触れられる態勢をとれ』とだけ伝える伝令を走らせろ。銅鑼が鳴り次第、中央の鬼頭を叩きつける」
「……了解した。すぐに手配する!」
東が踵を返し、執務室を飛び出していく。
九条は一人、暗い窓の外――南の防壁の方角を見つめながら、静かに息を吐いた。
『システムは正常に機能している。想定外は起こさない』
九条の合理的な采配により、帝都の防衛機構は稼働し始めていた。
***
暗闇の広がるスラムの路地裏。
ワバンは、冷たい土壁に背を預け、息を殺して南ゲートの様子をじっと窺っていた。
南ゲート周辺は、防衛上の死角を無くすために建物や木々が徹底的に撤去されており、月明かりの下では何百メートルにも及ぶ開けた空間が広がっている。
「……伝令だ! 中央統治局からの指示! 南で不穏な動きあり、外への警戒と、非常用の銅鑼を鳴らす準備を怠るな!」
息を切らした伝令の叫びに、南ゲートの守備隊長が即座に動いた。
「わかった! 休息中の交代要員も全員叩き起こせ! 厳戒態勢に入るぞ!」
隊長の号令で、非番だった者たちも慌ただしく武装し、計10名の守備隊が所定の配置につく。
「地上は俺を含めて5名で固める! お前たちは左右の櫓に登り、青銅砲の準備を急げ!」
「はっ! 各櫓に2名ずつ入ります!」
「銅鑼の担当は、一番高い中央の櫓から絶対に動くなよ!」
隊長の指示で、迅速に防衛陣形が構築される。
***
ワバンは、任務を終えた伝令が足早に本部へ向かって走り去っていくのを、暗がりから静かに見送りながら、内心で舌打ちをした。
『襲撃前に厳戒態勢になってしまったか……。……しかし九条、外への警戒ばかりしているお前のシステムなど、人間の怒りの前では無力だ』
守備兵たちの意識が完全に外側へとロックされたことを確認し、ワバンの口角が歪に吊り上がる。
彼は、自分の「顔なじみである」という最大の武器を利用すべく、親しげな声を作ってスラムの暗がりからゆっくりと歩み出た。
「……ご苦労様。夜の冷え込みが厳しいな」
「ああ、ワバンか。お前もこんな夜更けに……って、ん?」
隊長が振り返り、同じ第一村出身のワバンに微笑みかけようとした、その瞬間。
ズブッ。
鈍い音と共に、隊長の胸の中心から、粗末な石器の刃が突き出していた。
「なっ……わ、ばん……?」
「悪いな。俺たちも、生き残るのに必死なんだ」
「貴様……裏切ったか……!! 敵襲ォォッ!!」
血を吐きながら絶叫する隊長の声に、外を警戒していた残りの地上兵4名が弾かれたように振り返る。
だが、その背後のスラムから、石斧を構えた不満分子たちが怒涛のように飛び出してきた。
「うおおおおッ!!」
「くそッ、撃てェ!!」
パンッ! パンッ!!
守備兵たちが咄嗟にマスケット銃の引き金を引き、発砲炎と共にワバンの手下数名が吹き飛んだ。
だが、多勢に無勢。彼らは次弾を装填する暇もなく、相打ちになる形で次々と石斧の餌食となって倒れていった。
カンッ!! カンッ!! カンッ!!
その時、一番高い中央の櫓に配置されていた守備兵が、眼下の惨劇を見下ろしながら、半狂乱で非常用の銅鑼を打ち鳴らし始めた。
夜の静寂を切り裂く、鋭い金属音。
「構うな!! 銅鑼など無視してさっさと門を開けろ!!」
ワバンは巨大な門の閂へと飛びついた。
銅鑼が鳴ろうが関係ない。門さえ開けば、ズガの大軍が全てを蹂躙してくれるのだ。
ギィィィィ……ガガンッ!
重厚な金属の擦れる音が響き、堅牢だった帝都の南ゲートが、内側から大きく開け放たれた。
「ヒャハハハッ! マカ・タイ!(宝の山だ!)」
門が開いた瞬間。
死角のない数百メートル先の平原の向こうから、松明を掲げたズガの先遣隊と本隊が、狂気に満ちた雄叫びと共に怒涛のように突撃してくるのが見えた。
***
「急げ! 青銅砲の装填を急げェッ!!」
左右の櫓の上では、残された4名の砲兵たちが血相を変えて火薬と弾を押し込んでいた。
だが、青銅砲の装填には致命的な時間がかかる。彼らが火縄を構えた時には、足の速い先遣隊数十名がすでに門を通り抜け、スラムの路地へと雪崩れ込んでしまっていた。
「……帝国の、意地を見ろォォッ!!」
先頭集団には間に合わなかったが、砲兵たちは門に殺到する『後続の密集陣形』に向けて、二門の青銅砲の照準を合わせ、導火孔に火縄を押し当てた。
ドゴォォォォォォンッッ!!!
鼓膜を破るような轟音と閃光。
櫓の上から撃ち下ろされた散弾(ぶどう弾)が嵐のように後続の列を直撃し、十数名が原型を留めない肉塊となって吹き飛んだ。
「ギャアアアアアッ!?」
だが――。
青銅砲の反撃も、単発に過ぎない。
「ルカ・マタァァッ!!(ひるむな、殺せェッ!!)」
砲煙と血煙の向こう側から、仲間の死体を踏み越え、残る数百名の戦士たちが完全に理性を失った獣のように押し寄せてきた。
完璧だったはずの鋼の都市の防衛線が、今、完全に決壊した。




