第56話:確信の異常投資と、黒い血の動脈
建国2年、冬。
オハイオ川の支流沿いの採掘現場には、天を衝く黒い原油の柱と、それを飲み込む巨大なすり鉢状の「貯油池」があった。
事前に粘土で完璧にコーティングされた池には、一切の漏れもなく真っ黒な大地の血が溜まり続けている。
「郷田さん! タンカー船団、到着しました!」
カシャの甲高い声が響く。
川の入り江から姿を現したのは、資材用の平底バージ船ではない。甲板の上に、分厚い木板と金属のタガ、そして松脂でガチガチに密封された「巨大な油槽」を搭載した、専用の『オイルタンカー船団』であった。
「よし! 先頭の一隻を岸に接岸させろ! すでに据え付けてあるポンプにパイプを繋げ!」
郷田の指示で、先住民の労働者たちが一斉に動く。
陸地には、この日のために郷田たちが事前にガッチリと基礎を打って固定しておいた「大型のガチャポンプ(吸い上げ機構)」が鎮座していた。
そこから伸びる極太のパイプの一端が貯油池の黒い液体に沈められ、もう一端が岸付けされたタンカーの巨大タンクの注ぎ口へと接続される。
「よし! ポンプ、稼働開始!!」
郷田が叫ぶと、数人の若者たちが、安定した陸地で大型ポンプのレバーを力強く上下に動かし始めた。
『ドッ、ドッ、ドッ……! ガボボボボッ!!』
大型ポンプが脈打ち、太いパイプが生き物のようにブルブルと振動する。吐き出し口からタンカーのタンクへと、直接漆黒の原油が滝のように注ぎ込まれていった。
重い石材を一つ一つクレーンで運んでいた労力が嘘のような、圧倒的でスムーズな【流体輸送】の始まりであった。
「……凄い。たった数人がレバーを動かしているだけなのに、あの巨大な船がみるみる水に沈み込んでいく」
地質調査を担うカヤが、水面に対して急激に吃水を下げていくタンカーを見つめ、信じられないものを見るように目を開いた。
「重い岩を何十人もかけて運んでいたのが、嘘みたいだ……」
「これが『流体(液体)』の強みだ、カヤ。あらかじめポンプとパイプさえ陸に備え付けておけば、あとは空の船を順番に横付けするだけで、勝手に器の形へ収まってくれる」
郷田は油にまみれた前髪をかき上げ、胸を張った。
カヤは、ふと疑問に思っていたことを口にした。
「でも、郷田さん。……どうして油が出る前から、こんな専用の船や巨大な陸置きポンプが『すでに完成』していたんですか?」
カヤの言葉はもっともだった。現代の常識でも、油田のボーリング調査は「空振り(ドライホール)」が当たり前である。十カ所掘って一カ所出れば御の字という世界だ。
「普通なら、石油が出るかどうかも分からない『調査段階』で、専用の輸送船やポンプステーションを建設しておくなんて狂気の沙汰だ。莫大なコストの無駄遣い(リスク)でしかねえからな」
郷田は、空高く吹き上がる黒い柱を指差した。
「じゃ、じゃあなんで……」
「俺たちは『答え』を知ってたからだよ。お前が読み切った背斜構造と、この地のポテンシャル。100パーセント、ここから黒い血が吹き出すと確信していた」
郷田の瞳に、絶対的な自信が燃え上がった。
「だから九条は、躊躇なくこのプロジェクトに【初期投資】を全振りしたんだ! 吹き出した油を『流体』のまま、一滴残らず帝都へ運び込むための完璧な『ロジスティクス』にな!」
大地の底から吹き出す無限のエネルギー。
それを完璧に受け止める粘土の貯油池。
そして、流体の特性を活かした陸置きポンプと専用タンカー船。
最初からパズルの全貌を知っていたかのような、恐ろしいほど合理的でシステマチックな物流網が、未開の地に突如として完成した瞬間だった。
***
数十分後。
タンカーの巨大タンクは原油でパンパンに満たされ、重々しく川の水面に沈み込んでいた。
「よし、第一号タンク満杯だ! バルブ閉めろ!」
郷田の合図でパイプが切り離される。
「カシャ! お前はこの一隻目に乗って、先発部隊として帝都へ向かえ! 向こうに着いたら、コンクリートの地下貯蔵庫への『荷下ろし(逆ポンプ)』の指揮を頼む!」
「了解です! 次の空舟、すぐ横付けさせて! 私たちは出発だ!」
カシャが満載の第一陣タンカーに飛び乗り、帆を張る。
真っ黒な原油を積んだ一隻目が冬の冷たい風をはらんで川を下り始めると同時に、待機していた二隻目が素早く岸へ接岸し、再びパイプが接続される。
無駄のない、完璧な「ピストン輸送」の始まりであった。
郷田は遠ざかる一隻目の船を見送りながら、深く息を吐いた。
『……とうとう、ここまで来ちまったな。石炭の固形エネルギーから、石油という流体エネルギーの時代へ』
アメリカ大陸の未開の地に、圧倒的な力を持つ「黒い血の動脈」が、完全に開通した瞬間であった。
***
同じ頃。
帝都・工業エリアの奥深く。
巨大な耐火レンガで組まれた奇妙な塔の前で、九条蓮が腕を組んで立っていた。
「蓮様。オハイオ川の上流から、カシャを乗せた第一便のタンカーがこちらへ向かってきているとの報告が入りました」
アナヒータの報告に、九条は小さく口角を上げた。
「……来たか。郷田の奴、見事に当てやがったな」
彼らの足元には、郷田が事前にセメントで建造しておいた、巨大な「コンクリート製・地下貯蔵庫」が口を開けて待機している。内壁には漆喰と粘土が分厚く塗られ、油の漏出を防ぐ完璧な受け入れ態勢が整っていた。
「船が着き次第、パイプを繋いで地下タンクへ一気に流し込む。……鬼頭、ミカ、そっちの準備はいいか?」
九条がそびえ立つ塔を見上げて声をかけると、バルブや温度計代わりの計器をチェックしていた鬼頭とミカが顔を出した。
彼らがすでに完成させていたのは、原油を熱して様々な成分に分離するための『分留塔』。
酒の蒸留で培った技術の、究極の進化系である。
「いつでもいけるぜ、九条。俺とミカが組み上げたこの塔は、炉の余熱も終わって完全な状態だ」
鬼頭が獰猛な笑みを浮かべ、ミカもその横で真剣にうなずいた。
「真野の奴は、工房に引きこもって血眼でエンジンのシリンダーを削ってるんだろう? あいつが『胃袋』を完成させる前に、極上の『飯(燃料)』を精製しといてやるよ」
一滴の油も出ていない段階から、タンカーを用意し、地下タンクを掘り、巨大な化学プラントまで完成させて待機していた。
結果を知っているからこそできる、常軌を逸した全振り投資である。
「さあ、始めようか」
九条の冷徹な声が、凍てつく冬の空気に響いた。
「これより、我が帝国は本格的な『石油化学工業』の領域へと踏み込む。黒い血を、世界を焼き尽くす力に変えるぞ」




